ヨガに行ったときはたいてい、ポマンダーとクイントエッセンスを持っていきます。
最初は、場の浄化、自分の浄化、新しいスタートラインというつもりでヨガの前にセラピス・ベイをかいで、終わったらグランディングのためにレッドをかごう、と思っていたのですが、そのときに自分だけ何やら怪しげなものを取り出しくんくん、というのも何なので、怪しいものではないよ、ということを説明して皆さんもよかったらどうぞ、としていたのが、いつのまにか、全種類持って行くようになりました。
この日も、終わったらエッセンスを取り出して、「よろしかったら皆さんもお好きな香りをどうぞ。」と差し出したら、明子先生が、「私は自分用にはいつもディープマゼンタなんだよね~」と言ってこのときもディープマゼンタを手にしました。
「あ~、この香り、この香り。もう、これは私の血液だっていう気がする! これで出来ているプールがあったら泳ぎたいわ。」と言ってくださいました。
思わず笑ってしまいましたが、これほどに愛されているディープマゼンタちゃん、幸せ者です。
ひょっとしたら先生、私よりオーラソーマのディープなファンかも・・・
いくら私でも「これは私の血液だ!」とまで思う香りはないもん。
そのときそのときで違っちゃうもん。
「あ、そういえば・・」と言うことで、明子先生が以前に福島にボランティアに行ったときの話をしてくださいました。
「えっちゃんにもらったオレンジとホワイトのポマンダーを持っていったのよ。
そうしたら、あるところで私もオーラソーマやっていました、っていう人がいたの。それで、すべて流されてしまって、当然ボトルも流されてしまって、身内も死んでしまったけれど、今このホワイトポマンダーの香りをかいだら、あぁ、また1つずつボトルを買い集めてオーラソーマやろうかなぁ、という気になった、と言ってくれた人がいたのよ。」と教えてくださいました。
思わず涙が出るほど嬉しい話でした。
正直、生死の世界をさまよって、ようやく助かったものの家も家族も失って、まだ不自由な避難所暮らしが続く方たちのためにオーラソーマが出来ることはもう少し後になってからだろう、と思っていました。
オレンジやホワイトのポマンダーがいいっつったって、かいで「あぁ、いい香りね。」とは思ってもその効用を感じられるほどの1人1本ずつ、というように配ることができるわけではないし、ボトルって言ったって、お風呂に入ることもままならないなかでそんなオイリーなもの体につける気にならないだろうし、って。
でも、こういう話を聞くと、たとえ1人でもまたオーラソーマに戻ろう、という人がいたならそれだけでも十分じゃないか、と思えました。
先生がそのあと、「でもね、ゴールドのポマンダー取り出したとき、おばあちゃんが、『あ!それ、ワシ、知っとるよ。金柑やろ。』って言ったのよ~」とおっしゃったので、ドッと受けてその場は笑いにつつまれました。
その日、帰る間際になって、「きれいになるヨガ」担当の聡子先生の前になにやら梵字で書かれた色紙が置かれていたので、「あ! これ、こないだのチャリティイベントで梵字を書いてくださる方のやつですかぁ。これは、なんて読むの?」と聞いていたら、明子先生が「あ、えっちゃん、阿弥陀いる?」といきなりおっしゃいました。
へ?
阿弥陀いる? って・・・
そんな「あ、ガムあるけど欲しい?」みたいな感じで阿弥陀?
なんのこっちゃ??
そうしたら、その梵字で書かれた色紙に「阿弥陀」があるけれど、それを私にあげようか、という申し出でした。
「だって、何だかえっちゃんてゴールドのオーラが似合う感じだよ。阿弥陀さまみたいだから。」なんてありがたいお言葉。
恐縮しながらもありがたく頂戴しました。
さて、頂戴したものの、「阿弥陀」様って改めてなんだっけ?というレベルの私。
せっかく頂戴したので、ウィキペディアで阿弥陀を調べてみました。
そうしたら! なんと!!
阿弥陀さまの梵名の「アミターバ」は、「無限の光をもつもの」の意味で、これを訳して無量光仏ともいうそうです。
そうだったんだ・・・!
なんだかオーラソーマそのものの神様みたいじゃないの。
もともとオーラソーマの「ソーマ」は“生きているエネルギー”を表すサンスクリット語だしね。
無明の現世をあまねく照らす光の仏・・・
無量光仏とは空間と時間の制約を受けない仏であることを示すのだそうです。
まるでB55「キリスト」みたいですね。
オーラソーマのB50からのマスターボトルの流れは、今までのすべての自分を受け容れることができるようになると空間と時間の制約から解き放たれる、と言われていますが、私はいまだにこの意味がよくわかりません。
B50~B56はワークもしたけど、イマイチB55のときにそのヒントとなるような気付きもなかったしなぁ・・・
空間と時間の制約を受けない、ということは肉体をもった我々人間には不可能なことですよね。
だからもともと“意識”の話、“魂”のレベルの話なんだと思いますが、確かに事実でなくても意識だけでも空間や時間の制約から解き放たれた、と感じることができるのはすばらしいことでしょうね。
ただここで問題なのは、空間や時間が「存在する」ことから解き放たれたいのではなく、あくまでその「制約」から解き放たれたいだけなのですよね。
それはいいトコどりをしたいだけ、という私のワガママな願望なのでしょうか。
今でも私たちは法事などで「南無阿弥陀仏」というお経を唱えるなどして、無意識のうちに阿弥陀には慣れ親しんでいます。
この「南無阿弥陀仏」という言葉、浄土宗の開祖である法然は、「私を救ってください。私を極楽浄土へ連れていってください。」という意味だ、と教え、その法然の弟子である親鸞は法然がなくなってから、その意味は、「まかせなさい。必ず救うから、という仏の言葉に耳を傾けなさい。」という意味だ、と解釈し、その師とは解釈が異なるようです。
またほかの文献を見ていたら、この意味は、すでに死者である人たちが救われますように、と現世にいる我々が死者のためにお祈りする言葉だ、と書かれているものもありました。
諸説あるようです。
しかし、どれも浄土と現世との関連を示す道であることは間違いないように思います。
オーラソーマも現世にいながらときに魂の道のことに思いを馳せたり、現世でそれを活かしながら地に足つけるにはどうしたらいいか、を考えたりします。
やはり、阿弥陀とオーラソーマはつながっているように思えます。
うれしい発見とともに、被災地の人の声も届き、無上にうれしい日でした。
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すごいね! あきこ先生には見えるんだね。
アクアちゃんは元気かい♪
そうなんだ!
うちら、みんな阿弥陀なんだね。
すごいね~ いいね~
一緒に世を照らしていく一翼をにないましょう!!
アクア元気ですよ~
また見にきてね。