風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『与話情浮名横櫛』『連獅子』 @歌舞伎座(4月14日)

2023-04-17 23:29:29 | 歌舞伎




14日金曜日に行ってきました。
歌舞伎座が新開場してから、今月で10周年だそうです。
あれから10年もたったのか…。
あの新開場の頃は亡くなった友人との思い出が沢山あって、色々思い出しながら観ていました。
そうしたら、翌15日に左團次さんが亡くなられてしまいました…。
ちょうど10年前の4月、開場3日目のホヤホヤの歌舞伎座で最初に観た演目が、菊五郎さん&左團次さんのチンピラコンビが印象的な『弁天娘女男白浪』でした。そういえば、あの時の日本駄右衛門は吉右衛門さんで、忠信利平は三津五郎さんだったな。
左團次さんのお芝居、数えきれないほど観て、数えきれないほどの楽しさ、感動をいただきました。
『与話情浮名横櫛』の予習で観た映像の左團次さんの蝙蝠安もとてもよくて。
私が最後に観た左團次さんのお芝居は、昨年3月の『芝浜革財布』でした。
この世代の役者さんが亡くなるといつも思うことだけれど、ああいう空気の役者さんって、もうこれからは出会えないような気がします。時代が人を作るということを、歌舞伎を観ていると特に強く感じる。
ご冥福をお祈りします。

以下、お芝居の感想です。

【与話情浮名横櫛】
与三郎を演じる上で大事なのは、品なのでしょうね。大店の息子が、ある意味でアウトローに。若旦那の甘さとアウトローの強さの兼ね合いです。強さといっても、(腕っぷしのような)いわゆる強さとはちがいますね。
・・・
(玉三郎さんとは)お互いに気心を知れていますから、『ここはどうしようか』などの相談もなく芝居のキャッチボールができる相手です。自分が役の気持ちで舞台に出ると、向こうも向こうで役の気持ちで舞台にいますから、自然とギクシャクすることもなく芝居になるんですね。今回『赤間別荘』は、基本的には喜の字屋のおじさまと尾上梅幸のおじさまがなさった時(1969年4月国立劇場)のものを元に、少し変えさせていただきやらせていただきます。ただ、次はああしてここはこう……といった決まりらしい決まりがありません。このような芝居は、気があう者同士でなければ作れません。

片岡仁左衛門 Spice

仁左衛門さんが与三郎役、玉三郎さんがお富役でタッグを組むのは、約18年ぶりとのこと
仁左衛門
さんは体調不良で5~7日に休演されていたので心配だったけれど、「見染の場」は少し本調子ではなさそうかなと思ったものの、変わらない立ち姿の美しさよ・・・・・。人形のよう・・・・・。綺麗だなぁと何度心の中で呟いたことか。羽織落としも、あの数秒間だけでも国の宝だわ。。。(国宝ですけど)

実は私、この作品を観るのは初めてなのだけれど、省略されることの多いという「赤間別荘」を観られたのはとても嬉しかった。今回は仁左玉コンビなので猶更。
お二人とも、色っぽいなぁ。。。濃厚。。。
簾越し?とはいえ、コトに及ぶときにそれぞれが着物を脱ぐ場面を見せるのって歌舞伎では珍しいような
この濡れ場と、その後の責め場。見応え的にも楽しいし(ニザ玉だからという理由も大きいけれど)、ここを上演しないと「見染の場」と「源氏店の場」のストーリーが全く繋がらなくなるので、今後も省略せずに上演した方がいいと思うな。

「源氏店」の仁左さま、舞台下手の戸の外で揺れる柳の下での石ころ蹴り。なんて絵になるのでしょう・・・・・。「浮世絵から抜け出たよう」とはまさにこのこと。
戸を締めるときなどのサッとした動きは、「赤間別荘」までの坊っちゃん坊っちゃんした与三郎とは違って、それも素敵。一粒で二度美味しい作品

そして、玉三郎さんのお富
こういうお役の玉さまは、鉄板ですよねぇ。紛れもなく唯一無二の国の宝だわ(国宝ですけど)。。。。。見初めの花道での「いい景色だねえ」。大和屋
松之助さんの藤八つぁん、左團次さんの代役で出演された権十郎さんの多左衛門もよかったです。

最後の唐突でご都合主義なハッピーエンド展開は、、、まあ歌舞伎だし(全幕の場合のストーリーは異なるようだけど、そちらもやはりご都合主義)。


【連獅子】
稽古場の一角では左近が、『連獅子』の仕度をはじめていた。左近は一人で鏡台に向かう。手元には、演劇雑誌『演劇界』の古い号が置かれていた。表紙は、獅子の扮装をした祖父の初代尾上辰之助だった。
・・・
松緑「4月の公演中に僕がいなくなったとしても、彼は千穐楽まできっちり仔獅子を勤められると確信しています。そのように育ててきたつもりです。まだキャリアは浅いので、テクニック的に至らないところがあるにしても、それを補うやる気があります。肝は据わっている​」

松緑が「明日本番でも大丈夫だよな?」と聞くと、左近の「はい」が気持ちよく響いた。

左近「父は『連獅子』の親獅子のようなところがあり、言葉では言いませんが、その思いは胃に穴が開くほど分かっているつもりです。いついなくなっても……という気持ちは大事ですが、僕にとって父は大きな存在なので長生きしてほしいと思っています。4月は胃に穴が開いてでも、1か月間父の親獅子で仔獅子をやらせていただけることがうれしいです。父の親獅子に恥じない仔獅子を勤めたいです」

時折、こみ上げる思いに言葉を詰まらせながら、左近は自分の言葉で心境を語った。

松緑はこれまでに、十二世市川團十郎や五世中村富十郎の親獅子で仔獅子を勤めた。父親や祖父との共演は叶わなかった。いつか左近と親子で、との思いも強かったにちがいない。

松緑「その気持ちがなかったと言えば嘘になります。でもそれは僕の心情の話。お客様に1ヶ月お金をいただきお見せすることへの意識の方が強いです。また僕にとって彼は、二代目松緑さん、初代辰之助さんからの預かり物。もし2人がどこかから彼を見た時に、『一生懸命やっているな』と思ってもらえる役者に育てるのが僕の仕事です。皆様に『さすが初代辰之助の孫だ』と言っていただける子に育てたい。それだけです」
・・・
松緑「僕は早くに父親と祖父を亡くしたこともあり、多くの先輩方に稽古していただき、たくさんの言葉をかけていただきやってきました。息子にも“〇〇なら〇〇さんに教わってきな”とよく言います。そして彼は今、(尾上)菊五郎のおにいさん、(片岡)仁左衛門のおにいさん、(坂東)玉三郎のおにいさんといった素晴らしい先輩方から、色々な言葉をいただいています。今はまだ分からないこともあるかもしれない。でも本当に大事な言葉は、意識して覚えようとしなくても心に残り、いつか分かったり、ふと思い出したりするもの。先輩方からいただく言葉が彼の中に積み重なって、彼なりの格好いい歌舞伎役者になってほしいです」

左近「僕も祖父の辰之助さん、曾祖父の二代目松緑さんが大好きです。偉大な役者だと思っています。でも僕はやっぱり父の子で、はじめて歌舞伎を格好いいと思ったのも父の歌舞伎を見た時です。父はよく自分を下げた言い方をされるのですが……僕としては、僕が憧れる現松緑さんをあまり悪く言わないほしいです」
Spice

彼らの歌舞伎座の本興行での連獅子はこれが初とのこと。
予想外に、最後に泣きそうになってしまった。全くそんなつもりなかったのに(実際途中までは割と淡々と観てた)。
数えきれないくらいの回数の毛振りも本来そういうのは私の好みではないけれど、というか松緑も同じだろうと思っていたのだけれど、でもなんか感動しちゃったのよね。
上記インタビューは帰宅してから読みました。
松緑は辰之助さんとは連獅子を踊っていなかったんですね。
私は辰之助さんのことを知らないけれど、松緑は沢山のことを乗り越えて(あのブログは読んでおりました・・・)、こうして今、息子さんと舞台で踊っているのだなぁ、とかやはり思わずにはいられず。連獅子あるあるの感動ではありますが。
左近くん、もう17歳なのか。
左近くんのキレキレかつスケールの大きさも感じさせる仔獅子と、親らしい強さと包容力を感じさせる松緑の親獅子の対比に涙。
辰之助さんは40歳で亡くなっているし、「僕がいなくなったとしても」という言葉を松緑は本気で言っているのだと思うけれど(そして親はいついなくなってもおかしくないというのは、そのとおりなのだけれど)、左近くんのためにも松緑は長生きしないと。

ところで今回の連獅子、笛の音が耳に刺さって少々煩く感じられてしまった。いつもあんなに音大きかったっけ?音の表現自体は切れもあってよかったように思ったけど、もう少し品と清澄さがほしいというか・・・。









初めて見る緞帳だなと思ったら、新開場10周年を記念して寄贈された新緞帳だそうです。
原画は東山魁夷の「朝明けの潮」で、皇居 長和殿「波の間」にある縦約3.8メートル、横約14.3メートルの大壁画とのこと。山口県の青海島の波と岩をモデルにしたといわれているそうです。











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