植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

簡体三国志:劉封

2010年09月25日 11時31分04秒 | ゲームシステム
所属:劉備
年齢:約12歳(200年の時)

 劉備の義理の息子です。まあ微妙な知名度です。演技では劉禅が生まれた後に、養子にして関羽に「「阿斗(劉禅)君がいるのになぜ養子をとるのか?」と言われてしまいますが、史実では、劉禅が生まれる前のようです。
 跡継ぎを作って一族を存続させるのは当時はかなり重要だったので、まだ息子が居ない状態の劉備にとって劉封は是非とも必要な息子だったと思います。劉封は当時20歳前後で、もっとも若者ざかりの好青年だったでしょう。しかし、その直後に劉備に実の息子劉禅が生まれます。
 それでも劉封はその後数々の武功を上げ、将軍として活躍する道を見出します。そして孟達と共に上庸を落とし、副軍将軍にまでなります。
 しかし、その直後に孤立する関羽への援軍を上庸の治安が悪いことから拒絶し、そして関羽が死にます。当然、劉備は激怒! そのお咎めを恐れた孟達が魏に寝返り、上庸を落とされてしまいます。そして成都に戻る死を賜ることになります。そこには後継者争いの憂いを無くすと言う諸葛亮の進言もありました。

 劉封は視野が狭かったものの実直な人物だったのかもしれません。一方、孟達はその逆でした。彼と一緒に上庸を治めたことがその判断を誤らせたのかもしれません。

 能力は 3/3/2/2 まあこんなところでしょう。

 

 
コメント
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