ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

芸術家はタイヘン

2019-06-05 09:01:27 | アート・文化
<今後のワークショップ予定>


「カラー&カード会」  えつこ&YUMI
      場所:名古屋市 紹介制会員サロン「GRACE」にて
  自分の持っている最高の可能性は、それを使命とする場合も多いことです。
  自分の可能性に気付き、そしてそれをブロックしている今のテーマに気付くことによって
  あなたの可能性はより広げるでしょう。
6/19(水) 10:00~13:00(※その後、フルーツパーティのランチ付。解散は14:30) 満席御礼
7/11(木)          同上                              満席御礼

「オルゴナイトFESTA」 えつこ&RUBBY
            場所:京都市伏見区 サロン「RUBBY」にて
  オルゴナイトって何? 何も知らなくてかまいません。
  ただ、綺麗なものが大好き、波動とか不思議な話も大好き、って方、歓迎いたします。
  自分が、今の自分を取り巻いている運勢についてもお伝えいたします。
6/30(日) 11:00~17:00予定(ランチ付) ¥9000 
お席あります。chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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 オルゴナイトセラピー モニター様募集!

 
 4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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先日、地元の中日新聞に「さよならドビュッシー」の作家、中山七里さんのエッセイが載っていました。
中山七里さんは岐阜県出身なのでね。
そこにはこんなことが書かれていました。
「ときどき、パーティなどに出席せざるを得ないことがあるが、そんなとき僕はなぜか『どうやったら作家になれますか?』と尋ねられることが多い。よほど作家とは簡単になれるものだ、と思われているらしい」
ここまで読んで、
「なめんなよ~ んな簡単になれるわけないだろ~」
という内容が続くのかと思い読み進めると、そういう話ではありませんでした。
なれる、なれないというよりも、なってしまってからの方がいかに大変か、という話でした。
売れっ子作家で在り続けることがいかに苛酷か、ということがそこには記されていました。
「僕はいま、あちこちから依頼された原稿で毎日14枚、書く。毎日だ。確実に毎日。なにかを1つ書きあげて、あぁ~、ほっとした、しばらくは休もう、ということはない。次作の案を練るためにお休みをいただこう、ということもできない。編集者と打ち合わせをした日にも14枚。サラリーマンのように日曜日もない。とにかくひたすら14枚を1年中こなしつづける。それをしなければ、僕程度の書き手などいくらでもいるので、2度と仕事がこなくなるだけのことだ。今、誰もが知っている売れっ子作家と呼ばれる人たちはこれを20年続けてやっている」
確かこんな内容でした。



うわ~、確かにそれは大変だなぁ、と思いました。
私がほとんど毎日UPしているこのブログの記事は原稿用紙にしたらだいたい5,6枚程度の分量です。
その約2.5倍の量をひたすら毎日・・。
しかもそれは依頼された“お話”ですから、私のように、
「あ、今日はこれがピンときた~ このこと書きたいな」
と自分の身に起きたことをバッとただ白い用紙にお鍋から空けるようにすればいいものではありませんからね。
相当ウンウンうなってひねりださなくてはいけないものでしょう。
私のこんな文字通り自分の覚え書きのような日記調のブログでも、それでも書くのに1時間程度は要しているんですよ。
書き直しもしなければ、よくよく「もっとこういう書き方をした方がよかったのではないか」など吟味もしませんが、それでも約1時間。
読者にいかに面白いと思ってもらえるかを考えながら書く作家さんであれば、とりあえずマス目を埋めただけでは「書きあげた」ことにはならないでしょう。
何度も何度も推敲を重ねるのでしょうね。
それで毎日毎日14枚・・・。
どんなに書けなくても体調を崩すことさえできない。
それを積み上げ続けて、ようやく次の仕事も舞い込む、という椅子に座り続けることができる・・。
これはストレスだろうなぁ、と想像に難くありません。



そんなエッセイを読んだ次の日、ガッシュ画の講座の日でした。
先生がまた私に、
「ちょっと休もうか」
とおっしゃいました。
「ほかの人たちの作品を見てごらん」
そう言われて、私は席を立ちあがり、他の方の作品を見て回りました。
この教室にいらっしゃるのは全員、私より長年通われている方がたばかりです。
でも、その作品を見たときに私が思ったのは、
(え~、正直、私の方がうまいんじゃないの)
でした。
顔が異様に小さく、胴体が異様に長い、一匹の猫を描いてらっしゃる方の作品をそう思いながら見ていたとき、先生がこうおっしゃいました。
「バランス悪いでしょ。でもね、この人はこの猫の長い胴体が描きたかったのよ。
ただ誰に媚びるわけでもない。それが描きたかったのよ。それがよくわかる。だから、これはこれでいいのよ」
なるほど・・。
それに比べたら私の作品はただ、小綺麗すぎる、と思いました。
全体がどうということもなくまとまっているけれども、何が描きたいのかよくわからない。
そんなつまらない絵だな、と思いました。
先生のおっしゃりたいことがよくわかりました。



それから先生はこんな話をされました。
「画商がついて、個展を開催できて、パトロンがつくような画家になるのは大変なのよ。
最初のうちは誰もが、ただ描きたいものを描きたいように自由に描く。
でもそのうち、審査員に向けて描くようになるの。だって、自分の絵が多くの人に素敵だ、って認めてもらうためには日展や二科展などで賞を獲らなくてはいけないからね。へん、賞をとるなんて自分には関係ないや、わかってくれる人はわかってくれるんだから、って幻想はすぐに打ち破られる。多くの一般人は自分の眼よりも、審査員が賞を与えた作品を素敵だ、って思うから。まずは賞をとらないと自分の本当に描きたいものも描けないんだ、それまではしょうがないから割り切ろう、って思うのね。
そして賞をとっていっぱしの仲間入りになると、今度は自分のことを認めてくれる画商がつかないと意味がない、ということになる。
売れないと生活できないからね。
すると今度はまた自分の良さを本当にわかってくれる人向けに、ではなく、画商向けの絵を描くようになるのよ。そうなるといったいいつになったら本当に自分が描きたい絵を描けるようになるのかもうわからなくなっちゃうのね。
自分が本当に描きたいものが何だったのかさえ、わからなくなる。
絵って本来、とっても自由なものなのにね。
だから、こういう講座でただただ自分の好きなように描きたいものを描く、っていうのが本当は一番幸せなんじゃないかなぁ、って思うの。
好きなものを描いて、誰にとがめられるわけじゃない。誰にも迷惑かけるわけじゃない。だからもっと好きなように描いて」



私はたまたまガッシュ画というものに惹かれて描きたいと思ったときに、先生がこの先生だっただけで、この先生の絵を何枚も見て、すごく惹かれたからぜひともこの先生に教わりたいものだ、という流れでこの教室に来たわけではありません。
だけど、今ではこの先生に出会えてとってもよかったなぁ、と思っています。
語り口に人生を感じる。
この先生が今まで、どんな作家人生を歩んでこられたのか、私は知りません。
けれど、きっと作家として食べていくためには賞をとり、画商に媚び、ということをしなくてはいけない時代も味わったのでしょう。
昨日の、中山七里さんの作家人生といい、これまで自分が芸術家をなめていたことを思い知らされましたわ。
なんとなく芸術っていう、「労働」とか「ビジネス」という言葉とは無縁のアートの世界に住んでいる人は、自分の世界観だけを大切にすればいいんだろうな~、そういう点ではラクでいいな~なんて漠然と思っていたんです。
でも、「稼ぐために働く」という世界からは一見無縁のように見えるだけに、芸術と食べていかなくちゃいけない、という葛藤のはざまでよほど普通のサラリーマンより苦しむことが多いんだろうなぁ、としみじみしました。



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