植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

サクサク三国志:劉焉

2011年03月20日 09時03分04秒 | ゲームシステム
所属:独立
年齢:約68歳(200年の時 ※62歳で死亡)

 前漢の皇族ですが後漢の時代では不遇な家柄です(それでも太守や刺史を歴任するぐらい)。その為、早くから後漢王朝には見切りを付けており、霊帝に各地の混乱を収めるために刺史に兵権を持たせた「牧」の地位を新設し、各地に派遣することを上奏しますが、その実は自らがその地位になってその地で独立王国を築くことを目論んでいました。
 劉焉は思惑通り牧の地位になります。最初は交州に赴くことを考えますが、益州に天子の気があると進言を受けたため益州牧として蜀の綿竹に赴きます。当時、益州は刺史が賄賂を取って居たために住民の不満が溜まっており、そこに黄巾の乱の残党が合流して、役所を襲って刺史を殺してしまうと言う事件が起きていました。
 劉焉は私兵を集め、綿竹に乗り込むとこれらの首謀者を始末します。これによって益州各地の豪族は劉焉に従うようになります。次に劉焉は五斗米道の張魯を洛陽・長安と益州の通路となっている漢中に派遣しその割拠を認めます。そして都へは五斗米道が割拠しているのでなかなか指示を仰ぐことが出来ません!と言って半ば独立を公然と実施します。まずは、隣の荊州から入ってくる流民(敗残兵)を東州兵として統率して兵力にします。つぎに、この兵力を使って、益州の豪族で従わないものを誅殺することで自らの権威を高めます。これに反発した部下の反乱にも合いますが、東州兵の頑張りと羌族の支援を受けこれを打ち破ります。
 その後、長安で董卓が死に李カクが政権を握ると、その李カクと同盟を結ぼうとして断られた馬騰が挙兵します。劉焉はチャンスと思い、長安に残した次男に手引きをさせ、長男には兵を引き入らせて馬騰に協力されますが、計画が事前に漏れ次男は処刑され、長男も討たれると言う最悪の結果となります。
 さらに、もっとも溺愛していた三男が病死し、綿竹の居城も落雷による火災で焼失してしまうと言う災難に逢い、劉焉はさらに奥地の成都に移ると今までのショックからか病を発症し没してしまいます。

 かなり演義ではここら辺が書かれていないので、正史を見るとかなり曲者の劉焉です。統率は直接の指揮は恐らく無いものの10万と言われる兵を傘下に修めた事、武力を持って益州を制圧したことから、戦えると判断して3。馬ではなく豪華な車に乗っている記述があるので武力は無いと判断し1、政治は益州を支配した手腕から3、知力も益州独立構想を成功させたこと、失敗したもののクーデターを行うなどかなりの策謀家なので3としました。
コメント
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