風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

文化レベルと観客レベルについて

2013-09-24 00:37:17 | 歌舞伎

読者あるいは観客は、お金を出して自分のレベルよりちょっと高いものに憧れてるんですよ。ところが編集者は売れることばかり考えて、視聴率ばかり考えて、「この程度だと観てる人あるいは読む人は難しいんじゃないかな」と思って相手に合わせちゃおうとする。それはレベルを下げてるんですよ。それが駄目になる証拠なの。みんな自分のレベルよりちょっと高いものに憧れて、わからなくてもそれを読んだということに満足を得るんですよ。そこのところを何か製作者が間違っている。お芝居でもそうですよ。馬鹿にしてますよ。その馬鹿にしてるっていうことがわかるんですよ。…本を作ってる人でも、こうやったら売れるんじゃないかと下げれば下げるほど売れなくなるの。聴衆を馬鹿にしちゃいけません。読者を馬鹿にしちゃいけません。

(瀬戸内寂聴、美輪明宏、平野啓一郎 『ボクらの時代』より)


瀬戸内さんと美輪さんのこの意見は、以前熊川哲也さんが言っていたこととほとんど同じです。
大事なことなので、もう一度引用しちゃいますよ。

「観る側の人間に受信力がなければその文化だって絶えていくし、だからこそ敷居を下げますと、万人受けするんですと、誰もが観ても楽しいんですというのは育たない。なぜなら、敷居を下げればすぐ入ってくる、すぐ逃げてく」

全くそのとおりだと思います。
客は敷居の低い作品をいつまでも飽きずに楽しむほど馬鹿ではありませんから、一時的には客を喜ばすことはできても、長期的に見れば「(敷居は)下げれば下げるほど売れなくなる」。
そして、それに気付いた頃にはもう手遅れです。
特に伝統芸能と呼ばれるものにおいては、一度壊れてしまった文化は決して簡単には、あるいはもう二度と、元に戻ることはありません。

松竹さん&染五郎には、そのあたりをよぉーーーっく考えていただきたい。
もちろん染五郎が客のレベルを低く見たとか、人気をとろうとしたとか、そんなことは微塵も思っておりませぬ。
拍手をしてくれたお客さんの多くは心から舞台を楽しんでくれたのでしょうし、染五郎もそれが嬉しかったから感謝の気持ちを示したのでしょう。
ただ、その行為が歌舞伎の「文化」という面にどういう影響を及ぼすか少しだけ考えてみていただきたいと、また、決してカテコを喜んでいる客ばかりではないということに気づいてほしいと、私が言いたいのはそれだけです。
ほんとに。。。

これからは歌舞伎座で歌舞伎を観るときカテコの心配をしなければならなくなってしまった。。。
歌舞伎座だけはと安心していたのに。
今回は新作だからだと思いたいけれど、それも断言できないですしね。。。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの・・・

2013-09-24 00:37:09 | 歌舞伎

もう私・・・・・本気で松緑の熱烈ファンになっちゃってもよろしいですか・・・・・・・・? >『陰陽師』で染五郎がカーテンコール

変わっていくべき部分と変わってはいけない部分、それぞれがあってこそ“生きた”芸能といえる。
それはそのとおりだと思います。
思いますが。
歌舞伎のカテコに関していえば、私は「変わってはいけない部分」の方だと思うのですよね。。
私自身、ずっと歌舞伎離れしていてミュージカルばかり観ていて、今年一月に数年ぶりに歌舞伎を観たときにカテコのない潔さに「これぞ歌舞伎!」とひどく感動し、歌舞伎に戻ってきた思い出があります。
カテコなんて歌舞伎以外の舞台でいくらでも観る機会はあるけれど、「カテコのない感動」は歌舞伎でしか味わうことができないのに、なんだか歌舞伎が自らその美点を捨てているようでもったいなぁと思ってしまうのです。
「カテコのない感動」を客に与えるのも歌舞伎役者の大切な素敵な仕事の一つだと私は思うのですが、染五郎はその美点に自信を持てていないのかしら・・・。「慣例だから仕方がないけど、本当はお客様はみんなカテコを望んでいるはず、やればみんな喜んでくれるはず」と勘違いをしているのだろうか。
今夜はじめて歌舞伎座で歌舞伎を観たお客さんは、「歌舞伎もカテコをするもの」と認識してしまったことでしょう。

松緑の言う「そう云う、小さいけれども深く、濃い、核の大切な部分を蔑ろにしてしまうと、行く行く歌舞伎と云う演劇はそのアイデンティティーを無くして、他の演劇に埋もれてその姿を失ってしまう気がする」という危惧は、決して大げさではないと思います。
歴史的建造物と同じで、「文化」というものは放っておいたら消えていくのなんてあっという間ですよ。
「本当に良い物なら多少のことがあっても残るはず。残らないならそれだけの物ってこと」というもっともらしい意見があるかもしれませんが、そんなのは詭弁にすぎません。
ちゃんと意識して守らないと駄目なのです。
前から繰り返し言っていますが、日本人はヨーロッパの国々に比べてそういう危機感があまりに低すぎると思うのです。

せめて千穐楽だったならともかく、通常の公演日にやった以上、しっかり今後の歌舞伎座の前例になってしまいました。
「我々は堂々と歴史を作りました」
そうですね。。。
堂々と負の歴史を作ってくださいましたね。。。
ということは初日もやっぱり染五郎はカテコに応えるつもりで幕内で待機していたのかもですね。ツイッターの情報は正しかった、と。。
ああ、染よ。。。。。
せめてもの救いは他の役者が出てこなかったことですが、まだ千穐楽が残っているから安心できん。。。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする