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風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

第22回 奉納 靖国神社 夜桜能 @新宿文化センター(4月3日) 

2014-04-04 23:03:31 | その他観劇、コンサートetc




昨夜は、夜桜能に行ってきました。といっても雨天のため会場は新宿文化センターに変更でございましたが・・・。名前から想像していたよりはきちんとした会場で、立派な桜が舞台左右に置かれていました。こちら↑は舞台右側の桜。
しかしこれほど観ていてストレスの溜まった公演は初めてでした。。。
ジャンパーを着た運営スタッフの人たち(バイトくん?)のマナーが酷すぎ。。。
後方のお席(五千円也)でしたが、お能の最中にパタパタと通常の足音で歩き回る、普通の大きさの声で話す、幾度も出入りしてその度に扉を思い切りバタンッと閉める・・・。
歌舞伎座のスタッフさん達がいかにマナーが宜しいかを痛感いたしました。

まぁそれはいいとして(よくないけど)。
今回改めて感じたのは、やっぱり能というのは屋外の芸能なのだなぁ、ということ。
そもそもお能を観たのは人生2度目で、1度目は昨年秋の鎌倉薪能。
そのときに強く感じたのが、自然が能舞台にいかに大きな効果をもたらすかということでした。
風や木々のざわめき、薪のはぜる音、それ自体が極上の音楽で。
同時に、ほんの時折聞こえる車のエンジン音など現代の人工音がいかに美しくない音であるかを実感させられました。
同じ人工音でも、鼓や笛は自然の音と対立しません。どころか、まるで自然の一部のように感じられました。鼓や笛と自然の音のアンサンブルの素晴らしかったこと――。
照明もまた同様で、絶えず色と姿を変える薪の炎の美しさ。対する、人工のライティングの風情のなさ。
私達は文明の発達とともに、自分たちが思っている以上に貴重なものを失ってしまったのだなぁ、と感じたものです。

今回は屋内会場でしたので、そういう自然からの効果が当然ながら一切ありませんでした。
防音壁による不自然な静けさと無粋な人工音(上の非常識スタッフの音ですよ)の中で、客は座席からじっと舞台を見つめる。
何かが違う違和感。
歌舞伎でこの違和感を殆ど覚えないのは、歌舞伎が元々芝居小屋で行われてきた屋内の芸能だからではないかと思います(出雲阿国まで遡れば別ですが)。
でも能は違う。能は自然とともにあることが大前提にある芸能なのだと思います。
花や木や風とともにある。それは能のアイデンティティといっても過言ではないように思うのです。

昨年の薪能で演じられた演目は『高砂』(シテは金春安明さん)でしたが、その地謡の中にこんな詞がありました。

有情(うじょう)非情のその声、みな歌に漏るることなし。草木土砂、風声水音まで、万物の籠もる心あり。春の林の東風に動き、秋の虫の北路に鳴くも、みな和歌の姿ならずや

自然の風を肌で感じ、木々や虫の奏でる声を聴き、薪の炎と月の光に照らされた舞台を観ながら、私は閑吟集の序文を思い出しました。

小歌の作りたる、独り人の物にあらざるや明らけし。風行き雨施すは、天地の小歌なり。流水の淙々たる、落葉の索々たる、万物の小歌なり

人と自然がこんな風に付き合うことが当たり前であった時代の感覚が、今も能の中には息づいているのではないでしょうか。だからそうではない人工的な環境で能を観ると、体が本能的に違和感を覚えてしまうのではないか、と。

前置きが長くなってしまいましたが、昨夜観た『二人静』は大変に美しい演目でした。
後シテは梅若玄祥さん。体格のいい方なので観る前は「ちゃんと二人の静に見えるのかしら…」と不安でしたが笑、見えました!すごい!
玄祥さん、お声が素晴らしいですね~。ちょっと独特で、この世にあらざるモノの凄みを感じました。

シテが橋掛かりで気配なく佇んでいるところ、二人の静が向かい合って立ち尽くすところ、ゾクっとするような空気感だった。そこだけがこの世ではないような、何か無限の静寂のような。
そして、静の面のなんと表情豊かなこと。笑っているようにも、泣いているようにも、怒っているようにも見える不思議な美しさ。私は能に関する知識は皆無ですが、能ってこの面の存在だけでも世界遺産になる理由は十分なのではないかしら。
うーん、つくづく満開の桜の下で観たかった。


★舞囃子 「安宅」  
 シテ 梅若紀彰
 笛 松田弘之  小鼓 大倉源次郎  大鼓 大倉慶乃助
 地頭 松山隆之 副地頭 谷本健吾
 地謡 川口晃平 土田英貴
★狂言 「蚊相撲」
 シテ 野村萬 アド 野村万蔵  アド 野村太一郎
★能   「二人静」   
 シテ 梅若玄祥  ツレ 角当直隆
 ワキ 宝生閑
 笛 松田弘之 小鼓 大倉源次郎 大鼓 大倉慶之助
 後見 梅若紀彰  山中迓晶 
 地頭 山崎正道  副地頭 小田切康陽
 地謡 谷本健吾  松山隆之   川口晃平  土田英貴


二月文楽公演 第三部 @国立劇場(2月12日)

2014-02-15 17:23:01 | その他観劇、コンサートetc




昨夜は殆どの日本国民と同じく男子フィギュアを明け方まで観戦しておりました。
なんかいっぱい元気もらった~。
彼らに比べると、私の普段の仕事のプレッシャーなんて蚤のようだわ。
ソチのみんな、感動をありがとう

話は変わりまして。
先週水曜日の夜、人生初の文楽に行ってきたのですよ。
先月初春歌舞伎を観に行った国立劇場で、たまたまこのチラシ↑が目に入り。
その時の衝撃といったら――。

え、これ、人間・・・・・じゃないんだ

と。
魂や心などないはずの人形から溢れ出るこの恋情・・・。
もしや文楽って、私が思ってるよりずっとモノスゴイものなのでは・・・。
この八重垣姫の如くすっかりこの写真の虜になってしまった私は、この人形が動いているところが見たいっ!と、帰宅し即チケットをGet。

※6列目中央
お〇ぴで4200円という格安で譲っていただきました。
初文楽を最高のお席で観ることができて幸せでした。


【御所桜堀川夜討~弁慶上使の段~】

今回の2演目は歌舞伎でも見たことがない、完全な初見でした。
なにしろ初文楽なので、何もかもが新鮮。
とーざいとか言っちゃうんだ!床の紹介とかするんだ!動かないでじっとしてる人形がふっと動き出すのも仮名手本と同じだ!うわ、人形って目まで動くんだ!なんか時々宙に浮いて見える!

しかし歌舞伎は観ているものの未だに義太夫に不慣れな私は、舞台左右の字幕にどれほど助けられたことか。。事前に床本に目を通してはいたものの、やはり有難かったです。
そんなド素人な私にも今どの人形が喋っているかがすぐにわかる大夫さんの語りって、すごいわぁ(ちなみにこの段は英太夫さん) 
そして歌舞伎も派手ですが、文楽も派手ですね~。もっと厳かなものかと勘違いしていたので、意外でした。見せ場は思いきり見せ場!って感じで(おわさも弁慶も語る語る、笑)、なるほど歌舞伎の元?なだけある。

お話としては、一言、弁慶にムカツキましたyo。
熊谷には腹が立たないのに、どうしてこの弁慶にはこんなに腹立つのかしらと思ったら、殺す相手が息子じゃなく娘だからです。男の子の場合は、主のために死ぬのも仕方ないかなと思えなくもないのですが、女の子はなぁ。。
信夫ちゃん、切なかった。。人形の動きも本当に若い女の子という感じで。この人形遣いさん(吉田一輔さん)、まだお若い方なんですね。

とまぁ、なかなか楽しめた前半ではありましたが、ゾクゾクするほど大感動!というわけでもなく。
このときは、なるほど文楽ってこういう感じなのかぁ、ふむふむ、という感じだったのです。
しかし次の演目で、私は文楽の本領を見ることになったのである。


【本朝廿四孝~十種香の段/奥庭狐火の段~】

もう。。。。。八重垣姫(簑助さん)が凄すぎて。。。。。。。。。
勝頼(玉女さん)も濡衣(文雀さん)もとってもよかったけれど、目が自然と八重垣姫を追ってしまう。
ちょっとした小さな仕草もひどく魅力的で、この人形から全然目が離せませんでした。
この自由さ、華やかさ、可愛らしさ、いじらしさ、一途さ、そして少女と大人の狭間の艶。
なんか、玉三郎さんを思い出しました。
例によって肉食系な赤姫さまですが、嶋大夫さんの語りとともに、どこか古風な雰囲気も漂っているところが素敵。

そんな姫さま、後半の『狐火~』ではガラリと雰囲気が変わります。
ここから大夫は呂勢大夫さんに、人形遣いは勘十郎さんに交代。
同じお人形でも、大夫さんと人形遣いさんが変わるとこんなに個性が変わるんですねぇ。驚きました!
こちらは、好きな人のためなら諏訪湖どころか太平洋だって渡っちゃいそうな現代的なお姫さま


八重垣姫@アルジェリア(from 産経新聞

いやぁ、楽しいですねぇ。
同じ役を色んな役者が演じる歌舞伎がクセになるのと同じで、文楽も同じ演目を色んな演者で見てみたいと思わせられました。
「コクがあって華やか」なのは前半の演者さん達で、「クールで派手」なのは後半って感じ?
簑助さん&嶋大夫さんで後半を演ったらどんな感じになったのか、ちょっと見てみたかった気もしましたが。
でも勘十郎さんの八重垣姫、ちょっと上を見上げる角度は綺麗だったな~。透明で澄んだ夜の空気を感じた。呂勢大夫さんのお声とも、とても合っていたように感じました。

あとこの『狐火~』、三味線がもっのすごくカッコいいですね。
三味線の音って大好きなんですけど、歌舞伎ではあまり意識したことありませんでした。どうしても視界に入るものが人間だとその表情とかに意識がいってしまって、なかなかそこまで余裕がないといいますか(なにしろ歌舞伎もド素人なので)。
でも今回は床が近かったせいもあるかもしれませんが、思わず三味線を見てしまいました。清治さんていうのかφ(・_・

来週は一部と二部に行ってまいります!(←節約はどうした)

しかし今回、橋下市長の発言などを考えながら改めて思ったのは、歌舞伎もバレエも文楽も能も、こういうものの素晴らしさは理解できない人にはまったく理解できないのだろうなぁ、ということでした。
そういう人達にとっては、人生に完全に不要なものなんですよ。なくても生きていけるどころか、本気でまったく良さが理解できないのだと思います。こういうものに感動したことが一度もないから、「伝統」も単なる「古い因習」にしか思えないのでしょう。私などからすると、ぞっとするほど味気ない人生だなぁと思いますが。
しかし実際にチケットが売れていないのだとしたら(今回は満席でしたけど)、国の大半の人が必要としていないものに公的資金をあまり使うのはどうか、というのも正直わからないでもありません。
でも考えてみていただきたいのは、いま大半の国民が必要としていないとしても、それはあくまで「現代の客」だということです。「未来の客」は違うかもしれない。それは私達の子供たち、孫たち、そして更にその子供たちの話ですよ。決して現代の私達の一般的な価値観が“正しい”とは限らないことは、歴史が証明しています。
時代も人も変わります。そして「伝統文化」というのは、一度途切れたら二度と取り返しがつかないものです。
伝統文化がどういう性質を持ったものか、何百年も続いてきたものの価値を一時の数字で安易に判断することが、いかに自国の未来に重大な損害を及ぼしうるか。
決して、簡単に答えを出していい問題ではないのですよ。
文化を大事にしない国に、未来はありません。


※アーティストインタビュー:豊竹呂勢大夫(主に『曽礼崎心中』についてですが、なかなか興味深かったので)


泣きなさい 笑いなさい

2013-09-28 00:43:31 | その他観劇、コンサートetc


隣りの若くて弱っちい男の子が、この映画観終わって「そんな人だって知らなかった―」なんて叫んでた。そうだよ、だから日本は面白かったんだ、命がけで面白がらせた人たちが、黄色い髪したすごい人のまわりでぜんぶ行き交ったんだ。なぜかって? それは美輪明宏が、まぶしい世界では暗く、暗い世界ではまぶしく、生きたからだ。どっちの世界でも希望でありつづけたからなんだ。

(『黒蜥蜴を探して』コメント──作家 荒俣宏


先日に続き再び行ってしまいました、美輪さんのロマンティック音楽会@PARCO劇場(26日)。
美輪さんの歌声には中毒性が・・・。

前回は気付きませんでしたが、松緑だけでなく愛之助からのお花もありました。枯れていたお花達は、さすがに正面からは移動してありました。
ロビーのお香の匂いも、前回よりしっかりと漂っていたような気がします。

美輪さんの舞台は、癒しをもらうというよりも背筋をしゃきっと正される、そんな舞台。
もう癒しなんていらんという気分になる。
そんなことより、しっかり自分の足で立って、自分の頭で考えて、自分の心で感じてめいっぱい生きなきゃって、そんな気持ちになる。
78歳と、私の倍以上のお歳なのに、あのパワー。
あの迫力で歌い切るだけでも大変なはずなのに、頭が下がります。
15時開演、18時終了。
もし私が78歳まで生きたら、きっとこの夜の美輪さんの歌と姿を思い出して力をもらうのだろうなぁと、そんなことを思いました。
外に出ると渋谷の騒々しい喧噪のなかで、普段だったら夢のようなステージの後でうんざりするはずなのに、美輪さんの音楽会の場合はそんな喧噪も不思議と不快に感じないんですよね。美輪さんが歩んでこられた人生のせいでしょうか。
まあステージ中は携帯だとか咳だとかのマナーにものすごく厳しい方でもありますが^^;

そして今回もつくづく感じましたが、美輪さんの音楽会はできれば小さな劇場で観るべき。
特にシャンソンは、大劇場よりも小劇場の狭い空間で聴く方が何倍もその魅力が引き立つように思います。
その点で、458席というパルコ劇場は理想的でした。


【第一部】
『ヨイトマケの唄』
この曲を歌うときの美輪さんの男声が、もうほんとにカッコいい!聞き惚れて聞き惚れて・・・。
この曲から次の『ふるさとの空の下で』に続く一部のラストは、神。強く、たくましく、背筋をまっすぐ伸ばして、自分に恥ずかしくないように生きなければ、と心から思わせられます。
『ふるさとの空の下に』
この曲を歌っているときの美輪さんが大好きです。私が今回の音楽会の中で一番好きな曲は、この曲かもしれません。これをもう一度生で聴きたくて、2回目のチケットを買ってしまったようなもの。
「風と共に去りぬ」のラストでスカーレットオハラがタラの土を握り締めて立つあの場面の話を、この歌の前にされていました。
長崎へ帰省する汽車の中で隣に座った青年が、この歌のモデルだそうです。その方だけが疎開していて、他の家族はみんな長崎の原爆で亡くなったのだとか。「それまでは自分は不幸だと思っていたけれど、そんなものではなかった」と仰っていました。
ステージ上の空は、この曲の最後に真っ青な透き通った青空に変わりました。


【第二部】
『メケメケ』
柔らかく飄々と艶のある美輪さんの声に、酔いしれました!まるであの超絶美少年だった頃の美輪さんを、銀巴里で観ているような気分になります。「神武以来の美少年」っていう当時のコピー、まったく大袈裟じゃないと思う。
『恋のロシアンキャフェ』
最後の「束の間の人生を」のフレーズの間に一気に人生を遡るように老婆から若返る変化が最高です。
この曲の前のトークも楽しくて好き。若かりし頃の美輪さんが、パリ?のロシアンカフェ(ロシア風のインテリアのカフェ)でフランス人の男性と食事をしていたときのこと。バンドの演奏者がテーブルにリクエストを尋ねに来たので、美輪さんが曲名を言ってチップを渡したところ、連れの男性が「そういうのは男性に任せるべきで、レディーはそんなことをしてはいけない!」と不機嫌になってしまったそうです。「私は自分がレディーだということを忘れていたんです…」と笑う美輪さんがなんとも魅力的でした^^
『愛する権利』
国際結婚への風当たりが今よりずっと強かった時代に黒人男性との間に子供を作り、周囲から酷い苛めを受け、子供とともに海に身を投げた女性。また、年の離れた同性を愛したことを家族中に非難され、家族会議の間にトイレで首を吊った名家の男性。玉三郎さんのような可愛らしい顔をした方でした、と仰っていました。その遺体を見つけたのは家族会議に呼ばれていた美輪さんで、そのときの気持ちは彼をそこまで追い込んだものに対する強い「怒り」だったそうです。前回も書きましたが、この曲を歌うときの美輪さんは誰かの人生を演じているのではなく、素の美輪さんが一番ストレートに出ているように感じられ、聴いていて心揺さぶられます。
『黒蜥蜴の唄』
曲の前のトークにて、木村彰吾さんについて「過去最高の明智だと皆さんにお褒めいただいています」と満面の笑顔な美輪さん。・・・・まあ・・・何も言いますまい・・・。
ラストの『愛の讃歌』→アンコールの『花』は、その迫力にただただ圧倒されるばかり。
『花(すべての人の心に花を)』
美輪さんはこの歌を「皆さんのために祈りながら歌います」と言ってくださいましたが、美輪さんにそう言ってもらえると本当に幸せに生きていけるような気になるからフシギです。だって本当にすごい迫力なのですもの。ステージ上の美輪さんは客席の「全員」というよりも、「一人一人」のために歌ってくれているような、そんな表情をされます。
ラスト、真っ青なドレスで、上から金色のキラキラが降ってきて、それを両手を広げてぱぁっと散らせる仕草、そして最後のゆったりと掌を合わせる仕草、本当に本当に綺麗でした。
美輪さんの生のステージに間に合うことができて、よかった。

Me Que Me Que - miwa akihiro


薔薇と宝石と絹と恋

2013-09-16 01:06:00 | その他観劇、コンサートetc




美しい。
もうこれだけ美しいのなら何だっていい、と思わせるレベルの美貌でございますな。。


というわけで、12日に行ってまいりました、美輪さんの『ロマンティック音楽会 2013』@PARCO劇場。
(その前に恵比寿に寄り『黒蜥蜴を探して』も鑑賞)

客席にものすごく目立っている人がいて、さすが美輪さまのファンは色んなのがいるな…目を合わせないようにしなきゃ…と思ったら假屋崎さんだった、笑。ロビーにはExileのAtushiさん、槙原敬之さん、野田秀樹さん、大竹しのぶさん、長淵剛さん、千住博さん、平野啓一郎さんといった有名人の方々からの胡蝶蘭が溢れかえっておりました。なぜか松緑からのも。
…しかしながら、美輪さま。枯れたお花達をそのまま飾っておくのは、いかがなものでございましょう。スタッフさん、ちゃんと水をあげてあげて…。假屋崎さん、あなたが一番気にしてあげて…。美輪さまの会場に対する美意識は、今回も私の理解を超えておりました…。

と、前回同様に下がりかけたテンションでございましたが、その舞台はというと――。

素晴らしいステージでした!!

お芝居でも人生相談でもなく、やはりこの人の本業は「歌」なのだなぁ、と思い知った3時間。
といっても全体の半分はトークで、その内容も決して全てに同意できるわけではないのは相変わらずでございましたが、その上で、それもひっくるめてこの人なのだなと納得させられてしまう。
理由は、その歌。
あれだけのパフォーマンスを披露してくださったのですから、一言も文句はございませぬ。
この人の代わりになれる人が他にいるか?
いや、いない。
そう即答できてしまう。
美輪さんて、身長161cmなんだそうですね。前方の席で観ましたが、まったくそんな風には見えなかったなぁ。

そしてこれは『黒蜥蜴』でも感じましたが、あれほどの歌い方をしているのに自分に酔っている感じが一切なく、客席は興奮していてもステージの上は常に醒めている。悪い意味ではなく、醒めている。それは、美輪さんがMCで話されていた「常に頭は冷たく、心はあたたかく」という言葉に通じていることのように感じました。
ふと思い出したのは、檀さんのこの話。価値の転換が幾度も行われた時代を、生きてきた人。
歌の中で若い青年にもなる、場末の娼婦にもなる、老婆にもなる、歌姫にもなる、怪盗にもなる、悪魔にもなる。
そんな「美輪(丸山)明宏」という人間とそれを取り巻く世の中を、本当のこの人は常に一歩引いたところから冷えた頭で見つめながら、生きてきたのではないだろうか。
歌を聴きながら何人分もの人生を観、同時に美輪さん自身の78年間の人生をも観ているような気にさせられる、そんなステージでした。

セットリストは、次のとおり。
どの曲もyoutubeやニコ動にあがっていますので、ぜひ上から順に聴いてみてください。
生の迫力には到底及びませんが、少しだけステージの雰囲気を感じていただけるのではないかと思います。


【第1部】
テーマは戦争。
舞台背景は、夜の街。
美輪さんは、青いサテンのシャツに黒のパンツ、短い黒髪。
一曲目から衝撃的ですよ。
あれほどマイクを離しているにもかかわらず、その声量。とても78歳とは思えません。
そしてその圧倒的な表現力。

『悪魔』
『亡霊達の行進』
『祖国と女達(従軍慰安婦の唄)』
美輪さんが男性だという事実を、一瞬本当に忘れてしまいました。
『星の流れに』
1部ではこの曲のみ、美輪さん以外の作詞・作曲です。
戦後、夜の街で流行った歌だそうです。
『ヨイトマケの唄』
色々な方がカバーされているけれど、美輪さんのオリジナルがやっぱり一番!
『ふるさとの空の下に』
1965年発表。「ヨイトマケ」のカップリング曲。
からだにゃ傷もあるけれど 心に傷はないはずだ

【第2部】
20分の休憩を挟んで、2部のテーマはロマンティック。
一転して明るい南の海と色とりどりの薔薇のセットに、美輪さんは明るい真っ青なドレスと長い黒髪。

『メケメケ』
1957年発表。「だけどそれがどうしたの?」の意。フランスのシャンソンを美輪さんが訳した歌。
『恋のロシアンキャフェ』
表現の変化が素晴らしいです。
『水に流して』
『黒蜥蜴の唄』
1968年発表。三島由紀夫が自決の前に薔薇の花束を持って美輪さんの楽屋を訪れたことを、さきほどwikiで知りました。
『愛する権利』
今回の曲目の中で素の美輪さんが最もストレートに出ているのは、おそらくこの歌だと思います。
『愛の讃歌』
ピアフの原曲を美輪さんが訳した、無償の愛を歌った歌。

~アンコール~
『花(すべての人の心に花を)』 
一旦幕が下りて、それからほぼ間をあけずに再び幕が上がり、アンコール。
昨今の「どうせお約束なのに長時間手を叩くことを要求される」アンコールと異なり、すっきりとスマートで好感がもてました。
曲が終わった後もすぐに照明が点き、潔いです。
…はっ、松緑から花が届いていた理由はこれか! ←ちがう 
※追記:松緑のお父様(初代辰之助)が生前に美輪さんと舞台で共演されたそうです

美輪さんはこの歌を、輪廻転生を歌ったもの、と解釈されているそうです。
私はいわゆる小説的な輪廻転生は信じてはいませんが、そうだったらいいな、とそんな風に感じました。
辛い人生だけど、みんな、ずーっとずーっと色んな人生を繰り返し生きてきて。
最後の美輪さんの
「どっちが先にそこから抜け出せるか競争です。一緒に頑張りましょう」
という言葉に不思議な元気をいただけました。
ありがとうございました。
アンコール曲に入る前に「次はいつお会いできるかわかりませんからね」と笑って仰っていて、最近は体調面から仕事を減らしてもらっているとのこと、ぜひお元気でいつまでも頑張っていただきたいと思います。

以上、「憲法改正には皆さん絶対に反対してくださいね!」というような言葉をはっきりと仰いますし、その他美輪さんのいろいろな部分を割り切れない方には、この舞台は受け付けないと思います。ですがそうでない限りは、先入観をもって観ないでいるのはあまりにもったいない、そんな舞台でした。

今年は美しくて圧倒的な舞台をいっぱい観られた年だったなぁ。。。(まだ終わっていませんが)
辛くて大変なことは毎日いっぱいあるし、本当に生きているだけで精いっぱいなのだけれど、それでも、幸せです。

さぁて。
薔薇のソルトのお風呂に入って、天平の香りのお香を焚いて、眠るとしましょう。
なんて幸福な初秋の夜(外は台風ですが)。


※2回目(9月26日)鑑賞の感想はこちら


「美輪明宏/ロマンティック音楽会2013」
「美輪明宏ドキュメンタリー~黒蜥蜴を探して~」
 特別インタビュー

大反響の『ヨイトマケの唄』も
わたくしは元祖シンガーソングライターと言われていますが、働く人や弱者の心や立場を歌いたかったから始めたのです。今年の「ロマンティック音楽会」の第一部では、そういうワークソングや世の中に対する警告などを歌った、精神性の強い曲をお届けしようと思っています。たとえば、昨年末のNHK紅白歌合戦で大きな反響をいただきました『ヨイトマケの唄』はもちろんのこと、軍需産業に携わった人々への呪いを歌った『悪魔』、世界中の戦争犠牲者たちが夜ごと行進して反戦を唱える『亡霊達の行進』、従軍慰安婦のことを綴った『祖国と女達』、終戦後の流行歌『星の流れに』。そして、長崎の原爆孤児が故郷の土を握りしめて、決して負けずに生きていくと誓う力強い歌『ふるさとの空の下に』で締めたいと思っています。

ロマンティックで華やかな時を
対して、第二部は華やかに。人情味の溢れる叙情的でロマンティックな深く大きな愛の歌を、若い方はご存知ないかもしれませんが――シャンソン・ド・ファンタジスト=歌を演じるという表現で、お贈りいたします。今までは「愛/L'amour」をテーマにしてきましたが、この秋は「心/Le coeur」をテーマにしたいと思っているんです。この「心」というのは曲者で、持ち方ひとつで明るくも暗くもなるんですよね。そういうお話も交えながら、皆さんと共に現在や将来を見つめ直して、考え直す機会にしたいと思っています。

音楽会・映画などが重なる不思議
9月のパルコ劇場での音楽会と同時に、わたくしを密着取材したドキュメンタリー映画が、全国のいろんな映画館で上映されることになりました。1968年の映画『黒蜥蜴』を観て、わたくしのファンになったという、フランスの映画監督パスカル=アレックス・ヴァンサンが、フランスのテレビドキュメンタリー向けに撮影したものです。とてもいい出来上がりで日本でもDVD化されたのですが、まさか映画館で上映されるとは。それに『黒蜥蜴』も再上映されるそうじゃないですか。この夏にはNHKで特集番組がつくられて、10月からは野田秀樹さんがわたくしの半生を舞台化した『MIWA』が上演される。音楽会も映画も舞台も全部重なるなんて、一体なんなの!?とわたくし自身が驚いています。年忌の追悼ならまだしも、まだ生きてぴんぴんしているのに(笑)、不思議ですね。

生きるエネルギーに火を
私はとにかく、皆さんの中にある「生きるエネルギー」を再燃させるために、火を点けるお手伝いをしたいと思っているんです。そのために毎年、春には舞台を、秋には音楽会を、また私の携帯サイトや様々なメディアで身の上相談を、といろいろな活動を続けています。もしかしたら、そういう思いが多くの皆さんに届き始めたからなのかもしれませんね。


【恋のロシアンキャフェ】
「美輪さん スタンド使えそう」のコメに噴きました、笑
この曲の美輪さん、とっても素敵でした。
ニコニコ動画ですが、ぜひぜひご覧になってくださいませ。



【その他動画】
美輪明宏 ボクらの時代 /SONGS
美輪明宏 ブラボーニッポン オーラの食卓

【インタビュー】
なぜ歌い、戦い続けるのか


『黒蜥蜴』 @相模女子大学グリーンホール(6月8日)

2013-06-12 00:12:26 | その他観劇、コンサートetc




ところで今の世の中ぢや、善いことといふのはみんな多少汚れてらあね。だからあんた方は汚れた善いことの味方だから、いつまでもぱつとしないんだよ。そこへゆくと明智先生はちがふわね。あの先生はこの世で成り立たないやうな善と正義の味方らしいわ。

(三島由紀夫 『黒蜥蜴』)



先週末に行ってまいりました、美輪明宏さんの『黒蜥蜴』。
初・生美輪さまです。
美輪さんについては、前にもちょっと書いたことがありますが、この方の意見に100%同感なわけでもないのです。
ただそれはそれとして、この国にはもっともっと彼のような大人が必要だとは、心の底から思います。

そんなこんなで一度は観てみたいと思っていた『黒蜥蜴』。
今回5年ぶりの上演とのことで、昨年末の紅白の素晴らしい歌唱もきっかけとなり、チケットを購入したのは今年2月のことでした。
ですがそれから歌舞伎座にお金を落としすぎたため、誰かに譲ろうかなぁと迷いながら何気なくwikiで美輪さんのご年齢を知り――、やっぱり行くことにいたしました。後で後悔したくない。

というわけで到着した相模大野の会場。
・・・・・・美輪さまの美的センスがよくわからなくなりました・・・・・・・。
ロビーに足を踏み入れて最初に私を迎えたのが、上の写真の、とっても安っぽくて下品な真っ赤な造花のオブジェ・・・・・・・・・。
両側には『麗人だより』の宣伝ポスター。
美輪さまは一体、どういう世界を目指されているのでしょう・・・・・・・。
舞台は劇場に足を踏み入れた瞬間から始まっているという私のポリシーにとっても反します。。。
早速テンションがダウンいたしましたが、でもまぁ、かまわないです。
舞台の内容さえ素晴らしければ。
そこで夢さえ見させてもらえれば。

さて、肝心の舞台ですが。
とても良い部分と、そうではない部分が混ざった、そんな印象の舞台でした。
まず美輪さま。
台詞がときどき聴きとりにくかったり、演技力ももっとある方は沢山いるとは思いますが、さすがに黒蜥蜴の役はピッタリでした。オーラも半端ないですよ。それに、この人の舞台はきっと“美輪さま”オンステージという感じなのだろうなと勝手に想像していたのですが、最初から最後まで自分に酔っている感じが一切せず、それが意外でしたし、大変好感がもてました。舞台演出もちゃんと観客の目線まで下りてきていて、独りよがりなところが一切なく、だからといって観客におもねっているわけでもなく、良かったです。
また、ご自分が客席からどのように見えているかを常に意識されていたところも、さすがでした。たとえば、美輪さんのドレスの裾。どの角度から見ても常に美しい状態に保たれているのです。時々さっと手で直されている様子もスマートでした。こういう風に観客の目線を意識することって、舞台ではとても重要なことだと思うのです。玉三郎さんも、いつもそう仰っていますが。豪華な衣装も、どれも美輪さんにお似合いで、素敵でした。
あと、台詞。以前平幹二朗さんの舞台のときも書きましたが、あれほどもってまわった美的な言い回しの台詞(ザ・三島由紀夫という感じです)を、あんなに自然に言えること自体に感動します。

雨宮役の中島歩さん、早苗役の義達祐未さん、青い亀役の白川和子さんもとてもよかったです。

次に、イマイチに感じた点ですが。
明智役の木村彰吾さん。黒蜥蜴があれほどまで惹かれる理由が観ていて全く理解できない、そんな明智でした。。。この方をご自分の舞台で起用しつづける演出家としての美輪さんの感覚に、疑問を感じてしまいました。
あとは、舞台の時代感覚が非常にチグハグな印象を受けました。あれは狙った演出なのでしょうか。たとえば、明智の事務所に置いてある小道具のPCなどはとっても旧型で、東京タワーにいる観光客の服装などもやっぱりちょっと昔な感じです。けれど一方で、女子高生が写メを撮っていたり。。。。いったいこれはいつの時代なのだ?と。。。。現代なら現代で構わないのですが、だとすると少々詰めが甘いのではなかろうか。
また、時折挿入される笑いのシーンも、あまり面白いとは感じられませんでした。

全体的には上質なエンターテインメントに仕上がっていて楽しませていただきましたが、カーテンコールのときの観客総立ちのスタオベに吃驚。。。。
そして客席から上がる「美輪さーん!!」「ブラボー!!」の絶叫。
これらは『黒蜥蜴』という舞台に対してなのでしょうか、あるいは美輪さまという人間に対してなのでしょうか。
どちらにしても、ちょっと微妙な気持ちになりました。
決して悪くはない舞台でしたが、それほどまでに絶賛されるような舞台だとは私は感じなかったので。。。
正直なところ、カテコの素の美輪さんの笑顔と立ち姿が、舞台本編のどの美輪さんよりも一番魅力的に感じられたので、今度はコンサートに行ってみたいなと思いました。
そうそう。この夜は、NHKのカメラが入っていました。8月に美輪さんのSPが放映されるそうです。

※追記:2013年9月12日のコンサートの感想(素晴らしかったです!)


『サロメ』 @新国立劇場

2012-06-16 17:01:11 | その他観劇、コンサートetc

先日、新国立劇場で上演中の宮本亜門氏演出による『サロメ』を観てきました。
私はこのオスカー・ワイルドの戯曲が大好きなのですが(以前ここでも書きました)、原作しか読んだことがなく、舞台で観るのはこれが初めてです。
この日は亜門さんとヨカナーン役の成河さんによる予想外に濃いアフタートークもあり、とても楽しい夜を過ごすことができました。

しかし舞台自体の感想はというと、、、非常に“惜しいなぁ・・・”と感じる舞台でした。
上から目線ですいません。でも、全体的にとても良かっただけに、ほんとうに惜しいと感じたのです。
何が惜しいって、、、多部未華子ちゃんのサロメです。
このサロメ、今までのサロメのイメージを払拭する“純粋無垢なサロメ”ということで、今回の演出で一番声高に宣伝している部分なのですよ。
アフタートークによりますと、オペラの影響から、“サロメ=妖艶で官能的”というイメージが世間ではすっかり定着しているのだそうです。
もっとも原作(福田さん訳)しか読んでいない私からすると、サロメという少女に妖艶で官能的なイメージをもったことはただの一度もなく、はじめから“純粋無垢”なイメージでした(原作からは妖艶なイメージは全く感じないです)。
なので、その新演出の見せどころには、私ははじめから特に目新しさは感じていませんでした。
言い換えれば今回の新演出、私と宮本亜門さんと平野啓一郎さん(翻訳)のサロメに対するイメージは、ぴったり合っていたはずなのですよ。

が、違いました。

なぜなら多部ちゃんのサロメ、たしかに“妖艶でないサロメ”ではありましたが、“それだけ”なのだもの。
わがままで、子供ゆえの計算高さと残酷性をもっている、その辺に沢山いる女子高生たちです。
彼女の「おと~さまぁ~」とわがままに甘ったるく話す話し方、渋谷の交差点に吐くほどいる頭がからっぽの女子高生のそれにしか聞こえませんでした。あれを“純粋無垢”とは言わない。
そもそも彼女からは、姫の“気品”が欠片も感じられないのです。どんなに堕落したなかにいようと、あくまで姫である以上、多少の“品”は滲み出ているべきでしょう(王妃役の麻実れいには、それを感じられました)。
本当に本当に「ふつうのイマドキの女の子」でした。
そうなってしまうとこの話、ものすごく安っぽいメロドラマにしかなりませんよ。
兄を殺してその妻を自分のものにした王が、その連れ子である年頃の娘に色ボケし、「領地の半分をやろう」とまで言い、彼女の言いなりになって預言者ヨカナーンを殺してしまう。
つまりサロメに振り回される王も、殺される預言者ヨカナーンも、ただの情けない男二人でしかなくなってしまうのです。
あれが多部ちゃんの演技力によるものなのか、亜門さんの指示によるものなのかはわかりませんが、もし亜門さんの演出なのだとしたら、やっぱり私の考えるサロメと彼の考えるサロメは全然違うものなのだな、と感じました。
まぁ一緒に行った友達2人は「よかった」と言っていたので、感想は人それぞれですが。

以上辛口レビューをしてしまいましたが、それ以外の部分はなかなか楽しめました。
現代的な家具や衣装も面白かったし、赤黒い血が流れてくる演出もとっても良かった。
ヨカナーン役の成河さんの声がちょっと安っぽかったけど(効果がかからない、素の声のとき)。
カーテンコールでの多部ちゃんのニッコリ笑顔もとても可愛かったです。おもわず「かわいい…」って呟いちゃった。

アフタートークのサロメの解釈や三島由紀夫についての話も、とても面白かった。亜門さん、トークがうまいねー。
ただサロメの解釈のときに成河さんが何度も「ちなみに原文ではこう書かれてあります」と“英文”を引用されていたのには、ひどく違和感を感じましたが・・・。
サロメの原文は仏語で、英語じゃないですよ。英語のものはサロメの英訳であって、そういう意味では和訳と同じで翻訳にすぎません。
細かくてすみませんが、気になったもので・・・。

翻訳者(平野啓一郎)×演出家(宮本亜門)から


劇団四季 『ヴェニスの商人』 @自由劇場

2011-06-11 23:11:24 | その他観劇、コンサートetc

「損をしたと言っては笑い、得をしたと言っては嘲ける、おれの仲間を蔑み、おれの商売の裏をかく……――それもなんのためだ?ユダヤ人だからさ……ユダヤ人は目なしだとでも言うのですかい?手がないとでも?臓腑なし、五体なし、感覚、感情、情熱なし、なんにもないとでも言うのですかい?同じものを食ってはいないと言うのかね、同じ刃物では傷がつかない、同じ病気にはかからない、同じ薬では癒らない、同じ寒さ暑さを感じない、なにもかもクリスト教徒とは違うとでも言うのかな?針でさしてみるかい、われわれの体からは血が出ませんかな?くすぐられても笑わない、毒を飲まされても死なない、だから、ひどいめに会わされても、仕かえしはするな、そうおっしゃるんですかい?」

(シェイクスピア 『ヴェニスの商人』 福田恒存訳)


喜劇、、、かぁ、、、。
訳者の福田さんや阿刀田高さん、その他ほとんどの専門家の方々がこれをはっきり喜劇としている以上、やっぱりこれはシェイクスピアの時代には喜劇以外の何物でもなかったのでしょう。
じゃあその作品を、現代の私が喜劇として楽しめるかというと。

ムリ。

時代によって価値観が異なることも、それを承知のうえで読む(観る)べきだということもよぉ~っくわかっているけれど。
深く考えずに、恋あり、スリル溢れるどんでん返しあり、シャイロックに勝った男達も結局は女達の掌に転がされていた、という軽いお話として楽しむのが一番なのだろうけれど。
そう割り切ってこの作品で笑うことは、私にはムリです。頭ではわかっていても、感情が。。。
重すぎるのよ、上のようなシャイロックの台詞が。。。
特にシャイロックが最も憎んでいたキリスト教への改宗を強いられるシーンなど、胸が苦しくなってしまいます。
そうなるともう、純粋に”喜劇”としては楽しめない。

今の時代にこの作品の台詞を一切変えずに上演するなら、私が心おきなく観劇できるのは、やっぱり劇団四季やアル・パチーノの映画のような演出(シャイロックを笑い飛ばす喜劇としてではなく、ユダヤ人の悲劇とする演出)のほうになってしまいます。たとえシェイクスピアが意図したものとは違っていても。

というわけで、今日、劇団四季の『ヴェニスの商人』を観てきました。
シャイロック役を演じているのは平幹二朗さんなのですが、素晴らしかったです!舞台上でのすごい存在感。なによりシェイクスピアのあの持って回ったような長い台詞が、平さんの口を通して語られるとすっと心に入ってくる。すんなりと理解できる。これってすごいことですよ。演技がとても迫力はあるのに、極めて自然だからだと思います。役者ってこういう人のことをいうのだなあ、としみじみと思いました。映画のアル・パチーノもとっても素晴らしかったけれど、同じくらいに(もしかしたらそれ以上に)素晴らしかった。途中の箱えらびのシーンなど正直眠りそうになりましたが、平さんが登場した途端に目がぱっちりでした。

最後に、原作より(上と同じく福田さん訳です)。
グラシャーノーとアントーニオの会話。

「元気がないな、アントーニオー、きみは世の中のことをあまり気にしすぎるのだ。世間というやつは、くよくよすればするほど、ままにならぬものなのさ。本当だよ、きみはすっかり変ってしまったな」

「この世はこの世、ただそれだけのものと見ているよ、グラシャーノー――つまり舞台だ、誰も彼もそこでは一役演じなければならない、で、ぼくの役は泣き男というわけさ」

「では、ぼくは道化役とゆこう。陽気に笑いさざめきながら老いさらぼうて皺をつけ、酒びだしで肝臓をほてらせるがいい。そのほうが苦しい溜息ついて、その一息ごとに心臓を凍らせるより、よほどましだ」

もひとつ本作最強キャラであるポーシャ登場時の台詞。

「本当、私の小さな体には、この大きな世界が重たすぎるのだよ」


中島みゆき 「夜会 24時着00時発 @青山劇場」 3

2006-02-22 20:19:41 | その他観劇、コンサートetc

昨夜、夜会の2回目鑑賞行ってきました~。
良かったぁ。。。
2回目なので、余裕をもって観ることができました。
みゆきさんはもちろんですが、香坂千晶さんやコビヤマ洋一さんも相変わらずお上手!とくにコビヤマさんは、とっても良い味出されてます。
前回よりも前の席だったので、舞台が近いのも嬉しかった♪みゆきさんはつくりは言うまでもなくお美しいのですが、それだけじゃなくて、すごく良い表情をされるんですよねぇ。真剣な顔も、笑顔も、すごく綺麗で魅力的で、目が離せませんでした。

今回はじめて分かったこと。
サケたちが手にしているのって、ミラージュホテルのルームキーだったんですね。前回は席が遠くて、そこまで観えなかったのです。
そして。「980tim」が「mirage」を鏡の表裏で読んだ名前だと、実は今回初めて気がつきました、私…。前回はみゆきさんを目で追うのに夢中で、舞台のバックに980timがひっくり返ってmirageと映し出されてるのに気づかなかったんですょ。だから私的に一番の謎だった980tim。意味がわかってすっきりしましたー。
あと、第4幕の「命のリレー」、二番の歌詞は歌っていないんですね。あまりにインパクトが強かったので、フルコーラスのような記憶になっていました。

この舞台は前半(第1幕)は割とあっという間に過ぎてしまうのですが、後半がほんと圧巻。
第2幕「我が祖国は風の彼方」「帰れない者たちへ」の熱唱はこの舞台のクライマックス。この2曲とその後の「無限・軌道」あたりでは、周囲からすすり泣きが聴こえていたほど。その後の第3幕で「サーモン・ダンス」を躍るみゆきさんは、もういつまでも観ていたいくらい格好いい。
そしてなんといっても、第4幕。みゆきさんがジョバンニの恰好をして少年のような声で歌う「命のリレー」。何度観てもやっぱり素晴らしい!!迫力あるのに、可愛い!!
DVD、出てくれないかなぁ。絶対に買うのに。


中島みゆき 「夜会 24時着00時発 @青山劇場」 2

2006-02-08 21:10:30 | その他観劇、コンサートetc

「生まれ変わるという優しさとか、生命力が欲しかったんです」
~アルバム『転生』のインタビューより

さて、この夜会。簡単に言うと、みゆきさん演じるある女性の人生と、サケの一生と、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を組み合わせたようなお話です(これだけでは何のこっちゃ、という感じですが・・)。テーマは輪廻転生。
以下、感じたことをつらつらと書きますが、長いです。うざいと思ったら適当に流しちゃってくださいませ。ストーリーを消化するために自分用に書くようなものなので。また、皆さんと異なる見方だったとしても「こんな風に観た人もいるんだな」と気楽に読んでいただければ嬉しいです。

生きて泳げ 涙は後ろへ流せ
向かい潮の彼方の国で 生まれ直せ
『サーモン・ダンス』

サケは川で生まれ、海で成長し、最期はまた故郷の川へと帰り、産卵し、その一生を終える魚です。そしてその卵から新しい命が生まれ、彼らもまた同じ旅を繰り返してゆく。つまりサケは輪廻転生の象徴ですね。
またサケ達が故郷の川へ帰れずその魂が彷徨っているのは(後に読んだ粗筋によると)人間の身勝手な観光開発により川が塞がれたためですから、環境破壊の犠牲の象徴でもあります。

生まれ故郷を捨て都会へ出た主人公アカリにも、この世界に帰るべき故郷はありません(ここで歌われる『帰れない者たちへ』がすごく良かった)。
では彼女のような者達はどこへ向かえばいいのか……?

この夜会から私が想像した「世界」のイメージは次のようなものです。
まず私達の日々の暮らしの中にも、小さな輪廻転生がいくつもある。上記インタビューでみゆきさんはこう言っています。
「(今回の舞台では)ここまで育ててもらったシアターコクーンを卒業していくけれど『夜会』をやめるわけではないっていうことで、<24時着>ここで到着しますけど、<0時発>でここからもう一度旅立って行くという、必ずしもフィクションだけではないものをいっぱい込めたいという思いはありました。舞台の最初に歌った「サヨナラ・コンニチハ」という曲も、シアターコクーンとはサヨナラだとしても、また新しく始まる何かにコンニチハと言いたいです、という意味も込めていたんです。」

そして人の一生は一本のレールのようなもの。このレールは並行して無数に走っているが、人はそれらのうち一本だけを意識的にまたは無意識に選択し、その上を走る列車に乗り、進んでゆく。
そしてこの物語の冒頭のアカリはというと、デザイナーの夢は挫折し針仕事の過労で倒れるような人生を送っている。決して「当たり」の人生とはいえない。

当たりは あといくつある
残した甘菓子の中 あちらにすればと悔やんで悔やんで
取り替えたら 捨てた菓子のほうが当たりだったかもしれない
『フォーチュン・クッキー』


彼女だってそんな人生を望んでいたわけではない。よかれと思って選んだレールが必ずしも当たりとは限らない。そんなとき人は「もっと別の人生があったのでは」と思う。
時計の針を戻すことができないように、列車も同じ線路で後ろへと戻ることはない。けれど前へ前へと進んでいくことはできる。人は転轍機を動かし、線路を切り換えることはできるのだ。

動かせない 動かせない 動かせない転轍機 
この線路で掛かってるから
掛かった鎖を解く方法 思い出して
梃子を0に戻してから 次へ掛け直すんじゃないか 
それはもしや過ぎ去った時計の針と似ている
生きて泳げ 涙は後ろへ流せ
向かい潮の彼方の国で 生まれ直せ
『サーモン・ダンス』


もっとも皆が皆、その一生を終えるまでに線路を切り換え願いを叶えられるわけではない。
けれどみゆきさんの世界では、私達のレール(=一生)もまた、輪廻転生の螺旋を描いている。つまり、今生では川を失くしたサケ達にも、アカリのような者にも、ちゃんと帰るべき故郷がある。

我が祖国は砂の彼方 我が祖国は空の彼方
誰に尋ねん 空の道標を
血の色は幾百 旗印の色は幾百 限りもなく
遥か辿る道は消えても 遥か名乗る窓は消えても
遥か夢の中 誰も消せるはずのない
空と風と波が指し示す天空の国
いつの日にか帰り着かん 遥かに
『我が祖国は風の彼方』


そしてそこからまた、アタリもハズレもある、新たな人生が始まるのだ。
たとえ志半ばで倒れても、それは次の人生へ受け継ぐことができる。だからみゆきさんは「生きて泳げ 涙は後ろへ流せ」と歌う。そして「願いを引き継いでゆけ」と歌うのだと思います。サケが故郷の川まで辿り着けるかどうか分からなくても、体中ぼろぼろにして、川を上ってゆくように。
今がどんなに苦しくても大丈夫。安心して精一杯今の世界で生きておいで。あなたが流す血や涙は決して無駄にはならないから。そう歌っているように私には聴こえました。

そしてこの複数の線路は、一本の大きな「真空の川」となる。そこはすべてが無限で、始めも終わりも同じ。

行く先表示のまばゆい灯りは 列車の窓から 誰にも見えない
本当のことは 無限大にある すべて失くしても すべては始まる
無限・軌道は真空の川 ねじれながら流れる
無限・軌道は真空の川 終わりと始めを繋ぐ
『無限・軌道』


この川がどこへ向かっているのか、それは誰にも分からない。けれどその先にきっとある「ほんとうの幸福」を目指して、いつかその場所に辿り着けると信じて、今は前へ進もう。そうみゆきさんは言っているのではないでしょうか。
こういう見方をすると、最後の世界でアカリが幸せな人生を送っているのは、嬉しい気がします。それはまた、サケのもう一つの暗示である環境問題の視点から見ても、明るい未来を予感させてくれます。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでもいっしょに行こう。僕はもう、あのさそりのように、ほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」

この「人の幸せのためなら自分を犠牲にしよう」というジョバンニの決意は、アカリが夫の無実を証明するために自分は妻ではなく他人であると証言する場面に重なりますね。

「さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのために、みんなのために、ほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ」 
そのいちばん幸福なそのひとのために!
「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしにほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つの、ほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない」
~宮沢賢治『銀河鉄道の夜』 第三次稿


輪廻転生はまた、みゆきさんが一貫して歌い続けてきたテーマです。

そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう
まわるまわるよ 時代はまわる 喜び悲しみくり返し
今日は別れた恋人たちも 生まれ変わってめぐりあうよ
めぐるめぐるよ 時代はめぐる 別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出すよ
『時代』
  ※夜会の曲目外

子供の頃の私は、この歌を聞いて「今の人生で幸せになれないのならあまり嬉しくないな」と感じたものです。この歌では、今の人生では恋人達は別れ、旅人は倒れてしまいますから。当時はもっと単純な「がんばれ!」という応援歌みたいな歌の方が元気づけられました。けれど大人になってどん底の精神状態を初めて経験したとき私を救ってくれたのは、みゆきさんの歌の方だったのです。


さて話を戻して、最終幕。
ジョバンニ姿のみゆきさんが一人舞台に立ち、アカペラから「命のリレー」を歌い始めます。これはこの舞台のテーマそのもので、この瞬間のために今までの舞台があったのではないかと思わせるほどの迫力でした。それまで必死でストーリーを追って頭の中でこねくりまわしていた理屈が全部ぶっとんで、同時にこの舞台でみゆきさんの伝えたかったことがすっと心に入ってくるような不思議な時間でもありました。このみゆきさんをもう一度見たくて高いお金だして2回目のチケットを買ったようなもんです、私。

ごらん夜空を星の線路が
ガラスの笛を吹いて 通過信号を出す
虫も獣も人も魚も
透明なゴール目指す 次の宇宙へと繋ぐ
この一生だけでは 辿り着けないとしても
命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ
『命のリレー』


そして、銀河鉄道へ向かうジョバンニが笑顔で私達に手を振って、2時間半の夢のような時間は終わりました。
パッと照明がつくと別世界から戻ってきたような気分になるのはどの舞台でも同じですが、今回は特にその感覚が強烈でした。そして劇場から出ると、いつのまに降ったのか地面に雪がうっすら積もっていました。どうりで寒いはずです。
ストーリー的に私の中で消化しきれていない部分もまだまだ多いですが、こんなに迫力ある、優しい舞台を作り上げてくれたみゆきさんに心から感謝!

さて。以上長々と述べておいてなんですが、このように小難しく観なくても、このお話は充分に面白いです。それに終盤は「我が祖国は風の彼方」「帰れない者たちへ」「命のリレー」「サーモン・ダンス」「無限・軌道」と、聞かせる歌のオンパレードで、とにかく圧巻。大阪公演はこれからですし、東京公演も当日券があります。まだ観ていない方でご興味のある方はぜひ観てみてください。みゆきさんの歌からだけでも、充分に元気をもらえますよ^^。
願わくば、も~うすこしチケットのお値段が安いと嬉しいのですが(S席20000円、A席18000円、パンフ3500円)。。。
高いよ…、みゆきさん。。。

DVD『夜会vol.13「24時着0時発」』のあらすじ


中島みゆき 「夜会 24時着00時発 @青山劇場」 1

2006-02-06 00:20:19 | その他観劇、コンサートetc


青山劇場にて上演中の、中島みゆきさんの「夜会vol.14 24時着00時発」へ行ってきました。
彼女の舞台はコンサートも含めて実は一度も行ったことがなかったのですが、先日新聞で今回の夜会は素晴らしいという記事を読みどうしても行きたくなってしまい、急遽チケットを買ってしまいました。発売開始後30分で完売と書いてあったので無理かなと思ったのですが、ぴあを見たらまだ僅かに残っていたので。

さて、感想ですが。。
良かったです!!とっっっても。
買うのを一瞬躊躇わせた高いチケット代(A席18000円)も、あれならまったく惜しくない。それどころか観終わった後に(というより観ている最中から)もう一度観たいと強く感じ、帰宅してからぴあを覗いたら、すでに全公演分が完売…(T_T)。そうよね…今回こんな直前で取れただけでもラッキーだったのよね…と思い、泣く泣くvol.13のDVDで我慢するか・・とアマゾンを見たら、今回一番感動した4幕(アンコール)の「命のリレー」が収録されていないというではないですか(しかも前回はあの可愛いジョバンニ姿ではなかったらしい…)。
あぁやっぱりもう一度観に行きたい。それに私はみゆきさんも好きだけど宮沢賢治も好きなのよー…、次に夜会をやったとしても銀河鉄道ではやらないだろうし…と思うとどうしても観たい。
……待てよ。そうだ、Yahoo!オークションがあるじゃないの!
さっそくチェックしてみたら、おぉ、ありますあります夜会チケット。結局、今回よりずっと良い席を定価で落とせました。大満足♪というわけで千秋楽直前に2回目行ってまいりま~す。

ところでこの夜会。夜会というだけあって、開演が20時で終演が22時半なのです。
それがこの舞台の不思議な雰囲気にとてもよく合っているのだけれど、遠い家の人は終電大丈夫なのかなぁ(私は終電に乗るためには23時15分に渋谷の店を出る、というのが学生時代からの目安)。でもあまり急いで帰っている風の人はいないし。泊りがけなのかしら。と渋谷駅までの帰り道、そんなことを思いました。