植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

サクサク三国志:袁譚

2011年03月01日 20時39分46秒 | ゲームシステム
所属:袁紹→袁尚→曹操
年齢:約27歳(200年の時)

 袁紹の団子三兄弟の長兄です。生まれは父と同じ、豫州の汝南で父が冀州で旗揚げするとそれに従います。さらに父が青州を取ると、青州刺史として統治する為に赴きます。当時の青州は黄巾賊の残党が跋扈しており、治安が著しく悪く、さらに別駕(州内第二位の地位)の者が、王修と言った有能な政治家を起用するのを邪魔していたこともあり、当初はあまり統治が上手くいきませんでした。しかし、なんとか王修を別駕に起用することが出来、以後は州内の治安は回復に向かいます。

 そして官渡の戦いが起きます。袁譚も兵を率いて参戦しますが、戦いは敗北。父は冀州に戻り、袁譚は青州(平原)に戻ります。その2年後に父が病死すると、当然袁譚が跡を継ぐものと思いますが、冀州では異母弟の三男 袁尚が逢紀・審配に推され勝手に父の基盤を受け継ぎでしまいます。これに抗議する間もなく、この混乱を見透かしたように曹操が攻め込んで来ます。袁譚は袁尚に援軍を要請しますが、袁尚は袁譚に兵力を与えるのを恐れ、僅か5000の兵を与えるだけでした。その為、袁譚は曹操に攻め込まれます。しかし、曹操も深追いをせず郭嘉の進言に従って兄弟が争うのを待ちます。袁譚は郭図の進言に従ってまんまと、袁尚と争いだしてしまいます。しかし、多くの兵力を抱える袁尚に負け、さらに追撃を受けピンチに陥ります。そこで再び郭図の進言に従って曹操に降伏します。これを受けて曹操は袁尚と戦い蹴散らします。この隙を突いて袁譚は近隣の都市を勝手に制圧し、袁尚の残党を糾合します。これを盟約違反として曹操は今度は袁譚を攻撃。これに耐えられず敗戦し切り殺される最後を遂げます。

 袁譚の能力はどこか1つぐらい3にしようと思って一番マシな統率を3としました。ので、3/2/2/1です。知力はあまりにも郭図に振り回されすぎです。

 続いて、ここでついでに袁尚の評価もします。まずマークは袁譚と違って△△。統率は対曹操戦は見るも無残に負け続けていますので2、武力は演義で史渙を斬っていることと、袁譚よりも武勇に秀でていたとされていることから3、政治は一応袁紹の後継者として最低の2、知力は高幹と連携し、洛陽を攻めさせるなど(失敗しますが)の計略を自ら練って実行したことから3としました。
 △△の3/2/2/3としました。

 袁煕は、幽州の治安は袁尚に組するまでは問題なかったことから政治のみ3として、マークは△△の2/2/3/2としました。
コメント
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