以前にエンジェルカードを習いにいった西尾の新城先生のところに、今度は「エンジェル風水と豊かさのワーク」と言う授業を受けに行ってきました。
「エンジェル」と「風水」という結びつきが面白いな、と思っただけで即参加を決めてしまったので、「豊かさ」についてはどんな授業になるのかまったく知りませんでした。
頭の中では勝手に、「心の豊かさ」を感じることのできる瞑想などのワークが取り入れられるのでは、と思っていました。
すると「豊かさ」とは文字通り「お金」について、でした。
お金についての取り扱いが世界中で一番日本人は下手だ、と先生はおっしゃいました。
日本人はお金の取り扱いをそのまま人間性として同一化してみてしまう傾向がある、と。
欧米人は、その点、割り切っていてお金はお金、それと人間性を結び付けようとは考えないドライさがある、と。
例えば、お金を誰か友人に貸す。
期日までに返してくれない。
でも、「あのお金、返済期日を過ぎたけれど、どうなっているの? ちゃんと返して頂戴。」ということをなかなか言えない、というのは日本人がもっともその傾向にある、というわけです。
それを言うと、なんだかお金に執着している金の亡者みたいに思われるのではないか、とか友情を失ってしまうのではないか、とか悪くもない方が当然の権利を行使せず、気を使ってしまう、というわけです。
まぁ、そのときのシチュエーションにもよりますが、私も確かにそういうこと、言いづらい、と感じてしまうほうです。
「考えるほう」ではなく、「感じてしまうほう」。
ここが、問題。
頭で考えるレベルではわかっているのです。どうして貸したほうが小さくなったり気を使ったりしなきゃいけないの? 当たり前のことをしてもらうだけじゃん、と。
しかし、現実の「感情」レベルではやはり「何か事情があるのだろうか・・?」「ここで返してくれ。」といきなり言うよりは、どうしてこうなっているの?ということをまずはやんわり聞いてみたほうがいいだろうか?」とか思い、そのとおりにすると「返して欲しい」という意志が伝わらなかったりして、ため息をつく、なんてこと、ありました。
一度、苦い思い出があります。
会社の友人が、その家族が不始末をしたせいで私が尻拭いをしているのだけれど、それではとてもおっつかない、あなたも少しお金を貸してくれないかしら?と言ってきました。
そのときは、まぁ、自分のことでもないのに気の毒に、と10万円という単位のお金を貸しました。その子の人間性の不始末で犯したことではないのだから、とその子の人間性を信じていたこともあり。
で、返してくれる期日になってもうんともすんとも言って来ない。
1ヶ月を過ぎて業を煮やした私は、一応言うだけのことは言わなきゃ、と意を決して、「あのお金、どうなっているの?」と尋ねると、
「あぁ、あれ。順番に返しているところだから。まだあなたより先に借りた人に返しているところだから順番を待ってて。」と言われました。
なにかまるで私が順番を押しのけて前に出たい、と駄々をこねたのをたしなめられるかのような言い方でした。
びっくりしてしまった私は、「・・・あ、そう。」としか言葉が出てきませんでしたが、後でだんだん腹が立ってきました。
それならそれで最初から「順番にお金が出来次第、先に借りた人から返していくから○○くらいをメドには考えているけれど、ずれるかもしれないから。」とか言えばいいじゃない。
その子は、自分が犯した不始末じゃないから、という姿勢が裏目に出た態度を取ってしまったものと思われます。「自分が悪いわけじゃないから」というのがあるから、つい借りた人にとってもちっともすまなそうではないのです。
でも、貸したほうにしてみれば、あなたの不始末を犯した家族に貸したわけではなく、あなたそのものに貸してるんだから、と言いたいですわね。
結局、それからさらに1ヶ月が経過した頃、返してもらいましたが、そのときも「遅くなってごめんなさい。」という態度は微塵もありませんでした。
このときほど、「お金って人間の本性を見せるものだなぁ。」と痛感したことはありません。
お金が絡まなければその人の嫌な面も見ずにすんだのに、と考えたほうがいいのか、お金の貸し借りがあったからこそ、この人が本性がわかってよかったわ、と思ったほうがいいのか、いまだによくわかりませんが。
今じゃ、どんなに親しい間柄の人であっても絶対にお金の貸し借りはすまい、と決めています。
「50万円貸して欲しい」といわれたら、「5万円あげるから返さなくていい」と言おうと思っています。
実際にそう言ったこともあります。
すると、「貸してくれ」という人は意外にプライドが高いんですね。
「何も私はくれ、と言っているわけではない。返すに決まっているのにそんなふうに言われるのは不本意だ。あなたからは借りない。」と言って去っていきました。お金を借りることなんてたいしたことじゃない、と思っているから言えることですね。
去るものは追わず。
授業では最初にOリングテストでその人がお金に対してどう思っているか、という簡単なテストをしました。
いくつかの質問に答えてみると、先生は私について「お金を受け取ることに関してはかなり抵抗があるようね。だからこの先もお金持ちにはなれないかも。」みたいなことをおっしゃいました。
確かに私は「働かざるもの食うべからず」という意識が強いから、自分で自分がやった、と言うこと以上のお金をこの世で受け取ることはないかもしれません。
でもそういわれてなんとなくがっくりしていると、先生は「お金を受け取ることに抵抗がある人は、前世で神に仕える仕事をしていた、とか天使だった人たちなのよ。だからどうしてもそのカルマが残っていて、今生でもお金を受け取っていいんだろうか、っていう思いが強いの。私たちは何回も何回も転生してきているわけだけれど、それが多ければ多いほど肉体をもったこの世で生きていくためにはお金の問題が付いて回ってたいへんだ、ってことの複雑さを身に付けてしまっているので、ついそう考えがちなの。だから、案外この世で素直にすーっとお金持ちになれる人っていうのは、魂としては転生の回数が少ない人に多いのよ。お金について抵抗を感じる人は、逆に何度も何度も転生している魂の成熟度としては高い人が多いの。」と言われました。
そう言われるとなんだかちょっと気がラクになりました。
今まではずっとお金とは汚いものだ、とかこわいものだ、とか頭では思っておらず、むしろその人が果たすべき使命をまっとうするために必要なお金はその使命に対して必要な文化度にあわせて自然に手に入ってくるものだ、と思っているのにもかかわらず、どこかで素直に「お金持ちになりたい」という言い方には抵抗があり、「ある程度のお金はあるにこしたことはない。」とか「お金があればその分、人に貢献できるようなことに使い努力できるからお金はあったほうがいい。」というような持って廻った優等生みたいな答え方しかできない自分がいました。
これは「思い癖」というものだそうです。
思い癖のブロックを外さないと豊かにはなれない、ということで、ブロックを外すためのアファメーションを利用した瞑想を行ったりしました。
これでちょっとでもお金に対してバランスのよい対応ができる自分になれればよいなぁ、と思います。
習ったことのなかで、簡単にできちゃう豊かにお金が入ってくる方法をお教えします。
まず、お財布は黒の地味なもので長財布(お札を折らずに入るサイズのもの)にできれば変えてください。
お金は暗くて涼しいところが好きなので、派手な財布だと文字通り派手にお金が飛んでいってしまうそうです。
そしてできれば1年に1度はお財布は変えること。
それに対して未練が生じない程度の値段のお財布にするとよいですね。(何万円もすると長く大事に使おう、と思っちゃいますもん。)
そして満月の夜。
できればひとりでベランダかお庭に出て、一度中身を全部だし、内側を濡らしたタオルなどできれいに掃除をしてください。
お金って結構汚れているので(物理的に)、内側を拭いてみるとびっくりするくらいの汚れがとれるそうです。
そして、逆さにして3度ふります。
これで完了。
また新しくお金が入ってくるそうです。
新月、満月とやることが忙しくなってきました。
でも、これだけで身辺きれいさっぱりとし、新しく良いお金の流れが生じるとよいですよね。
是非、来年からためしてみてくださいな。
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