ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

ヒッピーというライフスタイル

2019-09-01 09:01:21 | 身辺雑事
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

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<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
9/11(水)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
9/14(土)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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昨日はマクラメ編み体験をしてきたときのことを書きました。
そのときに、マクラメ編みとは全然無関係ですが、じんわりと考えさせられたことがありました。
それが「ヒッピーという生き方、ライフスタイル」について、です。



最初「ん?」と思ったのは、先生の木村亮太さんが、
「ごめん、ごめん。昨日までフェスに行ってて、携帯が電池切れになっちゃってたものだから連絡とれなくてごめんね~」
と言って現れたときでした。
「フェス」という言葉自体はいくらおばちゃんでもね、知ってますよ。
朝から晩までアーティストが入れ代わり立ち代わり演奏するコンサートでもうお祭り騒ぎみたいな一大イベントのことでしょう?
え? 違うの?
まぁ、おばちゃんの理解はこの程度のものなんですけれど・・。
で、私が、
「なにか良いアーティストが出てたの?」
と言うと、木村さんは、
「うん。アーティストも良い人たちが出てたけれど、琵琶湖のほとりに2年に1回ヒッピーたちが集まるフェスが開催されるんだよ。そこはいろんなものを売ってる出店なんかもあったりして、僕は10人くらいの仲間たちとその出店の1つも出しに行ってさ。あ、ほらこれ僕が建てたんだよ」
とスマホの写真を見せてくれたのは、丸太小屋みたいな2階建ての出店ショップというかステージというか、みたいなものでした。
「へ~、すごいじゃん! こんなの建てられるの? 建材もっていったの?」
と聞くと、
「いや、廃材がいっぱいあるんだよ」
とのことでした。
建築の免許はこういうフェスでは関係ないのか? 廃材で2階建てって強度は大丈夫だったのか? と思いましたが、それよりなにより私のアンテナに引っかかったのは、“ヒッピー”という言葉でした。



ヒッピーって私が20代の頃だったかなぁ、ホームレスみたいなボロボロの恰好をわざとファッションとしてしている若者のことを、
「あいつ、ヒッピーみたいだな」
と言ったり、実際に「ヒッピーファッション」というものが流行ったりもしたけれど、今はもう死語だと思っていた。
でも、木村さんは20代と若いので、若者にとっては再び脚光を浴びるような新味を感じる言葉なのか? と思いましたが、話を聞いているうちにどうやら、そんなファッションレベルのことではなく、「ヒッピー」は彼の生き方そのもののようでした。
そういえば、彼もそんな恰好をしている。
食べ物や飲み物の好みも割と自然派のようだ。
「僕は、僕のコミュニティを持っているから」
なんていう言い方はまさに生き方そのものだし。



そんなことで改めてヒッピーってどういう人たちのことを言うんだっけ? と思いちょいとググってみました。
まず、ウィキペディアには、ヒッピーとは、
『ヒッピーは、1960年代後半にアメリカ合衆国にあらわれた欧米の伝統、制度など、それまでの主流派の価値体系を否定するボヘミアニズムなどとならぶカウンターカルチャー(およびそのムーブメント)』
とあります。
で、彼らの思想の根本にあるものは何か、というと、
『ヒッピーは、保守的だったキリスト教文明に批判的であり、ヒッピーの一部は、インドなど東洋の宗教、哲学に魅力を感じ、反体制思想、左翼思想や自然のなかでの「共同体生活」への回帰を提案した。またサマー・オブ・ラブ、ベトナム反戦運動や、公民権運動、カウンター・カルチャーとしてのロック、野外フェス、性解放、フリーセックス、大麻等のドラッグ解禁、男女平等、各種差別の廃止、のちのヴィーガニズムへとつながる有機野菜の促進などを主張し、主流とは異なったオルタナティブな社会の実現を目指した。社会変革と同時に、精神世界を重んじ、ダイバーシティ(多様)な価値の尊重を訴えた。』



当初、アメリカにおいて、彼らの多くはベトナム徴兵を逃れた学生たちであり、そのため主流社会の軍事覇権主義に反対し、父親世代の第二次大戦や原子爆弾への無条件支持の姿勢、ベトナムでの米軍の圧倒的なテクノロジーによる暴力や虐殺などに対して、音楽や麻薬、非暴力によって対抗(カウンター)しようとしました。
結果、自然と愛と平和とセックスと自由、巡礼の旅の愛好家として社会にうけとめられました。
かれらは当時、西側の若者の間で流行したマオイストや、コミューンの形成、環境運動や動物愛護、自然食、LSD、マジック・マッシュルーム、マリファナ擁護にくわえて、ヨガ、インド哲学、ヒンズー教、タオイズム、禅、仏教などの東洋思想に関心をよせました。
これまでの欧米の思想にはない概念を東洋からみちびきだすことによって、より平和で調和に満ちたユートピアを夢みました。



私が知っているのは有名は「ウッドストック」のフェスですが、あれはヒッピーの人たちにとっての「ユートピア」だったんですね。
現代でのフェスにはそこまでの意味は込められていないと思いますが。
ウッドストックは私よりもう1世代前の人たちのものであり、私はまだそのころほんのガキでしたので、言葉だけ知っているレベルでなんの想いも抱きません。
でもこうしてヒッピーという人たちを改めて発祥から傍観してみると、ベトナム戦争に対する反戦思想から端を発しているのですね。
だから、というか、当時のヒッピーという人たちにはいくら「ラブ&ピース」を掲げていても、決して「穏やかな人たち」というだけのものではない何かを社会は感じていたと思います。
大麻、フリーセックス、ロック・・・etc.
現代ではヒッピーの人たちが目指したライフスタイルの1つずつが細かに切り取られ、それらの人たちは1つの「種族」のようにくくられるものではないため、それらを包括していたヒッピーという人たちの思想が逆にわかりにくくなっているように思います。
たとえば、ヴィーガン。
別に菜食主義や有機野菜を重んじる人たちのことをヒッピーだ、などと誰も思いませんし、「健康により良いものを、って思ってる人たち」ってだけのことですよね。
そこにあまり思想を介入させることはないように思います。
たとえば、コミューン。
シェアハウスなどで、自分と気が合う人たちと一緒に住みたい、と思う人たちは増えてきているように思いますが、これも主には「老後1人になったときを考えると・・」とか、「血がつながっているということだけで何も人生に求めるものに共通項がない人たちと一緒に住むより、他人であっても志向性が同じ人たちと生きたほうが楽しい」ということだけから来ているものであって、そこにヒッピー的なコミュニティを感じるものではないと思います。



要するに私たち自身が実感するこの世の中での1番大きな単位が「地球」だとすると、その次が「国」や「地域」、次が「民族」、そして最小単位が「家族」と考えて行ったとき、国や地域、民族にはその指導者によって特定の思想が含まれますが、“自分自身の意志で”ある特定の思想を持った人たちが集まって、その生き方を大切にしながら暮らそうよ、というものが宗教団体であったり、なんらかのコミューンを形成する人たちでしょう。
それに対してヒッピーという人たちは「反戦思想」が根本的にあったわけですが、単に「戦争はいけないと思うよ」というだけでは、そりゃそこから先は各自いろいろとライフスタイルはバラけて行って当たり前だと思います。
戦争反対がすぐに1つのライフスタイルを目指すものではありませんから。
しかも、現在ではアメリカは直接徴兵され主体的に行っている戦争はありませんから、ベトナム戦争のときのような痛みを国民が分かち合う、ということも実感としては乏しくなっていると思われます。
アメリカであればもっと小さな単位で、「反銃社会」とかのコミューンになっていくのでしょうか。(わからないけど)



ヒッピー運動の理想を生きようとしたヒッピー・コミューンは社会の流れとは別のところですこしづつ豊かになりました。
西海岸オレゴン州にはかなりの数のコミューンに住む人々がおり、幾人かは消え去り、幾人かはまだかたちをかえながらもコミューン生活を続けているそうです。
多くのヒッピーは長期的なライフスタイルへの取り組みをおこなっていたけれど、ヒッピーは1980年代に「売り切れ」になり、物質主義的消費文化の一部となったと主張する人もいます。
実際、ヒッピーの文化は一度もちゃんと人々の目に見えていなかったけれど、ヒッピーやネオヒッピーは大学のキャンパス、コミューン、集会や祭りで見かけることがあるといいます。
私が出会った、木村さんもその1人でしょう。
そしてその多くは、平和、愛、そして地域社会の価値観に適応しています。
彼らが、
「できるだけ自然を大切にし、自然のまま、あるがままで自分たちも暮らしていきたい」
ということが根本では同じなだけ、というのなら現代人のほとんどが心ではそう思っていると思いますからなんら異論はないわけですが、その「ライフスタイル」となると、まだまだファッション的なものだけが奇異に目についてしまう状況は1960年代とあまり変わっていないような気もします。



しかし久しぶりに「ヒッピー」という言葉を聞き、そのライフスタイルを実践している人に会い、新鮮でした。
これからも木村さんには何度かお会いする予定ですから、彼から学べるものは学びたいと思います。






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