ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

かつて自分から去った世界

2019-03-03 09:01:05 | 身辺雑事
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本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

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いま、私は「ガッシュ画」という不透明水彩画を習っているのですが、この先生というのが、
「絵なんて楽しく描けばいいのよ~ 現代の教育は好きなものを嫌いにさせるように出来てるとしか思えない」
とおっしゃる方で、まぁ、私がこの年から習いに来ているのですから、いまさらデッサンから、とかヤル気なんてなくてただ楽しみで描いていればいい人なんだろうな、と目算をつけているというのもあるでしょう。(その通りなんですがね)



しかし、この先生、意外に
「そうはいえ、専門的に、徹底的に学びたいなら、いくらでも教えてあげるわよ」
というつもりもおありらしい。
この前、何を思ったかふいに「そうだ」と言って教室の隅をごそごそと探していたかと思ったら、
「あった! これ、なんだかわかる?」
と石膏でできた正四角形の立方体を取り出しました。
「?? これを削りだして彫像でもつくるんですか?」
と言うと、
「違う、違う。これを正確にデッサンする授業とかがあるのよ~」
とおっしゃる。
へ?
こんなもの・・ すぐに簡単に描けるんじゃないの? と思ってしまう私はあまりにもシロウトなのだろうか・・
「一方から光を当てて、影になるところとかのグラデーションも描いていくのよ。山下さんは根をあげたのよね~」
ともう1人の受講者をくすくす笑いながら指を差す。
山下さんは仏頂面して、
「もう、それはいいです。つまんない」
と言いました。
そしてそれからも遠近法が、とかルーベンスが、とか専門的な雑談が続きました。



先生は、
「レオナルドがね、あ、レオナルドっていうのはダヴィンチのことよ。昔、ダヴィンチって私が言ったら、美術の先生が、おいおい、君、ダヴィンチはダヴィンチ村の人全部を指すだけだから、レオナルドって言いなさい、って言われてね、そのときはなんだか違和感をおぼえたけれど、慣れると今度はダヴィンチって言いにくくって」
とコロコロと楽しそうに笑いました。



その様子を見ながら、私は、
(あ~、この空気。そうだわ。私が昔、憧れた空気だ~ 憧れながらも絶対に私がこういう世界にはいられないな、と思った空気でもある)
と懐かしくなりました。
高校のとき、そういえば私は何をトチ狂ったか、
「そうだ、美術大学に進むっていう手もあるな」
と思い、美術部に入っていた時期がありました。
そのときにも、
「こういう世界には私は住めない」
と思って、さっさと退散したのでした。



私には“住めない空気”というのが何だったのか? とそのときには何となくな違和感としてしかわからなかったものが、この先生が楽しそうにルーベンスが、とかレオナルドが、とおっしゃっていたときに初めてはっきりと形を成しました。
それは
「これで生活が成り立つわけではない」
というものに没頭することが、当時の私には恐かったのです。
そこにたとえ会話だけであったとしても没頭するということは、すぐにも自分で稼いだお金で食べていくことを放棄する行為かのように思っていたふしがあります。



高校3年生のときにどんな大学を選ぶか、ということはその大学を卒業した時、どんな職業につくのか、も意味している部分がありました。
結局、私はそれが決まっていなかったので、無難なところを選んでしまったのですが、そこで「美術大学に進む」とか「音楽大学に進む」とか「福祉大学に進む」と決める学生はすでにさらにその先に在る自分の将来を決めている人だったことでしょう。
そしてその中でも、「美術」という分野は一番“食えない”分野に私には思えたのでした。
実際当時は、美術の道に進んだとしたら貧乏学生を気取っていつもパンの耳をかじりながらカルチェラタンのようなところにたむろうか、お金持ちの子女だからこそ将来のことなんて考えなくても趣味と教養の世界に走ってもいいんだわ~という子か、どちらかしかいないような気がしました。
必要以上に貧乏学生を気取るのも嫌だし、プチブルジョワぶることはどのみちそうじゃないんだからできないし、いずれにせよそんな恐いことはとうてい私にはできない、と思いました。
いくら絵を描くことが好きであっても、それで美術大学に行ってつぶしが効かなくなったらその先どうやって生きて行ったらいいんだ、というところまでまぁ、漠然とではありますが、そんな気持ちを内包していたんでしょうね。
そんなに「働きたい」わけでもありませんでしたが、自分の最も専門とする分野で「稼げない」人間になるということは、まったくこの世に生産性を生み出さない人間だ、と烙印を押されたようでそれが恐かったんでしょうね。



それを今の私は、「趣味」と割り切ってこの教室に通っているわけですから安心して楽しく聞いていられる。
それが心地よかった、と同時にかすかに感傷的にもなりました。
自分が失ってしまったものを眼の前で見せられたような感じ。
私は若い頃から自立にもがきながらも、元のところでは「それでは食べていけないよ」というようなアートの世界が好きだったのかもしれません。
ずーっとそれを引きずって大人になり、ついにはシニアと言われるような年齢にまで来てしまった。
げんにこの日、たまたまSNS関係の飛び込み営業の電話があったのですが(普通の個人のもののような電話番号だとどうしてもお客さまからかも、と思って出ざるをえないんですよね・・ 困ったもんだわ)、
「些々羅さまとしてはこちらがまずは初めての人でも入ってきやすい入口だと思われて『瞑想の会』を設定されているんですね」
と言われて、なんだかものすごい違和感で「いいです、いいです、結構です」と言いながら電話を切りました。
いや、私、そんなつもりでやってない。
そりゃ初めての方でも大歓迎だけれども、ここにこういう入口を作っておいてそこからこちらに取り込んで・・とかそんな魚釣りのようなこと考えてない。
でもほんとうはそういうシカケというかを考えてメニューなどを構築するのが当たり前なんだろうな。
それにそんなにもイヤな感覚をおぼえちゃう私ってなに?
つくづく私は”ビジネス”が苦手で嫌いなんだなぁ、と思いました。






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