かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

やっぱり社会学は好きになれない。

2005-05-23 22:13:03 | Weblog
 私は、経済学とか法学とかの社会学が大嫌いです。自分達で勝手に理屈をこねてさも正しいかのごとく宣う傲慢さには我慢がなりませんし、世の中で何の役に立っているのか、毛嫌いしている私にはどうしても見えてきません。例えば私は理系は理系でも数学はちんぷんかんぷん、生物は苦手ですし、物理もニュートン力学まではどうにかついていけますけど、更に進むとお手上げという、一体どこが理系なんだ? という体たらくですが、それぞれきらいではありません。それらは人間を取り巻く世界を理解するために、おのおのが最良と信じる方法によって努力しているのが見えるからです。同じく人文科学にも、人、と言うこの不思議極まりない存在を理解するためのツールとして、それなりに機能している、と思います。でも、社会学だけは何故そんなものが必要なのか、一体何を知るためにそんなものを生み出したのかが判りません。別に大系だった説明などなくても、日々の生活には何の支障もないし、説明してもらったからと言って、その後生活が色々な意味で豊かになるわけでもありません。

 と、冒頭殊更に社会学を攻撃して見せたのは、今日の報道で法律家の限界をまた理解させられたからです。
 小学一年生の女の子を誘拐して殺した犯人に対する公判。検察側は、弁護側の「情状鑑定」なる専門家による被告の鑑定を、拒否したそうです。刑事裁判は心理学や精神医学の研究の場ではない、とか、量刑に影響を及ぼさない事項や解明が刑事司法の役割ではなく、そんなことをするのは迅速な裁判を阻害する、というのが、反対の理由だそうです。つまり、とっとと死刑でも無期懲役でも判決を下して、裁判を終わりたい、ということなのでしょう。解明すべきは死刑に相当するかどうかであって、今後この種の事件を未然に防ぐための方策としての真の原因究明には興味がない、と。
 私はこの被告について同情すべき点は皆無だと思いますし、直ちに「市中引き回しの上、磔獄門」に処すべき、と思っておりますが、同時に、なぜこの被告が一線を越えて殺人を犯してしまったのか、と言う点に、憤り以上の興味があります。人畜無害な、私も含めた世に言う「おたく」たちと、この犯人の間に越えられない壁が存在するのかどうか。決定的に違う何かがあるのか、あるいは実はそれほど違いはなく、我々もちょっとした拍子に犯罪者の仲間入りしてしまうのか。その点を是非はっきり解明し、犯罪者になりやすい要因をあぶり出して、それが矯正出来るのなら、矯正する何らかのプログラムを検討する必要があると思うのです。
 かつてロリータもの、と言う一ジャンルが一般市場から姿を消しましたが、結局今またこの被告や監禁事件などが発生して、あの規制は一体何だったの? と言う事態になりました。すると今度はゲームやコミックなどが規制対象に浮上しています。それらが市場から消えてそれでこの種の事件が発生しなくなるのなら、まあそれもしょうがない、と諦めることもできますが、本当にその方法で無くなると断言できるのか、答えは誰も知らないのです。でも、その点に関して、解明しようとか、研究をしてみようとか言うような発想は、法律家にはありません。弁護側だって、法廷戦術として持ち出しただけで、本気で被告を犯罪に走らせた原因を研究しようなどとは思っていないでしょう。しかも、それらの問題を「心理学」や「精神医学」の範疇、と捉えている時点で、その限界を露呈していると、私などは思います。
 もちろん私も専門家ではありませんから世迷い言以上のものにはなりませんけど、あえて個人的極論を述べるなら、多分生物学的に何らかの違いが、この被告と我々被告にならずに日常生活を送ることが出来る人達との間に見つかるのではないか、と思うのです。それは大脳の機能の差かも知れませんし、生合成される情報伝達物質やそのレセプターの違いかも知れません。それらの根本要因として、DNA配列にわずかな相違が発見されるかも知れません。それは、単に最初から違うのかも知れないし、ある環境要因で生じた変異を修復する機能に劣る、というようなものかも知れません。いずれにしても、調べてみないと判らないことで、調べてみる価値が絶対にある、と思うのです。ですからこの被告を死刑にしたりするのなら、そう言う研究材料として人類の恒久的平和に役立ってもらえばいいんじゃないか、と思います。
 本気でこの種の事件を今後二度と起こさないようにしたいのなら、それは社会学の役割ではありません。そもそも、今その事件さえ白黒つけられれば後はどうなろうと知ったことではない、などと言う類のことを平気で口にするようなホウリツカ共のために、この国のかけがえのない未来への扉を閉ざされたくありません。我々人類の未来のために、罪のないマウスやサルが実験で死んでいるのです。それくらいなら、この種の犯罪者にこそ、実験に協力してもらうのが、余程人道的と言えるのではないでしょうか。

 
コメント
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