通算400勝の金字塔、よりもロッテファンからすれば二度の監督で一次政権のときには日本一に輝いたことが強烈な記憶に残っているカネやんこと金田正一氏が亡くなりました。
これでご存命の監督は井口、伊東、西村、バレンタイン、江尻、八木沢、有藤だけとなってしまい、オリオンズとしては有藤のみで刻の流れを感じざるをえません。
86歳ですの早すぎる、ということはなくともかつてチョーヤの梅酒のCMで腕立て伏せをやっていたような、そんな強靱な肉体のイメージがあっただけに「えっ」といった感じで、急性胆管炎による敗血症とのことですから内の病は加齢とともに避けられない運命なのかと、自分も歳を重ねていますのでしんみりとしてしまいます。
テレビを見ないこともあって表舞台ではここのところ見聞きをしていなかったのですが、それでも夏前までは現場にも足を運ばれていたようですから急変だったのでしょう。
球界の超大物として引退後も活躍をする一方で名球会でのいざこざなど毀誉褒貶相半ばするところはありましたが、一代の傑物であったことは間違いありません。
ロッテとしても監督時代だけではなく退任後も球団取締役としてチームを気にかけ、また知名度を上げ、地域振興の助けにもなり、その一次政権でロッテが人気、強さともにアップをしたタイミングがファンになったきっかけ、それを作ってくれた恩人でもあるカネやんに半旗を掲げることはできませんが、選手たちと同じく朝に黙祷を捧げたいと思います。
カネやんダンスをもう一度見たかったですが、86年間は気を抜くことなく一気に駆け抜けた人生だったと思いますのでゆっくりと休んでください、ご冥福をお祈りいたします。
自分がファンになった一つに金田監督があります、あの当時から口癖の様に走れ、走れ、と言ってましたそれは科学的トレーニングを推奨する今こそ大事な事だと思います。
いつまでもあの世からロッテを見守っていて下さい。
謹んでご冥福を祈ります、今まで有難うカネやん。
』と言うと妊娠中だった娘のお腹をさすりながら『いっぱい食べて丈夫な子を産みなさいね』と優しく声をかけてもらったそうです。そして娘は母子手帳に金田さんからサインをしてもらい今も大事な御守りにしています。ご冥福をお祈りいたします。
残念ながら当時はあまりパリーグに興味のなかった私は監督としての金田さんは、長嶋茂雄引退年に巨人のV10を阻止した中日を破って日本一になったロッテの監督くらいのイメージしかありませんが、破天荒さはプロ野球ニュースや珍プレー好プレーで時々目にしておりました。
晩年、時々テレビに出てくる姿は、確かに400勝投手としての自慢話はあっても、どこかの喝のおっさんみたいに嫌味ではなく、ブルゾンちえみとの逸話もホッコリさせられるものでした。
カネやん、お疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。
この間、サンデーモーニングに出ていた姿を見てあんなに元気なのにすぐ逝くか?と思いましたが、実績や地位も素晴らしい方なので各界との付き合いもあり、体の内側は通常の方より蝕まれていたのかもしれませんね。
玉木さんというスポーツ評論家だったかな、当時ライバルだった阪神のバッキーに対し、乱闘時に「バッキャヤロー」と叫んで彼の指めがけてキックしたとの逸話を聞いたことがあります。また、審判に対してやらせの退場を演じていたことも。
とにかくあの頃からロッテは実質的なリーグ優勝してませんので、早急にそれが実現するようにあの世から運を授けてほしいです。
私は、鴨池球場のキャンプでお話しさせてもらったのが最高の思い出です。
気さくな、いい親父でした。
マリーンズファン歴が30年に満たない私としては、現役時代は勿論、監督時代も珍プレー・好プレーのトレーバーキックとカネヤンダンスくらいしか記憶はありません。「巨人の星」の引退会見描写と「アストロ球団」の敵役のイメージが強い。そうそう「俺とカネヤン」もありましたね。
そんな私でも金田氏の業績や逸話は存じており、その傑出した記録は現在とは状況が違うとはいえ、素晴らしいを通り越して凄まじいとまで言えるものです。
前人未到、空前絶後とはまさにこの事、その実績だけでなくそれまでほとんど見向きもされなかったパ・リーグに注目を集めた数々の言動(フェイクや計算されたものもあったから尚更)は水島新司氏の「あぶさん」ともどもパ・リーグファンは忘れてはいけないでしょう。
金田氏の思い入れがスワローズにあったのかジャイアンツにあったのか、それともオリオンズ(マリーンズ)にあったのかは判りませんが少なくとも野球にあったのは確か、生きている内にもう一度リーグ優勝→日本一を見せて上げられれば、マスコミ受けを理解している人なので気の効いたコメントを沢山出してくれたことでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。
国鉄時代はかすかな記憶です。徳武とのバッテリーでロッテ監督就任時は彼を腹心で呼びスタートしました。
パリーグにも光を当てなきゃとの思いと重光繋がりだったのでしょう。
弟の留広も加入(ハムから)させてイヤ、トメ本人も兄貴と敵味方はイヤだとの事のようで。
小山成田木樽トメ若手の村田と豪華投手陣を形成しました。
地味だったチームが一気に客が増えたのでその意味での功績は凄いと思います。
かねやんが来ていなかったらロッテへの注目度は何年も遅れていたでしょう。
演出は多々あったであろう退場事件や遺恨試合(対太平洋ク今のライオンズ)川崎球場の雰囲気は
まるでプロレス観戦のようでした 笑
60で、蜘蛛膜下出血で急死したウチの父親は巨人ファン
私が子供の頃にによく
「金田はとにかく走り込んだ。野球、投手はランニングだ」なんて言ってたのを思い出しました。
オリオン様は自転車にバンバン乗っておられるので健康面は大丈夫だと思いますが
住民の皆様、働き過ぎによるストレス、偏った食事等にはお気をつけください。
徳武は内野手でした。
バッテリー組んでいたのは根来でした。
根来もロッテコーチをしたのでやはりブレーンを形成したのでしょう。