少し前に何日か続けて、「禅」について書いたことがありました。
そう、今の私は、これまで自分が学んできたスピリチュアルなものの“集大成”が「禅」にすべて詰まっているのではないか、と思ったのでした。
オーラソーマを学んできて自然に身についたものの考え方、身の処し方などについてはほんとにオーラソーマをやってきてよかった、とオーラソーマに感謝しているのですが、オーラソーマが最も伝えたい神髄とは何か?と言われれば、
“ありのままの自分でよい”
ということではないか、と思いました。
そして、ではどうしたらありのままの自分でいられるのか、と言えば、“今ここに生きる”ことであったり、“なにものにも執着せず手放す”ことだったりするのだ、と思いました。
それは今の私にはまだまだ難しすぎる。
そう素直に認めます。
まだ全然その域には達していない。
けれどオーラソーマのセッションで軽々に、わかったふうな口を聞いてそれらの言葉を使っている自分が嫌だ、と思いました。
せめてもう少し腑に落としたい。
その落としどころの地点がどこにあるのか、といえばそれは言葉では説明しにくい。
私の感覚の中にしかないことではありますが、ともかくそういう経緯で、私は、「これからの私のテーマは『ありのままの自分でいいことを知るために今ここの感覚を磨くことだ』と思ったのです。
そしてその追究は、オーラソーマの中でなされるものではないかもしれないな、と思いました。
そんなところへ禅に出会ったものですから、う~ん、なんとなく私が求めるものは、今はこっちかなぁ、という気がしたのでした。
そんな折り、阿部敏郎さんの講演会に行き、彼はその日えらく神がかり的に調子が良かったらしく(本人がそうおっしゃっていました。)、言いたいことは講演時間を大幅に残して言い切ってしまった・・という状況になりました。
なので、後半多くの時間を費やして何でもアリの質疑応答の時間となりました。
1人が質問を始めると「ならば、我も、我も。」となるのはだいたい世の習いでして、最後になるほど、まだまだ質問者はいらっしゃりそうな雰囲気でした。
そんななかで終了時間となり、阿部さんは
「何かまだ質問がある方がいらっしゃったら、またメールでね。」
とおっしゃいました。
あ、そうなの?
そんなことしてもいいの?
というわけで、私は帰ってから、やはりどうしても気になる・・と思っていたことをメールしました。
阿部さんが「どうぞ、メールしてくださいね。」とおっしゃっていたものの、返事はあまり期待していませんでした。
なにせ、日本を股に掛けてあちらこちらでしょっちゅう講演会をなさっている忙しい方なのです。
そんな講演会の1聴衆の質問なんかにかかわりあっていられるわけはないだろう、という気がしました。
けれど反面、彼のブログを読んでいる方ならおわかりでしょうが、毎日阿部さんのブログにはものすごい数のコメントが寄せられます。
そしてそのコメントにすべて阿部さんは目を通し、また次の日、それらのコメントの中から全員に紹介したほうがいいものと思ったものについて詳しく答えていたりすることもあるんです。
コメントに答えてくれることがあるのなら、メールしたって同様に答えてくれるかもしれないなぁ、とも思いました。
要するに、私の気持ちは半信半疑だったのです。
そして予想どおり(?)、阿部さんから全然返事はきませんでした。
それでも私はそのことにはがっかりはしませんでした。
忙しいだろうからというのもありましたが、阿部さんの個人的なメールアドレスを知っているわけでもありませんから、私が送ったアドレスは「事務局あて」だったのです。
だから事務局が毎日たくさんくるメールを整理して、これは阿部さん本人に見せるべきもの、これはこちらで対処して削除してもいいもの、と振り分けているのに時間がかかっているのかもしれないし、それ以前に迷惑メールにでも入って知らないうちにもう抹殺されてしまったかもしれないな、とも思っていたからです。
そんなある日、メールを送ってから3週間近くもたったときだったでしょうか。
ひょいと阿部さんから返事がきたのです。
しかしその返事を読んで私はがっかりしてしまいました。
これなら事務局が整理しているうちにどこかに紛れ込んでしまって阿部さん本人の手元にまで届かなかったんだろうな、と思いこんだままでいるほうがよかった、と思ったくらいでした。
どうして私がそんなにもがっかりしたのか、私が説明するよりもここにそのときの私が彼に送った質問文と阿部さんからの返事をそのまま載せますので、皆さんそれぞれに感じてみて下さいね。
まずは私の文面から。
++++++++++++++++++++++++++++++
(講演会の感想と時節の挨拶を書いたあと)
私がお尋ねしたいのは、
あの講演会の場で阿部さんは、
「この世はゲーム盤のようなもので、私たちは自分という名の
キャラクターを演じているにすぎない。」
ということをおっしゃっておられましたが、
そうであれば、どうして私たちはわざわざ本当の自分に
気付かないように操作されているのか?ということです。
はじめから自分は「大いなる知性」とつながっている、というか 一体化した存在なのだ、と気付いていればラクのように思えるのですが。
私も含めみな、そもそもがそういう存在だったのだ、ということに
気付くためにものすごく多大な時間と労力を使っています。
(それでもまだよくわかりません。)
そんな多大な時間と労力を使わせられているのはどうしてなのか?
そこがよくわかりません。
そして、今世では「キャラクターを演じる」ということを余儀なくされているのであれば、
ほんとうの自分は違うところにいる、などということを知らずに
ただそのキャラクターをがむしゃらに一生懸命に生きるだけの人生で何が悪い、
という気もします。
これは開き直っているのでは なく、
精神世界のしくみなぞに興味はなく、
ただ毎日を必死に生きている市井の人が一番えらい、という言い方をしたりしますよね。
ほんとにそうではないか、とふと思うことがあるものですから。
どうか教えていただけると幸いです。
坪内恵津子
++++++++++++++++++++++++++++++++
というものでした。
そしてそれに対しての阿部さんから来た返事というものが、これです。
++++++++++++++++++++++++++++++++
坪内さんへ
今世では「キャラクターを演じる」ということを余儀なくされているのであれば、
ほんとうの自分は違うところにいる、などということを知らずに
ただそのキャラクターをがむしゃらに一生懸命に生きるだけの人生で何が悪い・・・
そのとおりです
言葉に惑わされずに、その時その時一番いいと思ったことを精一杯生きてください。
阿部敏郎
+++++++++++++++++++++++++++++++++
いかがですか?
どぅお、このあまりの素っ気なさ。
素っ気なさだけにがっかりしたわけではありません。
いかなるときも返事は素っ気ない、というタイプの人であればそうは思いません。
だけど阿部さんはむしろ語りたくてしょうがない、という人だと思っていました。
実際、講演会のときの生の質問に対してはいろいろと言葉を尽くして答えておられましたし。
ブログでのコメントに対するものももっと言葉を尽くしていました。
これはどういうことなんだ?
私が、「何が悪い?」という言葉を使って質問したことが、何か彼の世界観を汚したとでも思われて腹立たしく思ったんだろうか?
でも、全体を通して私がそんな彼に突っかかるつもりでモノを言っているわけではないことはわかっていただけると思うんですが・・・
あるいは逆に「坪内さん、そんな小難しく考える必要はないんですよ。禅とはもっとシンプルなものです。」ということを伝えたかったんだろうか?
何より私が一番がっかりしたのは、私が本当に聞きたかったことに答えてくれていない、ということでした。
私にとってはこの質問の前半部分がむしろ大切だったのです。
「キャラクターの人生を一生懸命生きるだけで何が悪いのか?」ということが一番聞きたかったわけではなく、私たちがキャラクターを演じているのに過ぎないのであれば、「どうしてわざわざ私たちというのはそれに気づかないように操作されているのか?」という部分が一番聞きたいことだったのでした。
阿部さんは私の質問を読んで、「そこはこの人にとっても二の次の部分だな。」と思ったからスルーしたのか、あるいは逆にそれは言葉で簡単には説明できないぞ、と思ったからスルーしたのか、あるいはさらに語るに足らず、という気持ちだったのか、いったいなんだろう?と思いました。
そしてその後私の中に湧き上がった気持ちというのは、「禅問答などを読んでいてもそうだけれど、ときに禅はそれを学んでいない人にとって、カッとなるほど失礼な態度だと思うときがある。これもその1つか?禅に親しむと人はそうなってしまうのか?」ということでした。
以前に私が若い頃、街で「アンケートにご協力ください。」と言いながら私に禅問答まがいのことをふっかけてきたお坊さんに腹が立ったのと同じような気持ちになったのです。
だからその後、阿部さんが「THE 禅 プロジェクト」を立ち上げると言いながら、募集2日前に中止になってしまったのも、「ふぅむ。これは私にこの件に首を突っ込むのはやめておけ、ってことかな。」とそのときは思いました。
というか、その時点で私はこのプロジェクトに参加するのはもうやめておこう、と決意したと思っていたのです。
実際に阿部さんのところにも色んな賛否両論激しい意見が飛び交ったようです。
私は少なくとも「いったん保留」とか「延期」でなく、「中止」という言い方をされているくらいなのだから、「また準備が整ったら皆さんにすぐ連絡する」と言っていても、それは何か月か先の事だろうと思っていました。
だからその間にまた気が変わることもあるかもしれないが、そのときはそのときだ、とと思っていました。
けれど意外にも2週間後にはすぐに「お待たせしました! THE 禅 プロジェクト再開です。」というお知らせがきました。
なぁ~んだ、こんな程度の期間のことなら「延期」っていう言い方をしておいてくれりゃあよかっただけなのに、と思いました。
いずれにしても自分の気持ちはこのときの阿部さんの返事のことや、いったん頓挫したということもあって、冷めているだろうと思っていました。
けれど、意外にも私は「どうしようかな~」と思いつつ、その紹介動画やメール、音声メールなどを見ているうちに申し込んでしまっていました。
自分でもびっくりです。
あれ? あれぇ? 私の右手が勝手にあっというまにクリックしちゃったぞぉ? って感じでした。
でも意外に私の潜在意識は私がこれに申し込むであろうことをとっくに知っていたような気もします。
それで冒頭の発言に戻るのですが、よほど私はこれまでやってきたことの集大成が今の時点の私にとっては、禅なのだな、と思っているらしい、ということです。
この「THE 禅 プロジェクト」は、来年半年間にわたって、阿部さんと向禅師と共に“今”を生きている私たちは仲間(サンガ)なんだ、ということを体験していこう、という趣旨のものです。
具体的にはオンライン配信、DVD配布などが主で、実際の場で講演や授業があるわけではありません。
けれど時にはオフ会のような形でお寺で禅を体験する、なんてことも希望すれば出来るみたいです。
少なくとも来年「よし、これに取りくもう」というものはできました。
毎日毎日過ごしていく中での気付きをまたこの場でシェアしていきたいな、と思っています。
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オーラソーマを学んできて自然に身についたものの考え方、身の処し方などについてはほんとにオーラソーマをやってきてよかった、とオーラソーマに感謝しているのですが、オーラソーマが最も伝えたい神髄とは何か?と言われれば、
“ありのままの自分でよい”
ということではないか、と思いました。
そして、ではどうしたらありのままの自分でいられるのか、と言えば、“今ここに生きる”ことであったり、“なにものにも執着せず手放す”ことだったりするのだ、と思いました。
それは今の私にはまだまだ難しすぎる。
そう素直に認めます。
まだ全然その域には達していない。
けれどオーラソーマのセッションで軽々に、わかったふうな口を聞いてそれらの言葉を使っている自分が嫌だ、と思いました。
せめてもう少し腑に落としたい。
その落としどころの地点がどこにあるのか、といえばそれは言葉では説明しにくい。
私の感覚の中にしかないことではありますが、ともかくそういう経緯で、私は、「これからの私のテーマは『ありのままの自分でいいことを知るために今ここの感覚を磨くことだ』と思ったのです。
そしてその追究は、オーラソーマの中でなされるものではないかもしれないな、と思いました。
そんなところへ禅に出会ったものですから、う~ん、なんとなく私が求めるものは、今はこっちかなぁ、という気がしたのでした。
そんな折り、阿部敏郎さんの講演会に行き、彼はその日えらく神がかり的に調子が良かったらしく(本人がそうおっしゃっていました。)、言いたいことは講演時間を大幅に残して言い切ってしまった・・という状況になりました。
なので、後半多くの時間を費やして何でもアリの質疑応答の時間となりました。
1人が質問を始めると「ならば、我も、我も。」となるのはだいたい世の習いでして、最後になるほど、まだまだ質問者はいらっしゃりそうな雰囲気でした。
そんななかで終了時間となり、阿部さんは
「何かまだ質問がある方がいらっしゃったら、またメールでね。」
とおっしゃいました。
あ、そうなの?
そんなことしてもいいの?
というわけで、私は帰ってから、やはりどうしても気になる・・と思っていたことをメールしました。
阿部さんが「どうぞ、メールしてくださいね。」とおっしゃっていたものの、返事はあまり期待していませんでした。
なにせ、日本を股に掛けてあちらこちらでしょっちゅう講演会をなさっている忙しい方なのです。
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けれど反面、彼のブログを読んでいる方ならおわかりでしょうが、毎日阿部さんのブログにはものすごい数のコメントが寄せられます。
そしてそのコメントにすべて阿部さんは目を通し、また次の日、それらのコメントの中から全員に紹介したほうがいいものと思ったものについて詳しく答えていたりすることもあるんです。
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そして予想どおり(?)、阿部さんから全然返事はきませんでした。
それでも私はそのことにはがっかりはしませんでした。
忙しいだろうからというのもありましたが、阿部さんの個人的なメールアドレスを知っているわけでもありませんから、私が送ったアドレスは「事務局あて」だったのです。
だから事務局が毎日たくさんくるメールを整理して、これは阿部さん本人に見せるべきもの、これはこちらで対処して削除してもいいもの、と振り分けているのに時間がかかっているのかもしれないし、それ以前に迷惑メールにでも入って知らないうちにもう抹殺されてしまったかもしれないな、とも思っていたからです。
そんなある日、メールを送ってから3週間近くもたったときだったでしょうか。
ひょいと阿部さんから返事がきたのです。
しかしその返事を読んで私はがっかりしてしまいました。
これなら事務局が整理しているうちにどこかに紛れ込んでしまって阿部さん本人の手元にまで届かなかったんだろうな、と思いこんだままでいるほうがよかった、と思ったくらいでした。
どうして私がそんなにもがっかりしたのか、私が説明するよりもここにそのときの私が彼に送った質問文と阿部さんからの返事をそのまま載せますので、皆さんそれぞれに感じてみて下さいね。
まずは私の文面から。
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(講演会の感想と時節の挨拶を書いたあと)
私がお尋ねしたいのは、
あの講演会の場で阿部さんは、
「この世はゲーム盤のようなもので、私たちは自分という名の
キャラクターを演じているにすぎない。」
ということをおっしゃっておられましたが、
そうであれば、どうして私たちはわざわざ本当の自分に
気付かないように操作されているのか?ということです。
はじめから自分は「大いなる知性」とつながっている、というか 一体化した存在なのだ、と気付いていればラクのように思えるのですが。
私も含めみな、そもそもがそういう存在だったのだ、ということに
気付くためにものすごく多大な時間と労力を使っています。
(それでもまだよくわかりません。)
そんな多大な時間と労力を使わせられているのはどうしてなのか?
そこがよくわかりません。
そして、今世では「キャラクターを演じる」ということを余儀なくされているのであれば、
ほんとうの自分は違うところにいる、などということを知らずに
ただそのキャラクターをがむしゃらに一生懸命に生きるだけの人生で何が悪い、
という気もします。
これは開き直っているのでは なく、
精神世界のしくみなぞに興味はなく、
ただ毎日を必死に生きている市井の人が一番えらい、という言い方をしたりしますよね。
ほんとにそうではないか、とふと思うことがあるものですから。
どうか教えていただけると幸いです。
坪内恵津子
++++++++++++++++++++++++++++++++
というものでした。
そしてそれに対しての阿部さんから来た返事というものが、これです。
++++++++++++++++++++++++++++++++
坪内さんへ
今世では「キャラクターを演じる」ということを余儀なくされているのであれば、
ほんとうの自分は違うところにいる、などということを知らずに
ただそのキャラクターをがむしゃらに一生懸命に生きるだけの人生で何が悪い・・・
そのとおりです
言葉に惑わされずに、その時その時一番いいと思ったことを精一杯生きてください。
阿部敏郎
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どぅお、このあまりの素っ気なさ。
素っ気なさだけにがっかりしたわけではありません。
いかなるときも返事は素っ気ない、というタイプの人であればそうは思いません。
だけど阿部さんはむしろ語りたくてしょうがない、という人だと思っていました。
実際、講演会のときの生の質問に対してはいろいろと言葉を尽くして答えておられましたし。
ブログでのコメントに対するものももっと言葉を尽くしていました。
これはどういうことなんだ?
私が、「何が悪い?」という言葉を使って質問したことが、何か彼の世界観を汚したとでも思われて腹立たしく思ったんだろうか?
でも、全体を通して私がそんな彼に突っかかるつもりでモノを言っているわけではないことはわかっていただけると思うんですが・・・
あるいは逆に「坪内さん、そんな小難しく考える必要はないんですよ。禅とはもっとシンプルなものです。」ということを伝えたかったんだろうか?
何より私が一番がっかりしたのは、私が本当に聞きたかったことに答えてくれていない、ということでした。
私にとってはこの質問の前半部分がむしろ大切だったのです。
「キャラクターの人生を一生懸命生きるだけで何が悪いのか?」ということが一番聞きたかったわけではなく、私たちがキャラクターを演じているのに過ぎないのであれば、「どうしてわざわざ私たちというのはそれに気づかないように操作されているのか?」という部分が一番聞きたいことだったのでした。
阿部さんは私の質問を読んで、「そこはこの人にとっても二の次の部分だな。」と思ったからスルーしたのか、あるいは逆にそれは言葉で簡単には説明できないぞ、と思ったからスルーしたのか、あるいはさらに語るに足らず、という気持ちだったのか、いったいなんだろう?と思いました。
そしてその後私の中に湧き上がった気持ちというのは、「禅問答などを読んでいてもそうだけれど、ときに禅はそれを学んでいない人にとって、カッとなるほど失礼な態度だと思うときがある。これもその1つか?禅に親しむと人はそうなってしまうのか?」ということでした。
以前に私が若い頃、街で「アンケートにご協力ください。」と言いながら私に禅問答まがいのことをふっかけてきたお坊さんに腹が立ったのと同じような気持ちになったのです。
だからその後、阿部さんが「THE 禅 プロジェクト」を立ち上げると言いながら、募集2日前に中止になってしまったのも、「ふぅむ。これは私にこの件に首を突っ込むのはやめておけ、ってことかな。」とそのときは思いました。
というか、その時点で私はこのプロジェクトに参加するのはもうやめておこう、と決意したと思っていたのです。
実際に阿部さんのところにも色んな賛否両論激しい意見が飛び交ったようです。
私は少なくとも「いったん保留」とか「延期」でなく、「中止」という言い方をされているくらいなのだから、「また準備が整ったら皆さんにすぐ連絡する」と言っていても、それは何か月か先の事だろうと思っていました。
だからその間にまた気が変わることもあるかもしれないが、そのときはそのときだ、とと思っていました。
けれど意外にも2週間後にはすぐに「お待たせしました! THE 禅 プロジェクト再開です。」というお知らせがきました。
なぁ~んだ、こんな程度の期間のことなら「延期」っていう言い方をしておいてくれりゃあよかっただけなのに、と思いました。
いずれにしても自分の気持ちはこのときの阿部さんの返事のことや、いったん頓挫したということもあって、冷めているだろうと思っていました。
けれど、意外にも私は「どうしようかな~」と思いつつ、その紹介動画やメール、音声メールなどを見ているうちに申し込んでしまっていました。
自分でもびっくりです。
あれ? あれぇ? 私の右手が勝手にあっというまにクリックしちゃったぞぉ? って感じでした。
でも意外に私の潜在意識は私がこれに申し込むであろうことをとっくに知っていたような気もします。
それで冒頭の発言に戻るのですが、よほど私はこれまでやってきたことの集大成が今の時点の私にとっては、禅なのだな、と思っているらしい、ということです。
この「THE 禅 プロジェクト」は、来年半年間にわたって、阿部さんと向禅師と共に“今”を生きている私たちは仲間(サンガ)なんだ、ということを体験していこう、という趣旨のものです。
具体的にはオンライン配信、DVD配布などが主で、実際の場で講演や授業があるわけではありません。
けれど時にはオフ会のような形でお寺で禅を体験する、なんてことも希望すれば出来るみたいです。
少なくとも来年「よし、これに取りくもう」というものはできました。
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タイミングがちょっとズレるともうダメだ~ってなっちゃうとき、ありますよね。
私は自分がそうなると思っていたのに、意外にまだ十二分にやる気があったんだ!ってことに逆にびっくりしました。
もちろん、イヤって言われてもシェアさせてもらいますよ~!
禅アカデミーに入学したのですね☆
私は、仕切り直しになる前までは、入学にかなり前向きだったのですが、再スタート後になったら、急に気持ちが萎んでしまいました。
自分でもビックリしてしまいましたけど。
禅には興味がとてもあるけれど、そこに取り組む覚悟がない自分に気づいてしまって…
内容が、私のイメージとのズレを感じたのもあります。
私はまだ用意が整っていなかったのでしょう。
次回、タイミングが合えば参加してみたいな。
ぜひ、気付きなどのシェアをお願いしますね♪