植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

サクサク三国志:劉璋

2011年03月21日 11時31分37秒 | ゲームシステム
所属:劉焉→独立
年齢:約38歳(200年の時)

 兄が3人ともなくなったので劉焉の後を継いだのは四男の劉璋です。劉璋が跡を継ぐとこれを好機と考えた長安政権の李カクが、劉璋を倒そうと別に益州刺史を任じて荊州で兵を募らせ益州に攻め入らせます。これに劉璋は父から譲り受けた東州兵を使って撃退します。さらに、父劉焉には従っていた漢中の張魯が劉璋には従わない行動を起こすと、手元に居た張魯の家族を殺します。以来、漢中の張魯とは仇敵の間柄になります。
 その後は、これらの活躍で東州兵が領内で好き勝手な振る舞いをしますが、劉璋はこれを取り締まることが出来ず、住民に不満が溜まります。特に元から益州を地盤とした豪族や名士達の劉璋へ対する忠誠心は低くなっていたものと思われます。そんな中、曹操が勢力を次第に伸ばしてくると、漢中の張魯が曹操の支援を受けて攻めてくるのではと心配しだします。そこで配下の張松を使者に出し曹操の様子を伺うように命じます。この時、曹操は赤壁の決戦の前だったこともあり、張松をあしらって追い返した為、張松は憤慨し、曹操は危険でこれに対抗する為に武勇に秀でた劉備軍を迎え入れて張魯に当たるように進言します。しかし、その実は劉備に益州を取らせようと言う魂胆でした。黄権や王累などが劉備を迎え入れることは危険だと反対しますが、結局 劉璋は劉備を迎え入れてしまいます。後に、張松の魂胆が発覚して彼を処刑しますが、その時には劉璋配下のものの多くが劉備軍に下っており、劉備軍は破竹の勢いで成都に迫っていました。一部の配下が屈強に抵抗しますが、これが敗れると劉璋はこれ以上民を戦乱に巻き込みたくないと言う理由で益州を明け渡します。この劉備の入蜀で迎え入れた張松や、いち早く劉備に下った呉懿などは東州兵に不満を持つ益州の名士や豪族でした。逆に劉璋に付いたのは劉璋が登用した益州でも日の目を見なかった下級の役人(黄権・王累・張任)や、東州兵の指揮官(おそらく楊懐・高沛・冷包など)でした。
 劉備に降伏後、劉璋は荊州公安郡太守として任地に赴きます。その後、関羽の敗戦後 荊州の所有権が呉に移るとそのまま帰順し、暫くして病死します。

 能力は、譲ったことから枚数カウントをしない能力を付けているので、前半に戦乱を潜り抜けたことから統率のみ2としました。政治は益州を治めていたものの、上手く治めることが出来なかったとの評価があるので1、知力も後先考えず張魯の家族を殺したり、劉備を迎え入れたりしているところからこちらも1です。
コメント
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