生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

アフリカのM君は何故39才で死んだのか?

2013年08月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
答えは出せませんが、親しい人が何故、死んだのか、その理由を考えるのが残された親族、恋人、親友のような気がします。誰も答えを出せない事は最初から分かっていますが、古代からこの不安と悩みは色々の神話や伝説に登場します。そうしないと、あまりの哀しみから発狂するからです。イギリスの大学の同じ研究室で勉強した1960年代の学友アフリカ・ナイジェリア某族の王子・M君は、いつも胸の中にお守りをいれていて、何かあると密かにそれを触り安心していたようです。そのお守りは決して人に見せませんでしたが、ナイジェリアの某部族の首領の坊やで当時は財宝豊かな一族でした。10年くらいは、イギリスで勉強していましたが父親の要望でアフリカにもどり政変に巻き込まれ39歳の人生を悲劇的に終わります。彼の消息は数年不明でしたが、イギリスの情報局の学友が探し当てて判明したのですが、学会での某年某月のワインパーティでは勉強や論文の話は無く、もっぱらM君の人生についてでした。M君の悲報に触れた私達(日本人の私、イギリスのW君、リビアのS君、インドのN君、オーストラリアのP君)の解釈がまた、それぞれで、恩師を囲む会話は翌日にも及びました。長くなるので省きますが、それぞれが納得した解釈は、歴然と民族性を現わしているので、恩師のほうが私達を自宅に招待し、その解釈をテープにとつていました。日本人の私は「もののあわれ」として納得、イギリス人のW君は植民地の悲劇性としてイギリスの植民地政策を反省することで納得、インド人のN君はインド神話の何とかいう女神の胸に帰れたと解釈、リビアのS君は弱い民族の当然の帰結的滅亡として、その弱き種族の能力不足として納得、それぞれの解釈は恩師からならった比較宗教学・比較文化論上の理論を儀礼的に前面に出して語りましたが、最終的な納得領域は、それぞれの国民性が大きく支配していたので、恩師はそれに興味を示し、建前と本音の領域分析の為に録音に必死だったようです。われわれの会話を巡り何か論文を出したようですが、見ずじまいなのが悔いを残します。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:21>


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