植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

サクサク三国志:王脩

2011年03月12日 15時09分20秒 | ゲームシステム
所属:孔融→袁譚→曹操
年齢:約32歳(200年の時)

 青州北海の人で、最初は北海相の孔融に仕えます。孔融は名声はあったものの実務や、軍事は苦手で、豪族が勝手を行うのを取り締まれないでいました。そこで王脩は豪族の元に数騎で赴き、いきなり斬り伏せます。これによって王脩の覚悟を知った他の豪族は従うようになります。以後も王脩は孔融が困難に直面すれば必ず助けに来たと言います。
 しかし、青州に袁紹が攻めてくると孔融は追い出されてしまい、代わりに袁譚が赴任してきます。以後、王脩は袁譚に仕えます。最初は青州別駕の劉献に嫉妬され讒言された為、何も出来ないでいましたが、袁紹に召された後、再び青州に戻ると別駕に抜擢された為、青州の統治に力を発揮します。
 その後袁紹が死ぬと、袁譚が郭図と辛評の進言に従って袁尚と戦いを始めてしまいます。さらに追い詰められていると聞き王脩は北海の兵を率いて救援に駆けつけます。王脩は兄弟で争うのは、自分の腕を切り落とすようなもので、侫臣(郭図と辛評)を斬って袁尚との戦いを止めるべきだと進言しますが、袁譚は聞き入れず結果、袁譚は最後は曹操に討ち滅ぼされてしまいます。
 曹操は袁譚の死を悲しむものは厳罰に処すると言明しますが、王脩は公然とその亡骸の前で泣くとそれだけでなくその亡骸を埋葬することを訴えます。忠義の人材が好きな曹操は埋葬することを許し、代わりに王脩を召抱えます。その後は曹操の配下として主に郡太守として統治にあたります。曹操が王脩に、軍師が華やかな活躍をして、魏を支えているのは王脩のような内政官だと言う手紙を送っており、如何に曹操が信頼し、王脩が尽力していたかが伺えます。
 
 統率は何度も軍隊を率いていることからかなり大目の3、武力も豪族切り込みがあるので2、政治は優秀で最終官位は大司農なのでぎりぎり4でも良かったのですが、統率をあげたこともあり3、知力は3で3/2/3/3です。山を付けるなら 2/2/4/3もありかなー。
コメント
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