ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

スポンサー探し

2014-02-01 09:03:00 | うんちく・小ネタ

先日、アルピニストの野口健さんがご自身が高校生のときに初めてモンブランに登頂成功したときのことを話しておられ、そのなかで私は目を見張ったことがありました。

それは、「スポンサー探し」の部分でした。


モンブランに登る、ということは大変なお金がかかることなので、スポンサーがついてくれないと自分の資金だけでは到底叶うことではありません。

それで彼は援助を申し出るために自らいろんな企業を足で回りました。

そのとき、ある1つの企業でこんなことを言われたそうです。

彼は、自らがいかにモンブランに恋焦がれ、山を征服するということに情熱を感じているか、という論文を書いてその担当者に見せたんですね。


そうしたらその担当者は、

「ここに書いてあることはすべてキミのことばかりじゃないか。キミがどれだけ山に情熱を持っているか、ということをこんなにもとうとうと聞かせられてもこちらは仕方がないんだよ。

キミに投資することによって我が社にはどんな利益があるんだね? 

そこを教えてくれないと。」

と言ったんだそうです。


もう、ははぁ、ごもっともでございますぅ~とひれ伏すしかありませんね。

当時高校生だった野口さんも「まったくその通りだ。」とぐうの音も出ず、すごすごと引き返し、今度は自分がスポンサーとして訪ねようと思っていた企業をもっと調べることから始めたんだそうです。

まずは相手を知れ、ということですね。

そうすると、企業のなかでもスポーツに多大なる理解を示している企業とそんなに力を入れているわけではない企業があることを知る。

そしてスポーツに理解を示している企業のなかでも山に縁がある、山登りに興味を示している、という履歴のある企業を厳選してスポンサー獲得をすることにターゲットを絞ります。


そうしたら今度は企画書づくりです。

自分がいかに山登りに情熱を注いでいるか、ということは自己紹介の一貫としてさらりと述べることは必要でしょうが、そこにはペンとしての力を注ぐことはせず、ひたすらその企業にとってスポンサーになってくれたら、自分がこの山登りに成功した暁にはどんな利益があるのか、ということの企画を考えた。


そうしてまた先だっての企業に持っていったら、今度は非常に興味を示してくれた。

「おもしろい! これは我々にはない発想だ。是非、いっしょにやりましょう。」ということにあいなった。

その企業とはセイコーです。

そして、セイコーは「野口健モデル」の腕時計を発売し、彼がモンブラン登頂の際のスポンサーになりました。

私がこの話のなかで一番感心したのは、セイコーの「子どものことをなめない」態度です。

高校生という身でありながらひとりでスポンサーを探さなくてはならない、という状況は普通の高校生にあまりありえる状況とは言えません。

私は野口さんの輝かしい足跡を知りませんが、きっと彼は高校生の時分から山登りの世界では名うての存在だったのでしょう。

もし私が彼だったら、自分の才能や情熱が人より秀でているということを自覚していたなら、きっとそれを開化させるためには周りの大人が何とかしてくれるんだろう、と全面委任してしまいますね。

いつも褒められて、周りから注目を集めている存在なら、自然に周りがほうっておかないだろうと思ってしまいます。

今でもそんな他力本願的なところを多分に持っていることを自覚しています。

何か自分に人より秀でた部分があるなら、それが本当に大層なものなら、人がそれを求めてくるはずだから、世間のほうからお呼びがかかるはずだ、みたいに単に待つだけ、という姿勢をとってしまうことが。

いかん、いかん。もっと積極的に自分を売り込まなくちゃ、と思うのですがねぇ・・  なかなか・・


それを野口さんは高校生のときに「とにもかくにもスポンサーを獲得するためには自分から行動しなきゃ。」と動いたわけですからそれがまずスゴイですよね。

そして私なら自分でお金を稼いだことがない年齢であれば、そこにどれほどの汗がしみこんでいるものかということもわかりませんから、スポンサーになってもらう、ということは「僕が登頂に成功する。高校生だからニュースになり、いろんなメディアにも取り上げられる。そのときに御社のものを身につけていれば宣伝になるんでしょ?」と思うだけでしょうね。

だから最初のときの野口さんと同じように「自分がいかに山登りに情熱をかけているか」「成功の可能性が高いか」という説明さえすれば十分、あとはそちらが検討する事項、と思ってしまうことでしょう。

それに対してセイコーははっきりと、

「キミの情熱ばかりを聞かされてもしょうがないんだよ。なぜならば・・」という説明をしてくれた。

これは厳しいかもしれませんが、キミがうちを“企業”として選んでくれたなら、はっきりと言わなくてはね、企業とはこうこう、こういうことで成り立っているものだからね、ということをレクチャーしてくれたわけです。


企業によっては相手は高校生じゃないか、この企画はなってないし興味もないけれど、そんなことを厳しく教えてやる必要もない。

ここは丁重にお引取り願おう、と思うだけではないでしょうか。

「せっかくのご提案ですが、我が社ではこの企画をお受けするわけにはいきません。

今、こういうものに対するスポンサーに名乗りをあげるということは社内的にも厳しくなっておりましてねぇ・・」

くらいのお茶の濁し方をするのではないでしょうか。

それどころかひょっとすると、

「ほほぉ。キミは高校生なのにすごいアルピニストなんだね。」と誉めそやしたり、

「この作文はよく書けてるね~(でも、うちには関係ないけど。)」なんて持ち上げたりだけして、お引取りください、というおかめ面して結果的には断る、みたいな企業も多かったかもしれません。

けれどセイコーはちゃんと「うちにとってどういうメリットがあるのか?ってことを企画してくれなくちゃこの話を興味を持って聞けるわけがないじゃないか。」ということを言ってくれたわけです。

そこで野口さんもなるほど、と目からウロコとなり、自分で努力したわけです。


人からお金を引き出したい、となれば、人が自ら財布の紐を緩めたくなるようなことを作り出さなくてはいけない、と高校生に教えてくれた企業。

そしてその言葉を真摯に受け止め、相手側にたった企画を練り直して考えた高校生。

ここには相手のことを真正面から受け止めた双方の姿があります。

それはとても美しい、と思いました。


私は自分を売り込むことなんて苦手だぁ。

苦手なことをいやだ、いやだ、と思いながらやる必要もないだろう・・

それもまたその人にとっては真理でしょう。

誰がそれ以上に「それでもやれよ!」と言うわけでもないのですから。

それでいいなら、誰かがほかから口を出すことではありません。

けれど少しでもそこにやはり「このままでいいのかなぁ・・」と思うなら、自分のなかに眠る情熱のために、その情熱のためになら苦手なことでもやれるだろう、という自分を信じて行動してみることだな、と思いました。

じゃないと自分の情熱がかわいそうだ。

「自分から動かなくちゃ、誰もあなたを見つけてなんてくれない。」

「待っていたっておいしい話が舞い込んでくるわけじゃない。」

そんな言葉は耳タコですが、それを“だって世間はそんなに甘いものじゃないから”というように捉えるのは少し違うような気がするんです。

“自分と比べて”世間は厳しいのぉ、と言うのは「被害者意識」です。

では、あなたが自分以外の人でもしすごい才能を何かの拍子で見つけたとき、それを世間の日の目をみる場所までずるずると引っ張り出してあげる、ということをしますか? 

自分にはまったくそんな義理も、利益も、得になるようなことは一切ないというのに、と考えたとき、誰だって「そこまではしないだろう・・」という自分に気付くと思います。

それが見知らぬ人であればなおさらね。

だったら「自分は甘く、世間だけが厳しい。」と考えるのは違う、という事が分かると思います。

・・・・と自分に言い聞かせて(上記の話は全部、自分に向けて語っていたわけです・・)、情熱を奮い立たせよう、っと!






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