風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

対談と詩と音楽の夕べ「みみをすます」2 @TOKYO FM HALL(11月29日)

2019-12-27 02:39:53 | 

第二部(20:05~20:50) ※第一部についてはこちら

15分間の休憩を挟んで、第二部は谷川さんの息子さんの賢作さん(作曲家/ジャズピアニスト)によるコンサート。
以前谷山浩子さんが猫森集会で鉄腕アトムの主題歌(作詞は谷川さん)を歌われたときに「谷川さんの息子さんによるジャズアレンジがものすごく難しいんですっ」と仰っていましたが、賢作さんのことですネ。ちなみに賢作さんは有名どころではNHK「そのとき歴史が動いた」のテーマ曲などを作曲されています。
それにしても賢作さん、写真ではそう感じたことはなかったけれど、実際にお会いするとお父さまによく似ていらっしゃる
谷川さんのご結婚歴を思うと賢作さんの心に波風が立ったことが一度もなかったとは考え難いけれど(賢作さんは谷川さんの2番目の奥様との間の息子さん)、お二人の間のエピソードで私がとても好きなものがあるんです。谷川さんのお父様は谷川さんが大人になっても詩だけで食べていけなかった頃に文句を言わず生活費を援助してくださったそうで、だから音楽という難しい道を選んだ賢作さんに谷川さんも「お前が90になるまでは僕が面倒をみるから(だからお金の心配はしなくていい)」と言ったら、「その頃あんたはもういないでしょ」と返された、と笑。谷川さんは夫婦の関係では色々あったかもしれないけど、きっとお子さん達に対しては愛情を惜しみなく注いで育ててこられたのではないかなと、それがお子さん達にちゃんと伝わっているのだろうなと、賢作さんを見ていてそう感じました。
前置きが長くなってしまいましたが、第二部はまず賢作さんがお一人でステージにご登場。

賢:すぐ息子が出てくると皆さん思っていらっしゃると思いますが、今日はASKAや〇〇や中島みゆきにコンペで勝ってここにいるんですからね!・・・・・冗談ですよ、2~3人は信じる方がいるので。今日はDiVaで出る予定だったんですけど、ヴォーカルのまこりんが松本で舞台に出演していて来られないので、僕だけでもいいかな~と(笑)。せっかく僕だけなので、後でまた主役にも登場してもらおうと思います。

谷川さんの詩『泣いているきみ』を賢作さんが朗読。
※谷川さんは「本を丸々一冊ネットに載せるとかでなければ詩の著作権は気にしない」とご自身の本の中で仰ってくださっているので、お言葉に甘えさせていただきます…。

『泣いているきみ 少年9』

泣いているきみのとなりに座って
ぼくはきみの胸の中の草原を想う
ぼくが行ったことのないそこで
きみは広い広い空にむかって歌っている

泣いているきみが好きだ
笑っているきみと同じくらい
哀しみはいつもどこにでもあって
それはいつか必ず歓びへと溶けていく

泣いているわけをぼくは訊ねない
たとえそれがぼくのせいだとしても
いまきみはぼくの手のとどかないところで
世界に抱きしめられている

きみの涙のひとしずくのうちに
あらゆる時代のあらゆる人々がいて
ぼくは彼らにむかって言うだろう
泣いているきみが好きだと

続いて、賢作さん作曲の『We know we forget almost everything but still we remember something』の演奏。
賢:中学英語ですね。僕たちは殆ど全てを忘れてしまうけれど、それでも覚えているものがある

続いて、谷川さんの詩『愛のあと』を朗読(たしか…)、演奏(作曲は賢作さん)。
同じく『かぼちゃ』『はくしゃくふじん』の歌、演奏。賢作さん、素晴らしい表現力
賢:こういう政治家いますよね~。っと今日はそういう話はしないのだった。

賢:尾崎真理子さんは僕と同学年で、父とは長い付き合いで本もよく読んでくださっているので僕もすごく安心なんですが、それでもまだ父に敬意を払いすぎているので、もっと突っ込んでヤツを活性化させた方が面白い話が聞けると思うんですけどね~。
賢:「音楽は意味がないから羨ましい」といつも言われるんですが、意味がない・・・ですかねえ?(納得しがたそうな賢作さん笑)

ここで背後から谷川さんご登場。
俊:朗読うまいじゃない!
賢:いえいえ。
俊:(席に着いて賢作さんを振り返って)僕の紙がないんだけど?
賢:(紙をもってきて)はい、どうぞ。 ※詩が書かれた紙のようです。

※これ以降、朗読と演奏とトークの順番に関して、まっっっったく記憶に自信がありません・・・。『おばあちゃんとひろこ』と『みみをすます』のどちらが先に朗読されたかでさえ(なんか逆のような気がしてきてる…)。この第二部は私の感情がいっぱいいっぱいで…。なので以下は順不同ということで。大枠では違っていない、と思う…。

賢:この前○○(※たぶん東松山市の美術館で行われていた「へいわとせんそう」展のことかと)に行ったときに、父は「今日は沢山エネルギーをためてきたんだ」って言っていて、とても鋭い朗読を聞かせてくれたんですけど。(谷川さんに向かって)覚えてる?忘却しちゃったね。それで先週は神奈川学園っていう中高一貫の女子校で一緒にミニコンサートをして。
俊:それは覚えてる!
賢:覚えてるよね。(コントか笑) 
賢:そのあと横浜中華街で食事をしたんですけど、疲れちゃって途中で具合が悪くなって動けなくなっちゃったんだよね。
俊:うん。
賢:どこに行っても「お父さんお元気ですね!」と言われるんですけど、僕から見てると、人ってこうして歳をとっていくのかというのを感じます。
俊:僕ももっとちゃんと父親を見ておけばよかったな。
賢:ちゃんと見てたじゃない。
俊:見てなかったよ。細かいところは全然。
賢:あの頃は佐野洋子との恋愛に夢中だったから(笑)?
俊:なんでその話になるの(苦笑)!?今日はそういう話をするんじゃないでしょう?国際交流基金だよ!?(会場笑)

俊:ひろこという女の子とおばあちゃんの詩があって。聴いてください。

『おばあちゃんとひろこ』

しんだらもうどこにもいかない
いつもひろこのそばにいるよ
と おばあちゃんはいいました
しんだらもうこしもいたくないし
めだっていまよりよくみえる

やめてよえんぎでもない
と おかあさんがいいました
こどもがこわがりますよ
と おとうさんがいいました
でもわたしはこわくありません

わたしはおばあちゃんがだいすき
そらやくもやおひさまとおなじくらい
おばあちゃん てんごくにいかないで
しんでもこのうちにいて
ときどきわたしのゆめにでてきて

おっけーとおばあちゃんはいいました
そしてわたしとゆびきりしました
きょうはすごくいいてんき
とおくにうみがきらきらかがやいて
わたしはおばあちゃんがだいすき

谷川さんの「おっけー」の言い方がすごく可愛い
でも私、谷川さんのこの詩を知らなくて、この夜に初めて知ったんですが、これ、やばいでしょう・・・・・。泣くしかないでしょう・・・・・。谷川さんって決して大仰に声を張り上げたりはしないんです。終始静かに朗読をされる。なのに、とても温かいの。

俊:今日のタイトルにもなっている『みみをすます』という詩ですが、「耳を澄ます」というのは英語に訳すことができない言葉なんです。「耳をそばだてる」とかそういうのはあるんですけど。だから英訳ではただ「listening」となっています。河合隼雄さんがこの詩をとても気に入ってくれて、朗読者第一号として認定証を発行してほしいと頼まれたので発行してあげました。でもあの方が読むとイントネーションが「みみをすます ̄_ _ _ ̄  ̄」となるので、東京人の僕には違和感があったんですけど(笑)。

谷川さんによる『みみをすます』の朗読。
この朗読、予想を超えてものすごかった・・・・・。繰り返しますが、谷川さんの朗読って、決して大袈裟に感情を歌い上げたりはしないんです。でも谷川さんが朗読をすると、その詩の世界がそのままの裸の姿でこちらに届く。全ての言葉が音ではなく「世界」として届くんです。ぶつかってくるといった方がいいくらいの威力で。
この詩もその静かな口調に最初のうちはニュートラルな心持ちで聴いていると、次第にぞわぞわとただらなぬ気配になってきて(といっても谷川さんはあくまで静かに朗読されている)、このあたり↓にくると、「これ・・・・やばい・・・」と気づき始め。

みみをすます
しんでゆくきょうりゅうの
うめきに
みみをすます
かみなりにうたれ
もえあがるきの
さけびに
なりやまぬ
しおざいに
おともなく
ふりつもる
プランクトンに
みみをすます
なにがだれを
よんでいるのか
じぶんの
うぶごえに
みみをすます

そしてこの辺り↓に至ると、知らぬ間に自分がとんでもないところに連れていかれていることを知り呆然となり、時間や空間の感覚がなくなってゆく(「じゅうまんねんまえ」以降の追い込みの物凄さよ・・・)。

(ひとつのおとに
ひとつのこえに
みみをすますことが
もうひとつのおとに
もうひとつのこえに
みみをふさぐことに
ならないように)

みみをすます
じゅうねんまえの
むすめの
すすりなきに
みみをすます

みみをすます
ひゃくねんまえの
ひゃくしょうの

しゃっくりに
みみをすます

みみをすます
せんねんまえの
いざりの
いのりに
みみをすます

みみをすます
いちまんねんまえの
あかんぼの
あくびに
みみをすます

みみをすます
じゅうまんねんまえの
こじかのなきごえに
ひゃくまんねんまえの
しだのそよぎに
せんまんねんまえの
なだれに
いちおくねんまえの
ほしのささやきに
いっちょうねんまえの
うちゅうのとどろきに
みみをすます

ここで、すっと、この詩は再び私達がいる「いま、ここ」の時間、場所へと戻るのです。カメラのズームが一瞬で衛星映像から人の顔へと切り替わるように。でもそれらは「同じ世界」なんだ。

みみをすます
みちばたの
いしころに
みみをすます
かすかにうなる
コンピュータに
みみをすます
くちごもる
となりのひとに
みみをすます
どこかでギターのつまびき
どこかでさらがわれる
どこかであいうえお
ざわめきのそこの
いまに
みみをすます

みみをすます
きょうへとながれこむ
あしたの
まだきこえない
おがわのせせらぎに
みみをすます

はあ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
もうほんと言葉がない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
90分間の交響曲を聴き終えたときのような、あるいは人間や宇宙の一生を描いた長編映画を観終えたときのような、そんな気分で体がぐったり。
そこにあるのはただ谷川さんの声と詩だけなのに、こんな時空の旅を体験させられるなんて。それもとっくの昔から知っていた詩で。改めて、なんというスケールの大きく、なんという優しい詩だろう。
今更な私が言うのもなんですが、もし谷川さんの詩がお好きでまだその朗読を生で聴いたことがない方がいるなら、絶対に絶対に機会を逃さずに聴いておいた方がいいですよ(youtubeじゃなくて生で聴いて下さい)。本当に。谷川さんの朗読でしか体験できない強烈な何かがそこにあるから。

賢:こういう後に歌うのって難しいんですよ。本当は何も歌いたくないんです。武満さんが『音、沈黙と測りあえるほどに』という本を書いていらっしゃったけど、ただ沈黙していたい。
賢:(時計を確認されて)ああ、あまりもう時間がないんですね。
俊:もうそんな時間?・・・ほんとだ。(この飄々とした言い方が可笑しくて、会場笑い)
賢:『みみをすます』を朗読させる時間を僕がちゃんと考えておかなきゃいけなかったんだけど。
俊:考えてなかったの(笑)?
賢:考えてましたよ。考えてましたけど、・・・ってこうやって話しちゃうからいけないんだな。

賢:今から歌うのは、国立第七小学校という学校の校歌と、そしてこれは滅多に歌わないんですが「よりあいの森」という福岡の宅老所のために書いた歌です。

『くにたちだいななしょうがっこう』
作詞:谷川俊太郎 作曲:谷川賢作

たびしてみたい いろんなところ 
はなしてみたい しらないひとと 
ちきゅうはとっても たのしいほしだ
まなぶ みとめる たすけあう
からだとこころ すこやかに
だいじにしよう たがいのきもち
まもっていこう みどりのこかげ
ちきゅうはとっても ゆたかなほしだ
うたう ゆめみる といかける
からだとこころ しなやかに
くにたちだいななしょうがっこう

『よりあいのうた』
作詞:谷川俊太郎 作曲:谷川賢作

おはよう ごはんはまだですか
そよかぜふいて ことりもないて
いまはむかしで むかしはいまで
てにてをとれば こころがかよう

こんちは おはなししませんか
うれしいときは なみだをこぼし
かなしいときは にこにこわらい
ここがごくらく えんまもいっしょ

おやすみ よぞらがすきとおる
このよでうたい あのよにあそび
こころのおくに ほしがまたたく
ゆめかうつつか よりあういのち

賢:(『よりあいのうた』のユーモアのある温かく優しい歌詞と賢作さんの歌声に大盛り上がりな会場に)今日一番拍手が多かったですね(笑)

※賢作さんがこれらの曲を歌っているとき、谷川さんはとても穏やかな嬉しそうな表情で聴いておられました。

俊: 最後にもう一篇。なんだか恥ずかしいんですけど・・・、『生きる』という詩を。 

恥ずかしいというのは、きっと朗読を頼まれる機会があまりに多い詩だからなのでしょうね
私ももちろんこの詩は知っていて、「最後はこれか。谷川さんの詩の中ではあまり好きな方の詩じゃないのだけどなあ。でも人気がある詩だし、しょうがないか」などと不遜なことを思っていたのだけれど。
まさかの。
谷川さんの朗読だとどうしてこんなに胸に迫ってくるのぉぉぉぉぉ
『みみをすます』のときと同じで(あちらは元々好きな詩だけど)、途中から「え・・・ちょ・・・なんかやばいかも・・・・・」となり。

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

ここで涙腺決壊・・・・・を必死に堪えました。でないと自分が声をあげて泣いてしまうことがわかったから。周りもみんな啜り泣いていた。
今夜のこれまでの流れと、友人のこと、祖父母や親のこと、震災や台風で亡くなられた人達のこと、それらが一気に浮かんでしまって。
しかもこのタイミングで賢作さんのピアノが入るんだけど、それがルイ・アームストロングの”What a Wonderful World”のアレンジという。こんなドストレートすぎる演出、普段の私だったらかえって醒めてしまい涙が引っ込む状況のはずなのに、目の前のお二人の姿を見て、聴いているともうダメ。朗読が終わってピアノの独奏だけが残って、それに静かに耳を傾けている谷川さんの表情はとても穏やかで優しくて・・・。
なんか谷川さん、先月からさらに透明度が増しているような。このまま透けて空気に溶けてしまいそうで。ご自分でも仰っていたけど、もうすこし自我を強くされて人間に近付かれた方がいいです。でないと見ていて不安になります。。。

最後に賢作さんが谷川さんに「受賞おめでとうございます」と忘れずに仰って(笑)、いっぱいの拍手のなか、お二人がご退場。後ろから段差を気遣う賢作さん。

外に出てもずっとぼんやりとしながら半蔵門から電車に乗り。
金曜夜の喧騒のなか、もう少しだけあの空気の中にいたくてイヤホンをしたけど、一体いまどんな音楽を聴けるというのか。聴ける音楽なんてあるのか。
思いつくのはこれしかない。
谷川さんがお好きなグールドが弾くバッハ。ゴルトベルク(グールド晩年の、ハミングが入っている方)を静かな音量で聴きながら帰りました。記憶が薄れないうちに今夜のことをメモっておかないとと思ったけど、この選曲のせいで再び胸がいっぱいになってしまい文字を打つどころじゃなかったという

というわけでいつも以上にグダグダな、でも精一杯に書いた第二部の覚書でした。


©The Japan Foundation

©The Japan Foundation

©The Japan Foundation

谷川俊太郎×ASKA 奇跡の対談が実現(2019年2月)
賢作さんのトークの中でみゆきさんのお名前が出たのはわかるけど、なぜASKAさん?と思っていたら、こんな対談があったんですね。へえ、ASKAさんも谷川さんのファンだったのか。ASKAさんは賢作さんより2歳上ですね。
動画もありました↓

【ASKA書きおろし詩集】谷川俊太郎×ASKA 奇跡の対談

これは阿佐ヶ谷のご自宅でしょうか。谷川さんって誰が相手でも本当にいつも謙虚で自然体でいらっしゃるなあ。
そんな谷川さんだから、こちらも(といっても私は客席でお話を聞かせていただいているだけですが)自然体に、知らず自分にこびりついてしまっていた無駄なものが落ちて裸の自分に戻れるような、そんな感覚になれるんですよね。嘘で自分を防御したり誇張しても何の意味もないと自然と感じるようになるというか。ASKAさんもきっと同じだったのではないかな。映像からそういう感じ、伝わってきます
ところで谷川さんが対詩をなさっている覚和歌子さんって『いつも何度でも』の作詞の方なのか!『いつも何度でも』、大好きです

最後に、谷川さんがよく仰る「音楽には意味がない」について。
言葉というものは本質的に必ず「意味」を伴ってしまう。それが言葉というものの避けられない性質だから。でも音楽というものは本質的には「意味」は伴いませんよね。例えば、どんなに寂しそうなメロディを作ったとしても、聴く側が楽しい曲だと判断することもあり得るわけです。でも「寂寥」という単語を「楽しい」と解釈することはできません。文脈の中でそういう意味合いになることはあり得ても、言葉そのものの意味としてはあり得ない。それ自体にもう意味が伴われてしまっているから。それが言葉というものの性質だから。そしてそういう音楽の性質を谷川さんは心から愛されていて、言葉より優れたものだと考えていらっしゃるのだと思います。
ASKAさんが仰っている「音楽も嘘をつきますよ。ハンサムにみせようとか」というのは谷川さんが仰っているのとは僅かに次元が違う話で(ここはお二人の会話が少々噛み合っていない)、これもそのとおりだと思います。作曲家が音楽に対して誠実にならずに「大衆にウけそうなメロディ」を大量生産することは可能ですし(ウけそうなメロディを書くことが悪いわけではなく、自分は良いメロディだとは思っていないのにただウけそうという理由だけで書く場合のことです)。それでも、それをどのように受け取るかは最終的には聴衆の感性に委ねられるわけですよね。その余地が残されているか否かは、言葉と音楽のはっきりとした違いだと思います。ちなみに政治家などが嘘をつくのではなく敢えて曖昧な言葉を使って聴衆を誘導する、というようなことについては、また別の種類の話。


ほぼ日刊イトイ新聞 - だからからだ  谷川俊太郎と覚和歌子、詩とからだのお話。(2005年2月)

ほぼ日刊イトイ新聞 - 谷川俊太郎、詩人の命がけ。(2012年4月)

詩の朗読とインタビュー「谷川俊太郎さんに聞くー河合隼雄との思い出」(2015年10月)

谷川俊太郎さんが明かす「子どもに媚びない絵本を作ってきました」(2017年7月)

谷川俊太郎さんが「よくできた詩とは思っていない」と言う代表作「生きる」は、なぜ愛され続けるのか?(2018年9月)

谷川俊太郎さんに聞く、からだの中にある、言葉、音、音楽(2019年3月)

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする