植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

オーストリアの歴史的地域

2008年08月07日 12時26分46秒 | 国:ドイツ・オーストリア
 折角なので前回の地図を使って、今回はオーストリア帝国の版図を見てみましょう。
 地図で言えばオレンジの部分ですが、今のオーストリア、チェコ、スロバキアの全部と、イタリアの南チロルが、オーストリアの歴史的地域です。
 これにポーランド分割で得たポーランドとウクライナに跨る地域が加り、ヴェネチアを併合してアドリア海沿岸地域を獲得、最後にボスニアを支配下に加えます。このオレンジの地域と黄色のハンガリーの地域を合わせた広大な範囲がオーストリア帝国、ないしはオーストリア・ハンガリー帝国の版図となります。

 今の国で言うと、7カ国を完全に支配地域におき、さらに4カ国の地域にまで跨っています。まさに多民族国家の帝国です。

 ハプスブルク家は、実はオーストリアではなくスイス※1出身の貴族です。それが13世紀末にルドルフ1世が皇帝になると、ライバルであったボヘミア王※2兼オーストリア大公のオタカル2世を排除して、オーストリア※3の地を得ます。その後、チロル伯のマインハルト家が断絶すると、婚姻によりチロルを得て、15世紀にはスロベニアまでその勢力範囲を伸ばします。
 
 16世紀帝カール5世は婚姻によって、ブルゴーニュ公国領ネーデルラントとスペイン王国、ナポリ王国を手に入れヨーロッパ随一の帝国となりますが、これらの領土はスペインとオーストリアに分割され、スペイン側に相続されます。

 オーストリア・ハプスブルクはその後、16世紀から17世紀にかけてボヘミアを得、またハンガリー王位を兼ねるようになります。ここまでがオーストリア帝国の歴史的な地域と言えるでしょう。

 その後、18世紀にポーランド分割によりポーランド南部とウクライナ東南部、ナポレオン戦争後にヴェネチアとザルツブルグ、そして第一次大戦の直前にボスニアを得て、そして第一次大戦後にオーストリアはそれぞれの国に分割されてしまいます。

※1:スイスは当時まだ神聖ローマ帝国内の領土でした。スイス東北部のライン川上流域にハビヒツブルグ(鷹の城)古城が現存しており、ここがハプスブルグ家の起源とされています。

※2:ボヘミアはプシェミスル家による世襲国で、神聖ローマ帝国に帰順したことで、オーストリアを得て、また神聖ローマ帝国内でも高い地位を得て、皇帝の座を狙うにまでになります。あまりにも力を付け過ぎたのが災いして、他の諸侯の警戒を招き、皇位争奪戦でハプスブルグ家に負けてしまいます。

※3:このオーストリアとはウィーン周辺の地域だけで、チロル州やザルツブルグを除きます。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争

にほんブログ村 歴史ブログ 世界史へ ←是非!クリックしてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする