先日のブログで、ナヴァール王アンリ(後のフランス王アンリ4世)が出てきましたが、フランス王国においてナヴァール王とはどう言ったことでしょう?
という事で調べてみました。ナヴァールは、ナバラともいい今のスペインからフランスに跨るバスク地方にあった王国です。このバスク人の国は、ローマ帝国時代から、フランスのフランク王国、スペインに西ゴート王国が建国しても独立を保っていたようで、さらに西ゴートがイスラム勢力によって滅亡した後に起こるレコンキスタにも参加し、スペインのレオン王国、アラゴン王国、カスティーリャ王国などと共に、イスラム勢力と戦います。11世紀にはサンチョ大王の元、これら王国の盟主として同君同盟を成立させますが、大王の死後分裂し、またアラゴン王国の勢力拡大などで、ナバラ王国自体の存続も難しくなってきました。
16世紀には、アラゴン王国とカスティーリャ王国の同君同盟によって建国したスペインに圧され、フランスの支援を得るもピレネー山脈の南側のイベリア半島の領土をスペインに併合されてしまいます。
残ったピレネー山脈の北側の領地だけで独立国家として一応の存続はしますが、フランス王国の封建制度下に入った為、フランス領内の一諸侯と見なされていたようです。
アンリ4世の母親がこのナバラの女王で母親の死後ナヴァール王アンリとなります。
オリジナルカードゲーム 植民地戦争
という事で調べてみました。ナヴァールは、ナバラともいい今のスペインからフランスに跨るバスク地方にあった王国です。このバスク人の国は、ローマ帝国時代から、フランスのフランク王国、スペインに西ゴート王国が建国しても独立を保っていたようで、さらに西ゴートがイスラム勢力によって滅亡した後に起こるレコンキスタにも参加し、スペインのレオン王国、アラゴン王国、カスティーリャ王国などと共に、イスラム勢力と戦います。11世紀にはサンチョ大王の元、これら王国の盟主として同君同盟を成立させますが、大王の死後分裂し、またアラゴン王国の勢力拡大などで、ナバラ王国自体の存続も難しくなってきました。
16世紀には、アラゴン王国とカスティーリャ王国の同君同盟によって建国したスペインに圧され、フランスの支援を得るもピレネー山脈の南側のイベリア半島の領土をスペインに併合されてしまいます。
残ったピレネー山脈の北側の領地だけで独立国家として一応の存続はしますが、フランス王国の封建制度下に入った為、フランス領内の一諸侯と見なされていたようです。
アンリ4世の母親がこのナバラの女王で母親の死後ナヴァール王アンリとなります。
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