風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『引窓』『口上』『鷺娘』 @歌舞伎座(9月25日)

2020-10-19 19:14:01 | 歌舞伎




先月、歌舞伎座の九月大歌舞伎に行ってきました。
一年ぶりの歌舞伎鑑賞で、一年ぶりの歌舞伎座です。
歌舞伎を本格的に観始めて以来、こんなに間が空いたのは初めて。
とはいってもたかが1年ぶりにすぎないのに、この歳になると記憶力がポヤポヤで、「えーと、歌舞伎座ってどうやって行くんだったっけ?そうそう日比谷線だった」と危なっかしく電車に乗り。
ポケーと電車に揺られて、停まった駅のホームにふと目をやると――




・・・・・・・・。


こんな駅・・・あったっけ・・・
わたくし・・・コロナ禍の間にいつも通っていた駅まで忘れちゃった・・・?
とさすがに自分が恐ろしくなり帰宅後に検索してみたら(わたくしスマホではないので)、今年6月にできたばかりの新駅だった。
ほっ。。。

そんなこんなで辿り着いたコロナ後の歌舞伎座。
入口で検温があったり、1階売店以外の店が全部閉まっていたり、座席のソーシャルディスタンスとか決して以前と同じではないけれど。
客席に座って舞台を見下ろすと、「日常が戻ってきたんだなあ」と何とも言えないほっとした気持ちになれたのでした。
二度と歌舞伎座は開かないんじゃないかと心配になったときもあったことを思えば、こうして劇場が開いて、舞台でお芝居が行われて、客席に観客がいるというだけで、嬉しいです

【双蝶々曲輪日記 引窓】
吉右衛門は「三月大歌舞伎」の「新薄雪物語」に出演予定だったが、コロナ禍で全公演が中止になった。三月に同演目を無観客で収録して以来、五カ月余ぶりの舞台となる。
 「家で絵を描いたり、本を読んだりしていました」と自粛期間中の生活を振り返り、「役者は舞台の上でお客さまの支援のもとに生きている商売だということを考えていました」と心の内を明かす。「花火師がいくらいてもだめ。舞台で花火を打ち上げ、それを見ていただくお客さまがいてこそ舞台は輝く。『吉右衛門です』と言って絵を描いていてもだめなんです。舞台に上がらないと生きていることにならない」とも話し、「九月は挑戦。初舞台のような気持ちで臨みたい」と気持ちを新たにする。
東京新聞

この『引窓』という演目を私は今回初めて観たのだけれど、なんて美しいお芝居だろう。。。。。。
舞台は、秋の十五夜の前日の夕方。明日は仲秋の名月のお祭りの放生会が行われます。
二階の肘掛け窓に飾られた、薄と竜胆と小菊
家族が氏神様に頭を下げて感謝をする場面には、こうして無事劇場を開けることができたことへの感謝と重なって感じられました。

罪を犯し、捕まる前に一目会いたいと母(東蔵さん)を訪ねてきた、”実の息子”の濡髪(吉右衛門さん)。
濡髪を捕まえる役目を仰せつかっていたのは、”義理の息子”の十次兵衛(菊之助)。
血の滲む努力で貯めてきた自分の永代供養のお金を「未来は奈落に沈んでも、今の想いには替えられない」と十次兵衛に差し出し、濡髪の人相書きを自分に売ってほしいと懇願する母。当時の人々にとって来世での救いがいかに大事だったかを想像すると、それを犠牲にしても息子を救おうとする母親の愛情に涙。。。
そんな母(十次兵衛にとっても血は繋がらないけど母!)の想いを受けとめて、出世後の大事な大事な初仕事を諦め、人相書きを渡して逃走経路まで教えてあげる十次兵衛。
そんな十次兵衛に、自分は彼に捕まろうと決める濡髪。
そこに九つ(午前0時)の鐘が鳴る。引窓から差し込む月明かり。十次兵衛が濡髪を捕まえる役目を負っているのは、夜の間だけ。
「あれは九つではなく、明け六つ(午前6時)の鐘だ」と、「夜が明けて今日は放生会だから、放生をするのが決まりごと。勝手にどこへでも行け」と濡髪を逃がす十次兵衛。なんてなんて優しくて粋なの~~~!!!しかも菊ちゃん、廓遊びをしちゃう男にもちゃんと見える!雀右衛門さん(お早)も、元遊女にちゃんと見える!

血が繋がっていてもいなくても、美しく清々しく優しい人達ばかりのお芝居。
心が洗われました。
やっぱり歌舞伎はいい。。。。。。

17:25に『引窓』が終了すると、コロナ対策のため客もスタッフも役者も総入れ替えとなります。なので私のように続いて『口上』も観る客は、19:15までの1時間50分、外でぶらぶらしなければならないのである。私は売店でお土産を買ったり夕食を食べたりして時間を潰しました。

【口上、鷺娘】
再び入場して客席に行くと、舞台には「朝光富士」の緞帳がかけられていました。
こういう晴れやかなお目出度さ、歌舞伎の良さだよねえ。
そして緞帳が上がり、玉三郎さんがお一人だけ舞台に登場されて、『口上』。
ああ玉さま!お久しぶりでございます~~~~
懐かしい玉さまのお声に再びの、「日常が帰ってきたんだなあ」。
黒地に雪が降っているお着物がとっても素敵
ご自身の幼少の頃からの歌舞伎座への想いと今の世界を絡めたお話でホロリとさせつつ、しっかり笑いもとる玉さま(さすが)
今回口上で舞台に映し出された”バックステージツアー”は、「舞台は夢を見せる場所で、その裏側を見せるなんて無粋」という意見が出るのもよくわかるけれど、「今日まで役者としてこの場所で過ごしてこられたことを本当に幸せに感じている。それを客席の皆さまに少しでもお裾分けしたい」と仰っていたのは、玉三郎さんの心からのお気持ちなのではないかな、と感じました。玉三郎さんは歌舞伎の家のご出身ではないから、一層そういう思いがお強いのではないか、と。
続いて、『鷺娘』。
旧歌舞伎座でのさよなら公演の映像と織り交ぜながら、玉三郎さんご自身も一部を踊ってくださいました。
玉三郎さんは既にこの舞踊は踊り納めておられて、今回の口上でも「それをこうして再び踊らせていただくのはお恥ずかしいことではありますが」と仰っていたけれど、私は決して生で観ることは叶わないのだろうと諦めきっていた玉様の『鷺娘』を今回その一部でも観ることができて、本当に嬉しかったです。
個人的には舞踊としては『娘道成寺』の方が好きなのだけど、私は雪の演目が大好物なので、雪が降りしきる歌舞伎座の舞台にはうっとりでした。いつか生の長唄付きで通しで観てみたいな。誰かやってくれないだろうか。
最後は玉さまの舞台のお約束、複数回のカーテンコール(一回目は息絶えた姿のままでのカテコ)。
私は歌舞伎にカテコは絶対不要派なので正直なところ気持ち的に冷めてしまうのだけれど(歌舞伎はカテコがないから粋なのだ!)、最後のカテコで舞台中央に座った玉さまが両手で雪をかき集めるようにしてお辞儀をした姿がとても可愛らしくて、ちょっとキュンとしてしまったのでありました。

外に出ると、ライトアップされた夜の歌舞伎座。
鷺娘の絵看板の写真を撮る人達。
本日3回目の「日常が戻ってきたんだなあ」を実感。
「九月大歌舞伎」の懸垂幕がかかった歌舞伎座の建物がとても縁起よく見えて、色々なことを全部吹き飛ばしてくれそうで、見ているだけで上向きな気分にさせてもらえました。


©松竹
『引窓』の吉右衛門さんと菊之助。

©松竹
『口上』の玉三郎さん。
私は以前国立劇場のバックステージツアーに参加したことがあるので舞台裏の種明かしにはそれほどの新鮮味はなかったのだけれど(でも玉さまの滝夜叉姫を久しぶりに見られたのは嬉しかった♪)、この場面↑には「おおっ」となりました。客席からも「わぁ…っ」って声が漏れていましたね。歌舞伎座の客席から観る歌舞伎座の客席。不思議な感じがして、圧巻&楽しかったです。
そして玉三郎さんはこんな風に広い舞台の上にたったお一人でおられる姿が似合うな、と改めて感じました。お一人で歌舞伎座という大劇場の空間を支配してしまうオーラもそうだけど、孤高という言葉が似合う。ちょっと『天守物語』の富姫を思い出しました。でもニザさま達とワチャワチャしている玉さまも大好物ですけど

©松竹
歌舞伎座のコロナ対策はこんな感じ。
赤い布(お洒落)がかけられた席は非売で、前後左右が空席になっていました。


★オマケ★
歌舞伎の小道具も手掛けている藤浪小道具さんが、オンライン販売サイト「フジナミヤ」を開設されました。


これは・・・仮名手本忠臣蔵の五~六段目のあの財布
「例)中にお金を入れて、手を突っ込み、仮名手本忠臣蔵の定九郎ごっこをする。絵の具で血染め風にして、勘平気分を味わう。」だって

©藤浪小道具
こちらも同じく仮名手本の五段目から、イノシシのコースター!400円とお値段も手頃で可愛い
観劇の前後に木挽町広場で気軽に買えたら嬉しいなあ。

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