かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

「マリア様がみてる」感想その2 一人称?三人称?

2005-04-14 21:28:33 | マリア様がみてる
さて、前回はほんの4ページ分程度に相当する部分の感想を述べただけで終わってしまいました。
今回はもう少し頑張って、シリーズを通じて面白くも不思議な雰囲気を醸し出す文体について感想を残しておきましょう。
はじめ、実はこの文体にかなり違和感を覚えました。読みにくいと言うわけではないのですが、3月13日の日記(http://blog.goo.ne.jp/cuckoo_01/e/271e8fa3e73264dffae61e7ec393b121)にも書いてあるように、私の第一印象は「枕草子」でした。これは、一昨日の日記にも書いたとおり、変に「裏」を読もうとする読書姿勢の問題も大きかったかと思うのですが、この不思議な文体に翻弄されたところも大きかったのではないかと思います。
旧日記の2月23日に記した通り、私は初め、これが1人称の文章だと認識して読んでおりました。しかし、次に読んだときには、3人称だったか? と疑いながら読みました。どちらかどうも良く判らなかったので、改めてその事だけを確認するために第1巻を読み返しました。そして、これが1人称と3人称をまぜこぜにしたような文章であると結論付けたのです。でも、今にして思うとこれはやはり1人称が主体の文章だと思います。ただ、主語が「私」とか「僕」ではなく、自称呼び捨てに統一されているところが普通の一人称文章と違うでしょう。3人称的なところでも、相手の呼び方はその人が通常呼びかけている形(祐巳視点で蔦子さんとか祥子様とか、令視点で由乃、由乃視点で令ちゃんなど)に統一されているのも、あまり例をみません。
 1巻の場合は視点が祐巳に固定されていたのでその辺りを見落としがちでしたが、2巻「黄薔薇革命」で令、三奈子の視点が加わって、それがはっきりとします。しかも所々で3人称が挿入され、また時には神の視点というか作者の視点で言葉が挟まれるので、人称判別のため読み始めたときは、気が抜けなくて大変でした。祐巳視点の1人称で状況説明や心の動きを語りながら、その1行後に「・・・と祐巳は思った」とか「祐巳は・・・を見つめた」なんていう3人称文体が混ざり込んでくるのです。まあ結局のところ、それらが渾然一体となって不思議な文体の雰囲気を作っているのでしょう。
 聞くところによると、私小説という分野では比較的よく見られる文章形態だそうですが、私小説など開いたこともない(大体どういう小説なのか、見当も付かない)私としては、この文体は非常に新鮮で、面白く感じました。
 あ、それから文体と言うのとは若干違いますが、1巻では、白薔薇様こと聖の言葉が嫌に丁寧で女性っぽく表現されています。初めて読んだときに、紅黄白とも同じような人達ではないのか?と思ってしまった位です。もちろん今は全巻通読してその後の聖様の活躍振りを知っているが故に、改めて読み返すとその部分には違和感を覚えます。でも、新人(もちろん祐巳)の前でまるで猫をかぶっているようにも見えて、それはそれで面白く読めました。うーん、勝手に自己解釈でいいように読んでしまうとは、我ながらかなり毒されていることが判りますね(苦笑)。
では、入り口論議はここまでにして、次の機会からはいよいよ作品の感想に参りましょう。
コメント
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