曜日並びから言っても今日から初仕事、という人が多いんじゃないでしょうか。
私もそうです。
さぁ、いきなりエンジン全開!といきたいもんです。
そして、今日はお仕事っぽい話題です。
接客で教えたことのある子と話していたときのことです。
彼女は、今度新設される大型スーパーに勤めることになりました。
そして、そのための今は事前研修中です。
その研修中のとき、教えてくれている研修リーダーの方が、
「ところで、このなかで○○のポイントカードを持っている人はいる?」と尋ねたんだそうです。
○○というのは、彼女が勤めるところのライバルスーパー。
そのほかにも△△も××も含め、3、4社のほかの会社のカードを持っていないか?と皆に手をあげさせた。
まぁ、パラパラと手を挙げる人がいて、研修リーダーは、
「あそこは、どれだけポイントつくの?」とか、
「ふぅん、そういう仕組みかぁ。」などと感想を漏らしていたそうです。
そんななか、彼女は○○のカードは持っているけれど、手は挙げなかったんだそうです。
「どうして?」と聞くと、
「だって、ライバルのスーパーによく行ってます、ってことじゃないですかぁ。そんなこと気が引けるし。
第一、そんなところでハイ!って元気よく手を挙げて目立ったって何にもいいことありゃあしない。」と言いました。
「でもさ、向こうは○○や△△のカードの機能を知りたくて、持っている人に尋ねただけなんでしょ?
この人ったら○○のカード持っているってことは、うちよりあそこでばっかり買い物してたのね、なんてヘンな目のつけ方をすることはないでしょう。」と言うと、
「でもやっぱり、感じよくは思われないんじゃないですか?
自分が勤めているスーパーのカードだけ持っている、っていう人のほうが覚えはめでたいでしょう。」と言う。
そう言われればそんな可能性も否定はできない・・
「いずれにせよ、私はそんなところで目立とうとする人の気が知れないんですよ。」と彼女は締めくくりました。
もし、その場に私が研修生として存在していたとしたら・・
私は、○○のカードを持っていたとしたら、手を挙げているだろうなぁ、と思いました。
それは、「聞かれたから、持っていたから、挙げた。」というだけのことです。
それを聞かれた時点ですでに、聞いたほうに、「聞いてはみたものの、持っている、って手を挙げた人のことはあまり快くは思わないわよ。」という心は捨て去って聞いているのだ、と信じている。
それはもう大前提。
だから、挙げる。
それだけのことだ。
「そういうところで目立とうとする人」だと自分を思ったこともないし、そういう風に受け取る人がいるなんてことも、思いも寄らなかった。
第一、手を挙げて何か持論を展開して初めて「目立つことを言ったかも・・」という事がありえるのでは、と思っていたので、ただアンケートのように「持っているか?」に対してのYESかNOかで手を挙げただけ、の状態を“目立つ”とか思ったこともないし。
そして、ほんとにいろんな感じ方をする人がいるものだよなぁ、と思いました。
そして、改めてもう1度彼女の言ったことをよく考えてみました。
「損か得か」ということだけで考えてみれば、少なくとも手を挙げて「得」になることは確かに何もないように思える。
彼女が言ったとおり、研修リーダーはライバル会社の販促を知りたかっただけで、色眼鏡では見ないようにしよう、と思っていても、いざ活き活きと「ハァイ!」なんて手を挙げられると、「なんだ、よそのカードを持っているっていうことをよくそんな堂々とした態度で言えるな!」という気持ちになるのかもしれない。
そうしたら、「損」なことはあるよな。
そして手を挙げなければ、やはり「得」もないけれど、「損」もない。
どこのカードも作っていない人だな、というだけのことだ。
そう考えると、手を挙げないほうが少なくとも損はない。
そして彼女はそれを選択した。
こういう人が「リスク回避能力」が高い、ということなんだろうか。
本能的にそういうものが備わっている。
そして私のようなバカ正直に手を挙げる(だろう)人は、「リスク回避能力」が低い人間ということが言えそうだ。
低いどころか、自分から買って出る、ぐらいのところがある・・
彼女はこんなところでは目立ちたくない、と言った。
確かにこの彼女には、ライフワークとも言える趣味があって、そこでは実に積極的な活動をしています。
だから自分が力を入れてやっている場では目立つ気は十分にあるのでしょう。
私は出るべきところをわきまえているから、それ以外のところでは出ないのよ、と言いたいのかもしれない。
ようするに“わきまえている人”、“空気読める人”ってわけです。
でも待てよ、とふと思った。
活躍している場での彼女を知っている人がいるとする。
そしてカードのときには、内心(あれ? あの子、○○のカード、持っていたはずだけどなぁ。なんで手、挙げないんだろ?)と思ったとする。
あとでその理由を聞いて、はぁ~、なるほどぉ、と感心はしても、彼女に対する友情は深まるだろうか?
「この人は場面場面や人によって使い分ける人なんだな。」
「私に対する態度もすべて額面どおりに受け取ってはいけないのかもしれない。」
「あちらがそういう気持ちなら、私も少なくともこの人に対しては行動や発言を吟味するようにしなくちゃね。」
などと思うようになるのではないだろうか。
・・これは人づきあいとして、しんどいよなぁ、と思いました。
私は、なるべく「オープンな人」でいようと思っています。
いつなんどきでも、「ありのまま」「こんだけのもん」という人に。
赤ちゃんがどうして襲われることがないか、というと裸だからです。
裸だからより「私は赤ちゃんです。」という赤ちゃん特有のフェロモンというか匂いを発しており、それによってたいていの動物は、我が子でなくとも「あ、これは守ってあげなくてはいけないものだ。」という中枢を刺激されるんだそうです。
それがぶくぶくに服を着ていると、わかりにくくなる。
だから裸のほうが安全。
裸で街を歩くわけにはいきませんが、少なくとも心は裸で「私は何も飾っていません。」という状態でいたほうが、かえって人から攻撃されることも少なくなるように思うのですが・・
第一、自分がそのほうがラクじゃないのかなぁ。
彼女はそうしないほうがラクなのかなぁ。
「リラックスできる状態」といってもほんとに人それぞれなんだよなぁ、と思いました。
メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。
そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。
ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。
ご予約はメールにて受け付けております。
「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)
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お年玉企画
1月中 些々羅にて、
レギュラーコンサルテーション(50mlボトル付 \10000)
を受けると・・・
ポマンダー、クイントエッセンスがそれぞれ5 ml
付いてきます!
なかなか1本のボトルとワークするとき、きちんと3本柱を使う
って出来なかったりしますよね。
年頭にあたって、是非それを体験していただきたいな~と思いま
して、いわば些々羅からのお年玉でございます。
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ワークショップ
「ボトルとワークする、を体験してみよう!」
1月18日(土)
13:00~16:30
参加費:25mlボトル付きで \5000
ボトルとワークする、って孤独ですよね。
塗ってみてボトルから感じることは? って言われても・・
他の人はどうやってボトルを観察してるの? なんてことが
一度は気になったことがある、というあなた。
是非、参加してみてください。
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どちらもお問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで。
さて、そういうわけで今一度、1月の企画についてご案内させていただきますね~
新年早々、なんか心が荒れ模様で、参ったなぁとなってたのですが
来ない間に増えてた記事読んでたらなんか楽になってきました。ありがとうです!みにつまされる内容が多かったのですがっ
この女性みたいな人いますね。
嫌いだわぁと思いながら読んでたんですが、赤ちゃんのくだり読んで、やべぇ私も防御力あげすぎてると気づきました。同類だったなんて…
でも怖くて気が抜けない無意識があるんです。
今、使用しているボトルはメタトロンからカップに変わりました。
カップって愛情を受けとるとかですよね。
ああ、身に付けたいけどこわい。
こわいと思っていることにはじめて気づきました。
不幸になれている人は幸せになることに抵抗するという心理学があるそうですが、それっぽいです。
カップを頼りつつがんばりますっ
損得に過敏な女性も、やたら損させられてきた過去があるのかもしれませんね。
しんどい人付き合いが、まだましだと思うような経験があるのかもしれません。いじめとかでしょうか。
心の傷はあとに引きますね。
そういえば瞑想のコツを見失ってたのですが、ブログを読んでいるうちになぜか思い出してきました。
ありがとうございます!
今年もよろしゅうに。
そしてコメントありがとうございます。
そうですかぁ。
新年早々荒れ模様だったなんて・・
まぁ、何があったんでしょう・・
でも、いろんな気付きがあったようでよかった~!
私たち、知らないうちにいろんなところであらかじめ防壁ばっかり作ってますよね、ほんとに。
ちなみにわたしが損得に敏感になるときは、自分が損させられてきたことが多いからというよりも、戦争を経験してきた親が自分たちは戦争によって人生損したから、おまえにだけは損させたくない、というびりびりするほどのビームを投げかけてきたということだな~と赤白さんのコメントを読みながら、私もまた気づきました。
ありがとうございます!
カップ、素敵なボトルですよね。
いろんな愛をうけとってくださいよ~
おっと、受け取る前には不必要なものを手放してくださいね。
でないと受け取る余地がないといけませんからね。
心が荒れ模様になった原因が、それがなにもないんですよ!なんでー?
と思っていましたが、お返事読ませていただいて気づきました。
ちょうど今年に入ってからカップを使い始めたんですよ。
カップを使い始めたくらいからなんですよ荒れ模様。
もう苦労は嫌じゃああと思っていたので、そうかもなぁと思いつつ認めたくなかったのですが、
不必要なものを手放すという必要が先に出てきたんですね。
言われてついに受け入れました。
しっかり手放して、早くいいもの注ぎなおします!
ありがとうございました。
そうだったんですね!
特になにかがあったわけではなく、カップを使い始めてからだったんだ~
カップそのものの意味に、「私達は手放すことができると、次のものを受け容れられます。」みたいな意味があるけれど、そういう言葉がピンとくるときと、別のところで言われたときのほうがピンとくるときっていうのがありますね。
私も、今年の風水のテーマが「縁」だそうで、縁を結ぶためには、まずは悪縁を断ち切らないと良縁は入ってきませんよ、と書いてあったことにハッとしたんです。
オーラソーマを学び始めてから、出会った人、もの、はすべて何かしら意味がある、と思って自ら断ち切ろうとはせずにきましたが、”意味がある”というのは、そこに自分の学びがある、ということで、”断ち切ってはいけない”ということではありませんものね。
その人自身を否定するわけではありませんが、私にとっては断ち切ったほうが今はよい人、と言うのも確かにあるなぁ、という考えに変わって来ています。
赤白さんも、不必要なものは思い切って手放すことによってよいもの、注いでくださ~い!