ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

宮廷文化の夜

2018-10-07 09:01:45 | 身辺雑事
秋のぴーちゃん祭り
詳細です。といっても、200%自由人のぴーちゃんなのでどんなアルケミーが起こるかか乞うご期待デス。

このところ、ワークショップを開催して来ましたが、ぴーちゃんのお話をじっくり深く聴きたいとのリクエストにお応えして又原点に立ち返り

一日中ずぅっとぴーちゃんのお話会
ぴーちゃん算命学、実はスゴイんです、
この算命学と開花したぴーちゃんのフラワーエッセンスをメインテーマに当日の参加者のリクエストに応えてぴーちゃんの無数の引き出しからお話をします。みつばちの話、人生観、コイバナ、フラダンス、オーラソーマ、テーマは限りなくハートx2この時間は貴女への素晴らしいギフトになる事は間違いアリマセン
   10月30日(火曜) 10月31日(水曜)
        11月1日(木曜)
いずれもおよそ10時から17時
参加費用 1日15000円 2日間29000円 3日間43000円
     モーニング、ランチタイム、ティータイムを含む
     ぴーちゃんからのナニカのお土産つきプレゼント 
     最寄り駅への送迎シマス
      
夜のぴーちゃんを囲む懇親会 3500円
     懇親会だけの参加もウェルカムですよ。
夜お泊り希望の方は、別途1泊1000円でお受けします。
     お風呂はスーパー銭湯利用で別途650円要

コンサルテーション 12000円(50分)
 ・オーラソーマ・イクイリブリアムボトル(50ml)5,616円をプレゼント
    連日の17時30分から1枠のみの限定
ぴーちゃんのコンサルテーションが受けれるのは激レアです。
     この機会にぜひ。

お問い合わせ、ご予約は お気軽に
ayachan@@apan.interq.or.jp ←こちら、主催者さんに直接ご連絡となります。
@を一つ減らして送信してくださいね。

私に申し込んでもらってもいいですよ~
chakra@aura-soma.name
  縄文の人、太陽の人、ぴーちゃんに逢いに来てね
       

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 「潜在意識ってなに?」
 「潜在意識をもっとうまく活用できるようになりたい!」
 
   潜在意識のことを知らないがゆえのあるある、
       潜在意識のことを知ってるがゆえのあるある、

  
   いろんな「あるある」を吸収して、自分のものとしちゃいましょう!


   「潜在意識あるある お茶会」

 【日時】
   10月13日(土) 岐阜 セラピーサロン&スクール 「些々羅」にて  10:00~12:00
   10月25日(木) 名古屋 マリオットホテル15F「シーナリー」    10:00~12:00

 【参加費】
   岐阜    無料
  名古屋   ¥3500(アフターヌーンティーセット代)

 【参加人数】
   岐阜    限定4名様   残席3名
  名古屋    限定6名様   残席3名

 【参加資格】
  潜在意識のことをまったく知らない方も、ちょっと知っている方も、勉強されている方もどなたでもOK!

  お問い合わせ・お申込みは、

    chakra@aura-soma.name 些羅えつこ  までお気軽にどうぞ

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NEW! モニターさん募集

 「潜在意識書き換えカラーセラピー」
   近くリリース!

9月以降のモニターさんを募集します。
※モニター体験は1回限定でお願いいたします。

<潜在意識書き換えカラーセラピーって?>
ヒプノセラピー×カラーセラピーの融合、と思ってください。
自分の潜在意識を可視化できるカラーセラピーで自分の意識を確認しながら、過去、あるいは前世に戻って自分のインナーチャイルドを癒します。
ショックや辛い経験を新たな記憶に書き換え、戻ってきます。
自分にはショックや辛い経験なんてない、と思ってらっしゃるでも、私たちはある意味「生まれてきたことそのものがショック」ですから(羊水のなかで呼吸していたものをいきなり肺呼吸しなくてはならない、というだけでも人生で一大のトピックスです!)、必ずトラウマになっているようなことはあります。
よりよい未来を創りあげるために、ぜひ「潜在意識書き換えカラーセラピー」を体験ください。

120分  ¥25000   ⇒ モニター価格  ¥5000                   
 ※アンケートにお答えいただくことが条件となります。

 岐阜市 ヒーリングサロン 些々羅 にて(JR岐阜駅から徒歩12分、バスで5分)

 お申込みは、chakra@aura-soma.name

<9月の受付可能日時>
9月21日(金)   10:00~
  22日(土)             14:00~
  26日(水)   10:00~    14:00~
  27日(木)   10:00~    14:00~


<10月の受付可能日時> 残りわずかとなりました! 10月でモニターは締切ますのでお考えの方はお早目にどうぞ。

10月 9日(火)  10:00~    14:00~
    10日(水)  10:00~    14:00~
11日(木)  10:00~    14:00~
    12日(金)  10:00~ 
    15日(月)  10:00~    14:00~
     16日(火)  10:00~    14:00~
17日(水)  10:00~    14:00~
    18日(木)  10:00~    14:00~
22日(月)  10:00~    14:00~
   23日(火)  10:00~    14:00~
24日(水)  10:00~    14:00~
   26日(金)  10:00~   

    
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本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

ご購入はamaon.から → こちら




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先日、母と一緒に「メディアコスモス」(※岐阜市の図書館です)内にあるホールで、「フィレンツェ舞踊」を観てきました。
フィレンツェは確かに私が海外旅行したなかで、最も美しい都市だと思った場所です。
しかし、その舞踊をぜひとも観てみたい、とまで思ったわけではありませんでした。
母が知り合いの方が通訳で舞台に出るのでチケットを買ってくれないか、と言われたようなのです。
「でも、1人じゃあねぇ・・」
と言うので、(まったく可愛くない。ストレートに「いっしょに行かない?」と言えばいいだけのことなのに)
「じゃあ、一緒に行ってあげてもいいよ」(私も可愛くない。“あげてもいいよ”という言い方しかしないんだ)と言い、珍しく、というか初めてかもしれない・・母と舞踊を鑑賞することにあいなったのでございます。



チケットは¥2000だったので、このお値段なら、まぁ1時間もやらないよな、40分くらいかなぁ、と勝手に想像していました。
実際には、ちょっと演劇が入った舞踊45分、Q&Aコーナーで、それに答えながらまた舞踊も紹介していくというコーナー45分で計1時間30分のなかなかに見応えのあるものでございました。
出演者も大勢いたし。
いや、“見応え”っていうと語弊があるな・・
というのは、「舞踊」を紹介する、というよりは14世紀のルネッサンス期の宮廷文化を紹介する、というのがテーマの催しのようでした。
岐阜市はフィレンツェと姉妹都市提携をしているんです。
だから、お互いの市の肝いりで行われた企画のようでした。
このテーマだったほうがプロの舞踊オンリーをただ鑑賞する、というより私には良かった!



例えば、ですが、
「後ろでヒモで縛って身体に添わせるように着ていくタイプのドレス(昔のコルセットと同じしくみですね)を着ている女性は、高貴な女性」
というアピールというか、見る人にとってはそれがすぐわかることでした。
なぜなら、後ろで少しずつ絞り上げて縛っていかなくてはならないというドレスということは、御付の召使いがいる、という証拠だからです、なんて情報は言われてみればなるほど~と思いました。
あとは、
「宮廷舞踊を上手に踊れるかどうかは文化のバロメーター」
とかね。
これはすぐに理解できそうなことですよね。
Q&Aコーナーで、
「舞踊の種類はサロンによっていろいろあったんですか?」
という質問がありましたが、これに対する答えは、
「種類は何種類かはありましたが、催されるサロンごとに違う、とかオリジナルのものがあるとか、そんなことはありません」
でした。
つまり、厳然と「宮廷舞踊の原本」というような踊り方の本があって、それに忠実に基づいてどこのサロンであっても同じ踊りだったそうです。
そして「踊り」=「挨拶」でもあったので、その決まった型の踊りが出来ない、ヘタ、ということは貴族として恥ずかしいことだったのです。
優雅に踊れれば、あぁ、この人は教養を身に着けている人だなぁ、とか、いっぱいサロンに招かれて、しょっちゅう踊ってるんだろうなぁ、つまり豊かな人、というわけです。



スクリーンを利用して当時のサロンの様子やそれに最も貢献したメディチ家なども映し出されました。
それを見ていて思ったのは、やっぱりメディチ家のロレンツォという人はすごかったなぁ、ということです。
このロレンツォも孫にあたる次のメディチ家の隆盛のときの当主であるアレッサンドロも、なんか結構日本人ぽい顔つきだなぁ、とそれを不思議なものを眺めるような目で見ていました。
少なくとも、いま、私たちが「イタリア人ってだいたいこういう顔」って想像する顔では全然ありません。
ロレンツォなんて、こう言っちゃなんですが・・ 「新宿スワン」に出演していたら似合いそう、というようなどちらかと言えば、ちょい悪オヤジみたいな顔に見えます。



まぁ、そんなこたぁどうだっていいことですが、昔というのは「文化」といえば、高きから低きに流れるしかなかったんだよなぁ、ということを改めて胸に刻みました。
いや、“流れて”なんかいなかったか。
高いところのダムの人工池にぽつんとあるまま、って感じだったのかなぁ。
いずれにしても、庶民は「文化」なんてものを享受する時代ではなかったと思われます。
それがあまりに過ぎるとフランス革命のように今度は民衆の側から反乱が起こり、そこにまた文化が生まれる。
でも、その文化は常に「体制に対する不満」から生まれたものだったに違いありません。
吟遊詩人とかね。
そう考えると現在の私たちが享受している文化の数々というのは、サブカルチャーをはじめ、ほんとに市井から生まれたものが多く、多義、多様にわたっていて楽しいですよね。
そういった時代的背景を考えると現代が混沌としていても当たり前のことかもしれません。
自由があるからこそ、いろんなところから文化が生まれたら、マスまでにはならずにそれぞれが自分にとって気に入ったものを愛でていればいいわけですから。
貴族のためだけの文化だった時代から、体制に対する反逆から民衆の気持ちをわかれよ!という底辺からの文化の時代を経て、いま、なんでもありの時代。
そうなってみて、人々は自分自身の内面に目を向けるようになったのでしょう。
向けているのは外側の在り方ではなくて、内側なのですから、それが表面に現れることも少ない。
誰がどこでそういうことにいそしんでいるのかも見えにくい。
そんな時代。
これからどうなっていくのかは私にもわかりませんが、私はまたみんなが気の合う人たちとはコミュニティをつくりたい、とわらわらと集まりだす文化の時代がくるような気がします。



さて、舞踊が終わり、思わぬ1時間半という時間が経過していたため、夕食の時間を少し過ぎていました。
「なんか食べていく?」
と車のハンドルを握りながら私が母に問いかけると、う~ん・・と少しだけ考えていましたが、
「よしとく。夜はあんまり食べないことにしているから、家で残り物くらいをちょっとつまむ程度にしておくわ。どこかへ食べに入ると食べ過ぎちゃって、胃が持たれちゃうから」
と言いました。
そうだった、母と一緒に昨年父が亡くなってからお寺には何度も行きましたが、その帰り一緒に昼食をとると思わぬほど母が結構食べるのでびっくりしたものでした。
そしてそのときにも
「うん、お昼はきちんと食べるようにしている。その代り、夕食を軽めにしているから」
と言っていました。
それは良い食習慣だと思うし、ちょっと食べすぎるとすぐお腹がもたれるようになる、というのも私も年齢を重ねてその感覚がわかるようになってきましたが、昔だったら、3食きちんきちんと食べていたものでした。
ほんの2,3年前だって、お昼に友人とランチとしては重めのコースを食べたって、夕食は夕食でしっかり食べられた。
でも今は、そんな日は私も夕食は軽めにしたい、と思うようになりました。



母は、自分の習慣を崩すようなことをするとすぐに体調を崩してしまうタイプです。
だから
「そうね。いつもなら夕食は軽めにするけれども、あんたと一緒にたまに外食するのもいいかもね」
と今日ぐらいは習慣を崩そう、ということをするときっと1週間も、下手したら1か月もなんだか体調が回復しない、ということになるのでしょう。
母が
「よしとく」
と言ったときに、ふと私は、
(そうか・・ 夕食についてはこれから死ぬまで母とは共にすることはないのかもしれない。)
と思いました。



年をとる、ということはすべての機能がゆっくりと衰え、以前なら100できたことが80くらいになってきた、というレベルではありません。
日々なんとか生活していくぶんにはまだ自分で出来ることばかりだし困らないけれども、ある日突然、「あ、これはもうやめておいたほうがいいな」とかできなくなることがある。
それが母の場合、夕食を外食してドンと食べる、ということに今、なっている・・
そう思うと、
「ご飯を一緒に食べに行くことぐらい、いつだってできるんだから」
とうっちゃってきた時間を悔やむ気持ちにちょっとなりました。

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