風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

歌舞伎座新開場 こけら落四月大歌舞伎 第一部(4月11日)

2013-04-11 23:04:33 | 歌舞伎



どうも!
4日に引き続き、今回は杮茸落の第一部に行ってまいりました。
de――。
「第一部の終了→第二部幕見の発売→第二部の終了→第三部幕見の発売」のスパイラルに見事に嵌まり、結局第一部~盛綱まで、江戸時代さながらに一日中を歌舞伎座の中で過ごしてしまいました。。。
だって・・・・・、並ばないでも幕見が買えちゃったものだから・・・・・、つい。。。


【壽祝歌舞伎華彩(ことぶきいわうかぶきのいろどり) ~鶴寿千歳~】

私の鑑賞予習方法はいつも「あらすじ」&youtubeなわけですが、この演目はネット上で筋も動画も見つけることができなかったことから、まったく予備知識ゼロの観劇となりました。一体どんな演目なのか、ワクワクどきどき。こういうのも楽しいものですね~♪
そしたら――。
う・・・わぁ・・・、すっごいツボ!
まさかの平安絵巻じゃないですか!素敵素敵素敵(><)
というのも、ちょうど行きの電車の中で読んでいたのが『源氏物語』の紅葉賀の章だったのですよ。
光の君&頭中将が宮中で舞を舞う場面は、この物語の中でも特に好きな場面のひとつ。
まさにその場面さながらの舞に、大感激でした。
最初に登場するのは、染五郎の春の君と魁春さんの女御。
涼やかな薄水色の衣装を纏って桜の枝を差した冠をのせた染五郎は、光源氏が物語の中から飛び出てきたような美しさ。染五郎って薫は演じたことがありますが、光源氏はないのですよね。この人、生真面目な薫よりも、プレイボーイな光源氏の方が絶対に似合うと思うんだけどなぁ。
しっとりとした女御と、すっきりとした春の君の舞は、まるで絵巻物の一頁を眺めているようでした。染五郎の舞は優雅さに少々欠ける気もしましたが、顔が美しかったから許しちゃいます、笑。
そして、宮中の男達&女達10名が勢揃いした舞台の華やかなこと!
それぞれの装束の色合いが、もう、たまらなく美しい。。。。。。私は襲の色目の本を一日中でも飽かずに眺めていられる人間なので、こういう演目は至福以外の何物でもございませぬ。いつまででも観ていたかったです。
橙色衣装の壱太郎くん、みーっけ。相変わらずカワユイ。青い装束の松也とよくお似合い^^
そして、中央のセリから藤十郎さんの鶴がご登場~。白生地に金糸と銀糸が刺繍された衣と透けた白い上衣が美しい。ゆったりと大らかな舞で、おめでたい気分をたっぷりと味わわせていただきました。
若手の皆さんの舞はまぁ、ビミョー・・・?な感じでしたが^^;、全体としては大満足でした♪


【十八世中村勘三郎に捧ぐ ~お祭り~】

三津五郎さんの踊りがカッコいい!
そして勘九郎と七之助が七緒八くんの手を引いて花道から登場し、三津五郎さんと中村屋ファミリーが舞台でそれを迎えたときには、中村屋にそれほど深い思い入れのない私でさえ、涙が出ました。。。
彼らがみんな笑顔なだけに、余計に。。。。。。
「さぞ十八代目も喜んでいることでありましょう」。だから泣かせないでってば、三津五郎さん・・・(><)!
しかし鳶頭姿の勘九は、惚れ惚れするいい男ですね。
芸者姿の七も色っぽくて、七緒八くんと三人で床几の上で寛いでいる姿は、“妻に先立たれた若いお父さん+その恋人の芸者”以外の何物にも見えませんでした(笑)
この演目は、床几に座って寛いでいる中から一人or数人が順にさっと前に出て踊り、残りの者達はそれを楽しげに眺めている、という構図なのですが、それが大変ツボでした。こういう振付、かっこよくて大好きなんですよ。BBLのディオニソス組曲の祭りの場面と同じ。ただ勘九の踊りは少々真面目風というか、祭りの粋なノリがもうひとつ感じられなかったのがちょっと残念でした。
みんな勢揃いの最後の見得は華やかで大満足。お父さんが気になって仕方がないという風にちらちら勘九の顔を振り返っている七緒八くんが可愛かったです^^
勘三郎さんの「お祭り」も、この歌舞伎座で観てみたかったなぁ。


【一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) ~熊谷陣屋~】

さすがは人気演目。見応えがありました~。
玉三郎さんの相模と菊之助の藤の方は“母親”の雰囲気があまり感じられない気がし、個人的には少し残念でしたが(さよなら公演の藤十郎さん&魁春さんの印象が強すぎるせいか・・・)、仁左衛門さんの義経が!絶品!
品があり、将としての冷静さがあり、そして人としての情があり。勧進帳と同じく、この義経は「この人のためなら命も投げ出す」と家来達に感じさせるような魅力が必要で、それがないと舞台自体に説得力がなくなってしまうような、登場場面は少なくても大変重要な役だと思うのです。
弥陀六に「堅固でおったな」と言うときの微笑みも、「熊谷には子供を殺させておいてよく笑ってそんなことが言えるわ」と普通なら思ってしまうところですが、この義経の場合はそう感じさせないんですよね。彼はなすべきことを命じただけで、彼の中には熊谷に対する負い目は一切ないのです。あるのはただ、透明な哀しみのみ。勧進帳の義経が弁慶たちに負い目がないのと同じです。だから自分の両親の回向も熊谷に頼んだりできちゃうわけです。大将というものはこうでなくちゃなりません。そしてもちろん熊谷の側にも、「命令されたから仕方なく殺した」などという感情はないでしょう。
最後に立ち去ろうとする熊谷を「こりゃ」って呼びとめるところも、良かったなー。で、最後にもう一度息子の首を見せてやり、自分は顔を背ける。これは「非情な命令をした自分はとても熊谷に顔向けができない」というわけではもちろんなくて、熊谷の息子との最後の別れの場に自分はいるべきではない、ということなんだと思います。(主であり、しかも息子を殺す命令を下した)自分がじっと見ていたら、熊谷は存分に悲しむことができない。だから「私はお前を見ていないぞ。だから存分に息子との別れをしろ」と態度で示してあげたのだと思います。だから熊谷は存分に悲しむことができた。いい主だなぁ。。
それから地面に蹲った熊谷に再び視線を戻し、そして静かに目を伏せて、そのまま幕。やはり致し方がなかったとはいえ、義経にも、いたたまれない哀しみがあるのでしょう。この最後の一連の義経は本当によかった。
一言でまとめると、仁左さま、美しすぎ・・・(オイ)。こんな色っぽい69歳、反則でしょ。
そして吉右衛門さんの熊谷。もう何も言うことはないです。これほど魅力のある義経に全く負けていないなんてスゴすぎる。
心の奥から絞り出たような「十六年は一昔」・・・・・、もう・・・・・(泣)
法螺貝と陣太鼓の音に反射的に武士の顔に戻り、それからそんな自分に気づいて小さく首を振るところなんか・・・・・、うぅ・・・・(号泣)
熊谷という人間が生きてきたこれまでの人生と、これから生きていくであろう人生を、すべて一本の花道で表現しきった吉右衛門さんに拍手!!!!!
すばらしい舞台を、本当にありがとうございました。


②につづく

『熊谷陣屋』(2回目)

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