母が花奴とポンタのストラップを作って、くれました。(花奴とポンタとは昨年11月に大往生を遂げた猫です。)
数日前にこのブログにも書きましたが、花奴のリアルな夢をみたばかりだったので、またもや、こういうことってなにか偶然ではなく必然なのかな、と思うばかりです。なにやらズルズルと糸でつながっているようで。
私が、「おぉ! これはいいね。ありがたくいただくわ。」と言うと、にんまりとし、わが意を得たり、という感じでした。考えてみれば、私が素直にうれしそうな表情を見せるのは彼女たち猫のこと以外ではあまりなかったように思います。
それがわかっているので母も、これなら絶対受けるだろう、と思っていたことでしょう。
母とは考えてみれば、同居していた間、猫の話以外あまり話す話題はありませんでした。
一番、典型的な例で言うと、私が「今日、帰るの、遅くなるからね。」と言う。すると、母は」「ふーん」と言うだけで私に対しては承認した、ともまあ!今日も?と言うわけでもなんでもなく受け流し、そして花奴とポンタに向かって、
「エッちゃん、今日も遅いんだって。やだね~」と話しかけるのです。
なんじゃい、それはと思いながらも私も、直接私に「え~、今日も遅くなるわけ?」と言いでもしようものなら「仕方ないでしょ! 仕事なんだから」と言うだけでしたでしょうから、これは私の怒りをスルーする上手なやり方だったともいえます。
つまり花奴とポンタという猫たちは我々母娘にとって、猫という家族であると同時に、コミュニケーションを媒介するツールでもあったわけです。
だから、今猫が死んでいなくなって、あのまま家にいたら、いったい何を話していたのか、何も話していなかったのか、どうなっていたのだろうな、と思います。
まあ、少なくともクッション材がなくなった分、険悪なムードになることが多かったでしょうね。
今、離れてみて、母とは言葉ではないコミュニケーションをしている時期なのだな、と思います。
ときどき、夕飯のおかずを分け合ったり、今日みたいにちょっとした心遣いをやりとりするようなコミュニケーション。
これも立派なコミュニケーションのひとつです。
極端なことをいえば、何かしらの心の交流なりインスピレーションの交流があれば、現実に起こっていることとしては何もコミュニケーションしていなくても立派なコミュニケーションと言えるのだと思います。
私は、ターコイズをいっぱい持っています。
ターコイズはクリエイティブなことでのコミュニケーションが得意。
たとえば、ダンスで体を使って表現する、絵を描いて展覧会を開く、本を出版する、料理をふるまう、など言葉以外でのなにかしら創造性に富むような手段を使ってのコミュニケーションが得意だと言われています。
だから多様な手段でのコミュニケーションがあっていいんだ。
だから、母とは人生のなかでこんなひと時があってもいいのだ、と思います。
無理に言葉だけでコミュニケーションを図ろうとするとケンカになったり、気まずい思いをしたり、親子だけにストレートな表現で相手を傷つけたり・・
こうしているうちに、また、一緒にいる時間が長くなるときもくるかもしれないし。
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