風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

三月大歌舞伎 @歌舞伎座(3月18日)

2021-04-07 20:09:12 | 歌舞伎




遅くなりましたが、先月の歌舞伎座の感想を。
第二部、第三部に行ってきました。

【熊谷陣屋】
仁左衛門さんの熊谷を見るのは、今回が初めて。
登場したときに「えっニザさん?」となった
なんというか、想像以上に”熊谷”で。
前月の神田祭のような演目も超お似合いなのに、こういう時代物もしっかり演じてしまう仁左衛門さん。知ってはいたけれど、見事なものだなあ。
仁左衛門さんの熊谷は「仁左衛門さんらしい熊谷」で、物語りの部分は須磨浦の情景が目の前に鮮明に浮かぶようでした。また、首を息子のものとしてはっきりと愛情をもって扱っていて、相模に渡す前だったかな、首を腕に抱いて、そっと撫でていたのが印象的だった。。。ただ、熊谷が出家をするのは息子を殺してしまったからだけではなく、若い命がこんな風に散ってしまう世の中に対してのより大きな想いがあったからだと思うのだけれど、そういう感じは必然的に薄くなってしまっているように感じられました。
また吉右衛門さんの熊谷と比べると現世において熊谷が持ってきたであろう執着や屈託のようなものも薄めに見えるので、その上でこそ一層強まるように思われる最後の無常感、花道の胸が苦しくなるような感じも薄めに感じられたのでした。
ただこれは、脇の相模(孝太郎さん)や藤の方(門之助さん)や義経(錦之助さん)が私的にあまりしっくりこなかったせいもあるかも。
そういえば軍次が彦三郎かと思ったら、配役表を見たら亀蔵でした。兄弟だから当然だけれど、似ている。。。

仁左衛門さんの熊谷陣屋は、亡くなった友人が博多まで見に行きたいと言っていた演目でした。調べたら2016年のことでした。もっと早く歌舞伎座でやってくれていたらな。。。ただ友人は仁左衛門さんの熊谷は仁左衛門さんの襲名披露のときに観ていて(1998年)、そのときに買ったテレフォンカードを大切に”宝箱”にしまっていたのだった。宝箱から出して持ってきて、私に見せてくれたことがありました。私が仁左衛門さんの吉田屋が好きだと言ったら、昔の筋書きを持ってきてくれたりもして、、、懐かしいな。。。

【雪暮夜入谷畦道】
これはもう配役的にも安定のお芝居。大好き。
特に前半の雪の蕎麦屋と夜の通りの場面の空気が、本当に好きだなあ。
この演目を観ると蕎麦(江戸風の醤油味の濃いやつ)を食べたくなるのは経験済みなので、ちゃんと家に蕎麦を買っておきました
直次郎(菊五郎さん)と丈賀(東蔵さん)は本当に食べてるんだよねー。

【楼門五三桐】
これは当日の観劇後のメモを元に書いているので、後日に吉右衛門さんが倒れられたから書くわけではないことをまず断っておきます。
この演目を観るのは二度目のはずで(ブログに記録がないので、前回いつ誰で見たのか全く記憶にない。もしかしたらそのときも吉右衛門さんだったのかも)、得意な演目ではなかったので全く期待していなかったのです。
そしたら。
吉右衛門さん(五右衛門)の朗々とした「絶景かな」で本当に絶景が見えた。。。。。。。。。
舞台も客席も歌舞伎座の建物も超えて広がる桜桜桜の絶景。
なんていうおおらかさ、大きさ、気持ちのよさだろう。
どうして私はこの演目を苦手だなんて思っていたのだろう、と過去の自分が不思議になった。
吉右衛門さんの表情に、吉右衛門さんの目にはその絶景が見えているんだなと感じました(実際に舞台上には桜吹雪が舞っていたのだけれど、そういう意味じゃなくて)。
大きいなあ。。。
歌舞伎っていいなあ。。。
今月の吉右衛門さんについては「舞台にいてくれるだけで」みたいな感想を聞いていたけれど、私にはいつもと同じに、というよりも調子がいいときと同じくらいお元気そうに見えて、安心したんです。
ただ脚がひどく細く見えたのが心配だったくらいで…。

幸四郎(久吉)も、舞台映えして綺麗だったなあ
新旧鬼平だ!と嬉しくなった
撮影前からあまり評判の宜しくない新鬼平ですが(吉右衛門さんの鬼平は完璧だったものね)、私は案外悪くないのではないかと想像しているのですけど、どうでしょうね。やっぱりダメだろうか。

後半はやはり三階席からは五右衛門の首から上は全く見えませんでした(うん、知ってた)。

吉右衛門さんのご快復を、心よりお祈りしています。本当に、心から。。。。。
80歳の弁慶、楽しみにしていますよ!!!

【隅田川】
『伊勢物語』第九段「東下り」に、都を捨てて隅田川までやって来た男たちが、川面に浮かぶ鳥の名を船頭に尋ね、「あれは都鳥」と聞いて都を思い出し、涙する話があります。能『隅田川』では、都の貴族吉田家の若君・梅若丸(うめわかまる)が行方不明となり、わが子を探す母は錯乱状態ではるばる隅田川までやって来ます。そして渡し舟の船頭から、人買いに連れられて来た少年がこの河原で死んだと聞き、その少年こそわが子と知るという物語です。この能が、「梅若伝説」を題材にしたものか、能が元で梅若伝説が出来たのかは不明ですが、いまも東京都墨田区の木母寺(もくぼじ)に梅若塚があり、3月15日(旧暦、現在は新暦の4月15日)を梅若忌として、法要が行われています。
能の『隅田川』では母の名はありませんが、能『班女(はんじょ)』が貴族の吉田少将を熱愛する班女を主人公にしたことから、梅若丸の母も「班女」と呼ぶようになり、梅若丸も吉田の少将の子とされるようになります。
歌舞伎や人形浄瑠璃(文楽)でも、隅田川を舞台に幼い梅若殺しを取り入れた作品が多く作られます。
(歌舞伎用語辞典「隅田川の世界」)

この演目も、4月の南北の『桜姫東文章』も、”隅田川物”なんですね。
この舞踊を観るのは初めてで、以前youtubeで部分的に見て印象に残っていた『雙生隅田川』とは別物であることを当日舞台を観て知った
『保名』のようないわゆる狂乱物だけど、玉三郎さんの演技にははっきりした気狂いさはなく、精神的には正常な女性が子を悲嘆に暮れて探し求めている姿のように見えました。これが”玉三郎さんの班女の前”なのだろうな、と感じました。
玉三郎さんだけでなく鴈治郎さん(舟長)も現代的な空気なので、胸にぐわ~~~っと迫りくるような哀れさは薄めで、45分間の上演時間が長く感じられたけれど、最後に班女の前がそれは子供ではなく柳であると気づく場面は辛かったな…。夢から醒めるって一番辛いことだ。
激しくはない、静かであるがゆえの悲しみの空気が胸に残った『隅田川』でした。
でもやっぱり45分は少し長く感じたな

この四つの演目はみんな今の季節のお芝居で、やっぱり歌舞伎は季節に合った演目が一番だな、と改めて感じました。








仕事帰りの夕方に訪れた、友人のお墓のあるお寺で咲いていた桜です。満開でした。
吉右衛門さんが心肺停止らしいと母親からのメールで知ったとき、お墓の前にいたんです。
友人とお地蔵様に「どうか吉右衛門さんをお守りください」とお願いしました。
そして帰宅して、心肺停止は第一報で、その後に救急搬送と発表が変わっていることを知りました。ひとまずはほっとしました。友人とお地蔵様に御礼を言いに行かなきゃ。

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