ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

私たちはテストを受け続けて成長する

2018-02-19 10:11:22 | スポーツ
***************************************

「無料メール講座」はじめました!

「輝きを増す自分創造の泉 メール講座の詳細とご登録はこちら




<このメールを購読するとどんなメリットがあるの?>


*自分と他人を比較して落ち込んだり、焦ったりしなくなります。



*日々に感謝の気持ちが強くなります。



*人生における自分の選択に自信がもてるようになる



*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます



*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。



*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。



*インスピレーションや直感が研ぎ澄まされます。



*目標が明確になります。



*他人が敷いたレールではなく、自分自身で選んだ道を歩きだせるようになります。

*******************************************

 







平昌オリンピックでの日本人選手の活躍、うれしいですねぇ。
私は今回のオリンピック、「リベンジオリンピック」だなぁ、と思いました。
それは金メダルを獲った羽生選手と小平選手のおふたりを見ていてに尽きる感もありますが、おふたりとも悔しい思いを乗り越えての金メダルだったからです。
羽生選手は、ソチで金メダルを獲ったもののご本人は「自分の納得のいく演技ができなかった」とずっとあのときのフリーの演技を悔いていたそうで、「あのフリーの演技を超える演技をしてみせる!」というのが今回の目標だったようなのです。
そして実際に演技直後のインタビューでも「あのときよりも難しい演技構成で曲がりなりにも転ぶことなく滑りきることができてリベンジできた」とおっしゃっています。
そして小平選手は、ソチでは5位。
メダルに手が届きませんでした。
そのとき彼女は涙を流しながら、「悔しいが、やるだけのことはやったのだから自分のすべては出し切れた。これが今の自分の実力なのだと思います。」と言っていました。
その後、彼女は単身オランダに乗り込んで言葉もわからないなかでトレーニングを積み、フォームを改造し、今回の金メダルに至ったわけです。
ほんとによかったね。



それにしても冬季オリンピックって夏のオリンピックと違って、独特の雰囲気がありますねぇ。
私が1番感じたのは、今回の平昌という会場の特に特徴もあったかもしれませんが、
「競技や試合の結果がこんなにも自然に影響されるのか」
ということでした。
夏のオリンピックでも「追い風参考」とかで正式な記録として認められないなどという場合もありますが、冬季ほどに自然に翻弄されるということはないんじゃないかなぁ、と思っちゃいました。
とくに、あのジャンプ!
ものすごい強風と寒さと視界もままならないようななかで行われて順番によってはその影響の受け具合が全然違ったりして、そんなのありぃ!?と言いたくなるようなシーンもありました。




さて、ここで昨日は「潜在意識活性メンタル育成講座」の第一回目を受けたことについて書きましたが、今日もそれにつながっていきます。
これまでの私だったら、オリンピックというような4年も待った舞台の日に「風の影響」だの「想像以上の極寒」だのによって自分の実力が発揮できなかったとしたらそれを嘆き、「私はついてない!」と叫んだことだろうなぁ、と思いました。
「私はついてない!」と思うということは、「この成績は本来の私のものじゃない! ほかの要素によって影響を受けたものだ」と、自分の力を認めないことに繋がり、何かのせいにすることになり、他のもののせいにすることが自分の今後の人生にとって決して良い影響を及ぼすものではないことをわかってはいても、そう考えることをやめられないんだろうなぁ、と思いました。



しかし、「潜在意識活性メンタル育成講座」のなかの学びで、少し今後はそう思わないかも、と成長できた自分を発見しました。
それは、“潜在意識の特徴と性質”について学んでいた時の事です。  
「潜在意識には常に現状を維持しようとする」
という特徴がある、と書かれているテキストの説明を不二子さんがなさったときです。
「どうしてか、っていうとね。いま、“生きてる”ってこと自体がもうそれで成功なんだから。これまで自分がやってきたことの結果によって、今、私たちはまだ生きてる。生かされている。それってもう成果としては成功という答えなの。
だからつまり、現状のままでいい、これまでの自分のやり方でいい、ってことが自然にインプットされてしまっているってことね。だから新しいことにチャレンジすることはリスクが伴うことだ。これまで成功しているのに何も新しいことにチャレンジする必要なんてない、と潜在意識は考えるってこと。それを乗り越えて新しいことにチャレンジするには自分の強固な意志が必要ってことです。」
とおっしゃいました。
なるほどね~
「生きてるだけで成功」
って、ふだん、なかなか思わないじゃないですか。
冗談ぽく、
「生きてるだけで儲けもん」
って言ったりすることはあるけれど、生きてるだけ、言い換えれば産まれてきたってことだけでものすごい精子は確率を乗り越えて卵子に到達しているんだから、そりゃあ宝くじなんてレベルじゃないからねぇ、産まれてきただけでも成功って思ったらその通りだよね。



そしてこの後が大切なんですが、不二子さんは、
「でも、自分の意志で新しくチャレンジしたことについては必ず“お試し”がくる。そのときに自分のせいにしないこと。」
とおっしゃいました。
オーラソーマの授業でもよく「試される」とか「テストを受ける」とかさんざ出てきたなぁ、と思いました。
そこで私はふと気になって不二子さんにこう質問しました。
「でもよく、何かをやろうと一歩踏み出したときに何かとどめおかれるような出来事があったりすると、『これはやめておけ、って天に言われてるってことかな』と迷いが生じたり、実際に止めちゃったり、止めちゃったほうがいいってことだな、って考えたりするじゃないですか。それが“お試し”であり、天からやめておけ、って言われたわけではないんだ、ってことの見極めってどうすればいいんですか?」
と。
それに対しての不二子さんの答えはこうでした。
「とにかく“お試し”ってものがあるのよ、ということをあらかじめ知っておくだけでも違う。」
これは私の問いに対してストレートな答え方ではありませんでしたが、つまり、“お試し”というものが必ずあるのだ、ということを知らずにいると「これは止めて置け、って天から言われてるんだな」という方にしか解釈しなくなるけれど、“お試し”がある、ということを知っていると少なくとも「これはお試しか、それともほんとうに止めて置いたほうがいいのか」という二者の選択肢が生まれる、ということでしょうか。
それだけでも1つ、私たちは選択肢を自らの手の中に握ったということになるわけですから決断するときには「止める」が100%⇒50%に確率が減ったということになりますわね。



そして私は自分がそう不二子さんに質問をしながら、もう質問をしている途中でその答えに気付いていました。
仮に天に「止めて置け」って100%の力で言われているとしたって、「止める」か「止めない」かを決めるのは自分だもんな。
天はその決断に関与はしない。
ただ提示をみせてくれただけで、「止めない」と決めたって「あぁ、それがあなたに私が授けた自由意思を使った、あなたの結果なのね。」と言うだけだろう。(いや、言いもせず、見守ってくれるだけだろう)
むしろ、「止めて置け」って言われてる感じがするものに「いや、私は止めない」って決めたとしたら、自分自身がその自分の強固な意志に拍手を送ることでしょう。
そこまでして私はやりたいのか!という自分の意志をより確認できてよかった、ってことでしょう。



私がよくこのブログでも例に持ち出すように、十分に勉強し、自信もあるというのに、センター入試の当日にさぁ、イザ出かけようと靴ひもを結ぼうとしたときにプツリと紐が切れたとしたら、
「あ、これは縁起が悪い。今日の試験には出かけるなってことだわ。や~めよ」
ってあっさりと入試を受けに行くのをやめて家で寝っころがっているでしょうか?ってことです。
自信があることならいくら縁起の悪いことがあってもやめないんでしょ。
だったらやっぱり結局は何事も自分の意志のせい、意志が決めるんですよ。
それを止めた場合はそもそも自信がなかった、止めたかったんだ、という自分がいた、ってことですよ。



それをね、今回のオリンピックですごく思ったのです。
羽生選手の金メダル連覇はものすごく華やかに見えるけれども、実は彼は痛みどめを打っていないとジャンプなんて1回転でも跳べるような状態ではなかったらしい。
そのとき、「こんなに身体が痛いって声をあげているんだから、これは今回のオリンピックはもう止めて置けってことかな」と彼がオリンピックに出ることすらあきらめていたら、もちろん今回の金メダルはありませんでした。



小平選手にしても、彼女は単身オランダに乗り込んでから自身が「乳製品アレルギー」であることがわかったそうです。
酪農王国オランダに居て「乳製品アレルギー」って・・ そりゃ、何食べたらいいのかもうわからなくなりますよ。
彼女の場合、あれだけの選手なのにもかかわらず専属トレーナーもいなかったとのことですから、彼女は自ら栄養学を学び、なんと解剖学まで学び、それを克服したそうです。
これだって、「乳製品アレルギー」とわかった時点で、
「あ、これはオランダに練習は乞うな、ってことだわ」
と考えてすたこらさっさと日本に帰って来ていたら、彼女の今回の金メダルはなかったと思います。



ほかの選手たちにしたところがそうです。
ジャンプの選手たちが自分のときにだけ強風が吹いたということを「チクチョー! 俺はなんてついてない。運が悪かったんだ。」って思うでしょうか?
思わないと思います。
彼らの人生はこれで終わりじゃないんですから。
オリンピックという舞台は特別なものには違いないでしょうが、人生のなかでここで失敗したら終わり、ってものではないでしょう。
そういう意味では通過点に過ぎない“お試し”なわけです。
彼らはそれさえ「う~ん、何かお試しがあったんだな。それを乗り越えるだけの力を自分は持っている。よし、よく検証して次に備えよう。」と思うのだろうと思います。
そして改めて、そういう考え方ができる自分で在りたいと思いました。
そりゃ修行が足りませんから、心はざわざわすることでしょう。
でも何かあっても乗り越えることが必ずできると信じて。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿