風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

中村吉右衛門配信特別公演 『須磨浦』

2020-09-03 01:03:49 | 歌舞伎

中村吉右衛門配信特別公演『須磨浦』予告



歌舞伎座「九月大歌舞伎」に出演する中村吉右衛門が、このたび公演に先立ち、配信特別公演『須磨浦』に出演します。戦災、天災、コロナ禍など時の運命の流転により、無念に亡くなる命はいつの世も尽きません。その命を思い、決して忘れないために、『一谷嫩軍記』の熊谷次郎と一子小次郎の物語に重ね、吉右衛門が松貫四の筆名で『須磨浦』を書き下ろし、吉右衛門自ら、熊谷次郎直実を演じます。
(歌舞伎美人より)

数ある舞台芸術の中でも歌舞伎は特に生で観てこそと思っているので(あと能も)、コロナ禍とはいえ動画配信企画には今まで食指が動かなかったのだけれど。
これは・・・・・観ないわけにはいかない・・・・・。
30分弱で3500円。高い。
でも観ないわけにはいかない。
なぜなら熊谷は、知盛と同じくらいに好きな吉右衛門さんのお役なのだもの(今知りましたが、史実の熊谷って一時期知盛に仕えていたんですね。でもって『一谷嫩軍記』と『義経千本桜』は作者が同じなんですね)。歌舞伎座で観た2015年の『陣門・組打』は、好きすぎて舞台写真まで買ったほど。
それを今回の公演のために吉右衛門さんが自ら書き下ろされ、お一人で演じられる。
観なかったら一生後悔する。
というわけで観ました
観てよかった。。。。。
歌舞伎座の千穐楽を彷彿とさせる、凄まじい気迫の舞台でした。

無音のなか、平家物語の冒頭「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、 偏に風の前の塵に同じ」の文字が画面に映し出され、囃子方と竹本が橋掛かりから入場。
そして熊谷(吉右衛門さん)の登場。
今回の公演、『須磨浦』という演目名だったので『組打』の場面のみなのだろうなと想像していたら、なんと『堀川御所』から
文楽では観たことがあるけど、歌舞伎で『堀川御所』の場面を観られるのって珍しくないですか?
と調べてみたら、2012年に團十郎さんが国立劇場で上演されていたんですね(なんと98年ぶりの復活上演だったそうで…!)。
團十郎さんのときはどうだったかわからないけれど、今回は「一枝を伐らば一指を剪るべし…。枝一本を伐らば指一本を剪るべし…」(←配信中にメモってなかったので正確ではないです)、とわかりやすい台詞になっていた。考えてみたらこれ、必要よね。「いっしをきらば いっしをきるべし」の音だけで一枝と一指という漢字は観客は普通は思い浮かばないもの。義経(声は葵太夫さん)にも「そちが一子も蕾の花」的な台詞があって、やっぱりわかりやすかった。それでも前知識なしで今回のストーリーを理解できる人はまずいないと思うけれど(そんな演目を選ぶ吉右衛門さんが好き)
制札に書かれた義経の真意を汲み取って、退場する熊谷。制札は白い扇で表わされていました。

再び橋掛かりから黒いお馬さん(完全に前後が分かれ2名で担当)に乗ったていで登場し、『組打』の場面へ
舞台にいるのは吉右衛門さんお一人なのに、吉右衛門さんのお芝居から敦盛(小次郎)の姿が目に見える
背後の山から熊谷を罵る平山が、軍勢が目に見える。
なぜなら吉右衛門さんの目がまぎれもなくそれらを「見て」いるから。
あの時間、あの場所は観世能楽堂ではなく、須磨浦になっていた。須磨浦の風景が私の目にも見え、須磨浦の風が自宅のPCの前に座る私の肌に感じられた。こんなものを私達に体感させてしまう吉右衛門さん、なんという人だろう・・・。
そして小次郎の首を討ちとって、血を吐くような慟哭の「勝鬨」。。。。。
小次郎の首はやはり白い扇で表わされていて、若く清らかな美しさとそれゆえの悲しさが感じられ、いい演出だと思いました。このシンプルさは能のよさだよね。
玉織姫の部分は全てカット。なので熊谷の「いずれを見ても蕾の花。都の春より知らぬ身の今魂はあまざかる、鄙に下りてなき跡をとふ人もなき須磨の浦、なみ/\ならぬ人々の成り果つる身の痛はしや」の「いずれ」という単語に少々違和感を覚えつつも、この言葉が敦盛(小次郎)と玉織姫だけでなくこの戦で散った多くの若い命に対しても言っているように聞こえ、熊谷が感じている無常が冒頭の平家物語の言葉に繋がり(元々このエピソードは平家物語からですが)、この物語の普遍性がより強く感じられたような気がしたのでした。
ラストの橋掛かりを悄然と去る熊谷の姿。その姿が私達に伝えるものはこの上なく重い。
無観客上演のため(また能のお約束的にも)最後まで拍手がないのが深い余韻を残しました。

今回の公演は、歌舞伎と能のどちらの魅力も消されることなく非常にうまく溶け合った稀有な公演であったように感じられました。それは吉右衛門さんだからこそ可能だったのではないか、とも。
今までも何度か書いているけれど、私が吉右衛門さんのお芝居で最も魅かれるものの一つが、ぱぁ~っと劇場中に広がる圧倒的な気迫や大きさと同時に存在する、独特の澄んだ静けさ。この熊谷もそういう吉右衛門さんが見られるお役の一つです。

さて、今月の歌舞伎座は吉右衛門さんの『引窓』ですね。
見逃さないようにしなきゃ。

役者というものはお客様がいらっしゃって成り立つものです。私はやはり伝統歌舞伎を受け継ぐということが役目だと思っておりますので、伝統歌舞伎に基づいた作品を上演し、お客様に少しでもなにかを感じ、楽しんでいただけるようにという思いで、初代吉右衛門もとても大好きな「一谷嫩軍記」から芝居を拝借して書き下ろしいたしました。こじつけではありますが、災難、災害など歴史上繰り返してきたことを皆さん乗り越えて今の人類の幸せがあるのではないか、そのようなことを芝居に重ねてご覧いただけたらと思います。

今回、無観客での収録ということですが、“想定する”ことを役者は慣れておりますので、お客様がそこにいらっしゃる、ただ静かに見てくださる、そういう思いで演じたいと思います。

お客様もこういう時世ではございますが、歌舞伎という良さを忘れないで楽しんでいただけたらありがたいと思います。

(中村吉右衛門。ステージナタリー:中村吉右衛門による配信公演「須磨浦」伝統歌舞伎を元に“人類の幸せ”描く)

※追記:
『組打』の段の最後に「檀特山の憂き別れ、悉陀太子を送りたる、車匿童子が悲しみも、同じ思ひの片手綱、涙ながらに帰りけり。」という一節があります。ここでは熊谷と小次郎との別れの悲しみを出家する釈迦を見送る車匿童子の悲しみに例えているわけですが、この釈迦のエピソードがなぜ『一谷嫩軍記』や『平家物語』で死んだ人との離別の例えとして使われているのか?について、「死ぬこと」=「極楽浄土に生まれ変わること」という浄土思想の影響ではないか、というブログ記事を見つけました(こちら)。なるほど。この後熊谷は出家するのに、どうして車匿童子に例えられているのか不思議だったんですよね。あちらの世界へ行った小次郎と、まだそこへは行けずこれからもこちらの世界で苦しみとともに生きていく熊谷、という構図でしょうか。なるほどなあ。

追記(2021.1.06):
2020年12月30日のNHKラジオ深夜便より。
司会:3月の公演が無観客となってしまったことでインターネットを使った配信をされましたよね。
吉右衛門:配信というのはなんだか全然わからなくて、ただ無観客でやってくれないかという申し出がありましたのでお引き受けいたしました。無観客でやるということがどういう風に役者にインパクトを与えるかと思っておりましたけれども、私は父親八世松本幸四郎から「客受けを狙った芝居をするなと、それより役になりきれということを若いときから厳しく教えられておりまして、それがまた初代吉右衛門の教えでもあったんですけども、また初代と一緒にやってらした六世歌右衛門のおじ様も『私はお客様が一人になってもそのお客様のためにやるんだ』ということを生前色々聞かされておりましたので、客の入りとかお客様の反応とかいうものを気にするタイプの役者ではもともと私はなかったものですから、無観客であろうが、いっぱい入っていらっしゃろうが、僕にとってはあまり影響がなかったものですから、それより舞台に立つということが僕は一番この世に生まれた運命といいますか宿命と思っておりますので、とにかく舞台の上でお客様がいようがいまいが芝居をやらせていただけることが最上の喜びだと思って、やらせていただきました。
司会:そうすると実際に演じられているときは誰もいない観客席に観客の方を意識しながら演じられていたというような・・・
吉右衛門:いや、劇場という感覚より実際にそこにこの役はいるんだというような感覚に今まで先輩に指導していただいたおかげでなっておりますんで、全くそれは僕にとっては何の影響もなかったことです。
司会:9月の舞台まで半年以上の舞台を待っている期間というのはどのように過ごされていたんでしょうか。
吉右衛門:やることないんですよね。御殿のようなおうちに住んでいらっしゃる方もいらっしゃいますから、そういう方はお稽古場がおうちの中にありまして、そこでお芝居の稽古を一人でやっていれば随分違うんでしょうけれども、私のうちはマッチ箱でございまして、稽古するような場所がないんですね。一番広いところはベッドの上なんでございまして、しょうがないからベッドで横になりまして、脚本を、我々は書き抜きと言いますけれども、脚本を見ながらその台詞を再度覚え直したり訂正したり、それが孫にでも渡るときにわかりやすいようにしようと思ってそういうことをやっておりましたけれども、そのうちにそれも飽きまして、子供のときから好きな絵を描き初めまして。本当はもっと体を動かすべきなんでしょうけれども、最初のうちは散歩のようなことをやっておりましたけれども、そのうちそれも自粛になりまして、とにかくコロナにうつる、うつさないということを措置しなきゃいけないと私も思いまして、うちの中にじっとしておりました。
司会:やはり吉右衛門さんは播磨屋という屋台骨としていらっしゃるわけですから、そういう忸怩たる思いもおありになったのでしょうね。
吉右衛門:とにかく舞台に立ってお客様の心の中に入り込んで、拍手をいただいたりなんだかんだというものは別ですけれども、お客様と対になってお芝居をしてお客様の心の中に飛び込めることが僕は役者の使命だと思っておりますので、それができないということは何の価値もないということになってしまいますので、それが一番私としては忸怩たる思いをしておりました。
司会:8月から歌舞伎座が再開されまして。9月に久々に舞台に立たれたときはいかがでしたか。
吉右衛門:若くはないものですから、わ~帰ってきた!嬉しい!というそこまではなかったんですけれども、花道から舞台に出たときにソーシャルディスタンスでお客様はばらばらにはいらっしゃるんですけれども、それでも、ああ生きててよかったというそういう感じがいたした初めての舞台ですね。
司会:播磨屋!などの掛け声などもないなかでのお芝居でしたが。
吉右衛門:僕はそういう掛け声などをあまり気にしませんので、もちろん「変なところで声かけやがって!」とか気にされる方もいらっしゃいますが、僕はどこで掛けられようが別に気にしませんし、というか役にのめり込んでいてそういうものを考える余地がないんですね。余裕がない役者なんでございます。素人みたいな役者と思っていただければ有難いんですけど。
司会:それほど役に入り込まれている、集中されているということなんですね。
吉右衛門:いや、そうしないと僕集中できないんですよ。気が小さいものですから、ちょっとしたことではっと気が動いてしまうと困るもんですから、おかげさまで小さいときから父親や先輩に客席を気にするな、受けを狙った芝居をするなと厳しく言われてますんで、おかげさまでそっちの方になって僕はよかったなと。あんなつまらない役者はないとおっしゃる方もいらっしゃるとは思うんですけど、自分では初代吉右衛門の後を継げたかなと思っておりますけどもね。
司会:ご自分では、あらためて舞台に上がれる喜びのようなものを感じられたんですかね。
吉右衛門:難しいのは自分とその役をどういう割合で持っているかが難しいんで、あまり喜んでしまいますと自分が買ってしまう、役がいなくなってしまうというのがあるんで、それもあまり喜びはできませんでしたけれども、でも出た瞬間とか終わった後とかには初めての経験の喜びでございましたね。
司会:昨年の5月にお孫さんの丑之助さんが襲名をされまして共演となったわけですが。
吉右衛門:外孫ですけれども、自分の役者の血がそっちにも流れてるのかなあと思うといつも顔が綻んでしまうんですけれども。『近江源氏先陣館』という芝居があって子役がとても活躍するんですけども、それは僕もやって天覧になった芝居なんですけども、それを早くこっちが動ける間に丑之助君とやりたいなと、それが念願ですね。
司会:丑之助さんもまだ小学校にあがられたばかりのご年齢とは思えないくらいしっかりされてますよね。
吉右衛門:なんといいますか、割と今の子で人を食っていますよ。
司会:これから日々ご成長されていくのを見ているのが楽しみというようなお気持ちでしょうか。
吉右衛門:もちろん外ではありますけど、楽しみですね。楽しみというよりか、伝統歌舞伎というものをきちっと丑之助君に伝えるのが私の使命でもありますので、それができる状態に早く戻ってもらいたいなと念願しております。
司会:自粛の際には丑之助さんのために色々なされたことがあると伺いましたけども。
吉右衛門:まあ脚本を手直ししたり丑之助君兄弟の絵を描いたり、そういう風にしてじじいを忘れないようにしてもらおうかなと。




※追記(2021年2月)
脚本を書き終えるのにかかった時間は三十分くらい。まことにやっつけ仕事だとは思いますが、あの場合、そうでもしなければ作れなかったと思います。伝統歌舞伎はまだ命脈を保っていますよ、忘れないでくださいと、僕は孫の丑之助のためにも申し上げたかったのです。配信をご覧になった方々からは賛否両論ございましたでしょう。・・・なにはともあれ、僕は歌舞伎で大好きな熊谷を演じられただけで、あれ程生の喜びを感じたことはありませんでした。・・・全ての方々に感謝あるのみです。
小説丸『二代目中村吉右衛門 四方山日記」第十三回 「須磨浦」の動画配信

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