季子然(きしぜん)、問う。仲由(ちゅうゆう)、冉求(ぜんきゅう)は大臣と謂うべきか。子曰く、吾れは子を以て、異るをこれ問うと為す。曾(すな)わち由(ゆう)と求(きゅう)とをこれ問う。いわゆる大臣なる者は、道を以て君に事え、可(きか)れざれば則ち止む。今、由と求や、具臣と謂うべきなり。曰く、然らば則ちこれに従う者か。子曰く、父と君とを弑(しい)するには、亦た従わざるなり。 . . . 本文を読む
人は理性と想像力をもって、この自然現象のなかに「崇高」な何かを見る。いわば「神的な作用」といってもよいだろう。そしてこの「崇高さ」に圧倒される時、人は理性と構想力によってこの自然現象を作り出している作用(法則)を認識できるだろう。この時、人はもはや恐怖によって自然に服従するのではなく、崇高な感情をもって自然を支配することができる。 . . . 本文を読む