風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

歌舞伎のアイデンティティー

2013-09-12 21:38:07 | 歌舞伎

“新作歌舞伎”と銘打っているとは言え、“歌舞伎座”で上演している“歌舞伎”だ
確かにそんな雰囲気な幕切れではあるから、分かりたくなんかないけれども、それでも気持ちは分からないでもない
今日までに何回となく、夜の部終演後のカーテンコールをせがむ人に遭遇した
感心出来ないし、はっきり言ってよして欲しい
(中略)
演劇にはそれぞれ各ジャンルでルールが有る
“カーテンコールと云う物は存在しない”、これもまた“歌舞伎”のルールの中の一つだと思っている
その代わりと云うか代替、同様の物として「口上」や“切り口上”、“引っ張りの見得”、“幕外の六方”と云った演出方法が有るのではないかな
そう云う所にこそ“歌舞伎”特有の美学が有るのではないかな
だから、他の演劇に出演した時、する時はカーテンコールをやる事は有ったし、これからも有るだろうが、“歌舞伎座”で“歌舞伎”として上演している「陰陽師」
この演目でカーテンコールに出て行く事は、僕は無い
(中略)
「時代遅れ」と言われようとも「頑固」と言われようとも、事実なのだから構わない
そう云う、小さいけれども深く、濃い、核の大切な部分を蔑ろにしてしまうと、行く行く歌舞伎と云う演劇はそのアイデンティティーを無くして、他の演劇に埋もれてその姿を失ってしまう気がする
僕にはそれが一番危ぶまれてならない


本日の松緑のブログより。
よくぞ言ってくれました!!
まっっったく同感でございます。
松緑のファンになってしまいそうだわ。

まぁちょっとだけお客さんを擁護させていただくと、『陰陽師』の場合は初めて歌舞伎を観に来られたという方が他の演目よりは多いと思うので、歌舞伎のルールを知らなかっただけではないかと。
だからこそ役者さんには、「カーテンコールには応えない」姿勢を貫き通していただきたい。
このルールを崩したら、本当に歌舞伎というものが土台から崩れてしまうように思います。
自主公演やスーパー歌舞伎ではなく、『陰陽師』は“歌舞伎座の”本興行の“歌舞伎”です。
その区別だけはキッチリとつけていただきたいのです。

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