植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

王位

2007年08月24日 11時53分54秒 | 雑談
 以前、皇帝位と題して記事を書きましたが、今日は王位です。中世以前であれば、部族が部族を糾合していき、1つにまとまると国家が建設したことになります。例えば、フランク王国、西ゴート王国などがそのようにして建国しました。そして部族の首長が国王となり、世襲し王国が誕生します。ちなみに英語のキングは、フランクなどのゲルマン系の血統を語源としています。

 日本語では王子と訳されるプリンスも元は、ラテン語で「第一人者」を意味するプリンケプスが語源となっており、こちらも首長や君主です。現在では、モナコ公国がこれにあたり、プリンスの支配する国ということで、プリンシパリティ デ モナコと言います。

 では、キングとプリンスとの違いは何かと言うと、キングは法王や皇帝から君主に与えられた「王」と言う称号なのです。つまり、君主は初めはプリンス(強引に日本語訳すると諸侯の『侯』や『公』となります)であり、それが法王などに認められてキング「王」となり、その国は侯国や公国から王国となるのです。

 以下に、そう言った過程を辿った国を紹介します。

ポーランド…ミェシュコ1世が963年に建国しポーランド公となる。ボレスワフ1世の代の1000年に神聖ローマ帝国皇帝オットー3世から王冠を授けられる。

ハンガリー…イシュトヴァーンは997年父の死を受けて大首長となる。その後、ハンガリーの統一を進め、1000年ローマ教皇のシルウェステル2世から王位を授る。

シチリア…ノルマン人の騎士、ロベルト・イル・グイスカルドと弟ルッジェーロ1世が南イタリアとシチリア島占領。1130年、子のルッジェーロ2世は対立教皇アナクレトゥス2世から王位を得る。

 この様に幾つかの諸侯が法王や皇帝から王位を得て、王国となっています。逆にリトアニア大公国などは、一時はポーランドを凌ぐ大国になったものの、王位を得ることなく、ポーランドに併合されてしまいます。必ずしも全ての諸侯が王位を得られた訳ではないようです。
 また、時期は10~12世紀となっており、この時期には既に法王や皇帝が王位を与えると言うのが確立していたようです。

 これ以前に建国していたイングランド、スコットランド、デンマーク、ノルウェーなどの北欧の国々や西ゴートなどはの国は明確な戴冠の記載は見つけられませんでした。キングの称号が後から生まれた為でしょうか…
 勿論、この概念の元となったフランクも王国からスタートし、3つの王国に分裂した後、1つの王位はフランスに継承され、もう1つは神聖ローマになる前のドイツ王の称号に継承されます。最後のロタールの王位のみ失われました。


 自分でも無謀な題材に挑んでいるような気がします。ここでは大雑把にまとめた話を行います。詳しく調べると、例外も多く当てはまらないことがあると思いますがそこは目をつぶってください。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
コメント
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