信じ難いことだが、「任那」の名称は大方の教科書からは消えてしまっている。最近の韓国の学者の中には、『三国遺事』等朝鮮側の史書に「任那」が見当らないことを根拠に、任那は存在しなかったという説を主張する者がいるようだが、「任那」の呼称は『日本書紀』だけでなく、高句麗広開土王碑や『宋書』『三国史記』等にも出てくる。 . . . 本文を読む
東北地方でも弥生時代の水田跡が見つかっている。しかし土器の形態は、縄文時代の流れをそのまま引いていて、西日本のように一変していない。東北では水田稲作にあえて頼る必要はなかったことを物語っている。水田稲作は数ある生業のひとつとして受け入れられたにすぎまい。弥生式土器に似たものや、それを真似てつくったもの、折中してつくったものがこの時代の土器として出土しているらしい。文化情報にだけ頼った証拠であり、人の移動はあまりなかったと推定される。 . . . 本文を読む