ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

日大タックル事件

2018-05-24 09:02:41 | ニュース
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 new!

“「This is Me!」と言える人生のために、「This is you!」と言ってあげよう!”


 胸を張って、人の前で「これが私よ!」って言ってみませんか?
 勇気を振り絞って言ってみませんか?
 それを自分じゃなくて、人が発表してくれるって言ったらどう思いますか?
 自分の人生をインタビューされて、
 ほかの人の人生をインタビューして、
 そして、それを物語にする・・・
 絵にする・・・
 そして発表する。
 そんなシンプルなことです。
 でも、めちゃくちゃ感動すると思います。

 7月24日(火)  10:30~ 17:00 (終了時間は前後する可能性あり)
 
 場所:ヒーリングサロン「些々羅」 at 岐阜市役所近く

 参加費: ¥10000(税込)
      
 お問い合わせ・お申込みは、 chakra@aura-soma.name 些羅 えつこ まで お気軽にどうぞ

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昨日の夜、何気なくPCを開いたら日大の前監督の内田氏とコーチの井上氏が会見してらっしゃいました。
全然そんな予定はなかったはずですから急きょ前日の加害選手の会見を受けて開いたのでしょうね。
この問題、国民的大問題に発展してますね~
だから今更私が語ることでもなんでもないと思ってますが、昨夜の会見を見て思ったのはただただ「虚しい」の一言でした。
これで片方は「監督の指示があった」と言い、片方は「なかった」と言い続けるのなら、どのみちこれ以上証拠が出てくる話ではないでしょうから、このまますべての人が傷ついたままで終息していくのでしょうか・・



私が最も虚しかったのは、彼ら前監督とコーチの会見によって、この悪質タックルがとんだ茶番劇になってしまった、ということです。
仮に監督やコーチが言うように彼らは、
「相手のクォーターバックをつぶしてこい」
の意味が、「本当に怪我をさせてこい」ではなくて、「思い切り正々堂々と当たってこい」という意味だったとして、そして選手はマジで「秋まで使い物にならないくらいの怪我をさせてこい」という意味だと誤解したというのなら、これ、言葉をまともに受け取った加害選手はバカみたいじゃないですか。
悩みに悩んでそれでも指示通りにやろうと決意した彼はとんだ独り芝居を演じた、ということになるだけです。
そして被害者の父親がおっしゃっていましたが、
「これを刑事事件として告訴するには、団体ではなく加害者が特定されているという意味において、加害選手の個人を訴えるということしかできないそうです」
らしいので、まさに彼は1人だけ悪者になるわけですね。
なんじゃそら、って感じですわ。



こんなことを言うと、まるで私が加害者の選手に肩入れしているかのようですが、実は反対です。
反対、っていうとヘンかもしれませんが、この事件が最初に報道されたときから私の周りでは、
「加害選手より監督たちのほうが悪い」
という派が多かったのですが、私は当初から一貫して、
「ハタチって成人、大人ってことでしょ? ついこの前まで19歳の未成年だった子どもが・・っていう論調があるけれどそれはおかしい。どこからが大人だっていう線引きがちゃんと日本の場合、20歳から、と規定されている限り、彼は大人です。大人が犯した事件だ、ということだけで変な注釈はつけないでもらいたい。」
「で、そのうえで人を傷つけちゃいけない、なんてことは3歳の子どもでもわかっていることだわ。では、たとえば『あいつを殺して来い』と会社の上司に言われた20歳以上の社員である部下がその通りに殺人を犯した場合、上司の方が悪いと実行犯は同情されるんですか? いくら上司の指示だからって本人が1番悪いに決まってるじゃないですか。なのにどうして今回ばかり、いや、アメフトの監督というのは絶対なんだよ、とかそういう言い方で加害者当人をかばうのか? 当人が1番責任をとることになって当たり前だ」
と言っていました。



しかし、加害者選手が会見を行ったのを見て(リアルタイムですべてを見たわけではなくニュースでちょっとですが・・)、なんだか少し私の中で考えが変わりました。
感情を動かされたんですね。
「謝罪に顔だしなしとか実名ではない、はありえない」
と正々堂々と出てきたこと、
「真実を話すことが謝罪の1歩だと思い、この会見を開きました」
と言い、そのとおりに格別前監督にもコーチに対しても「指示はありました」という事実を述べるだけで感情的になることもなく、あくまでも
「彼らが指示したことは事実だ、とここで述べるが、それをはねのけてやらない、という決断をしなかった自分が悪い」
と言い切ったこと。
これらは私が彼の顔を見るまで、「そうに決まってるだろ。それで当然だろ」と思ってきたことではあるのですが、実際に当人を見て、
「あぁ、この人は真摯に語っているな」
という姿を見ると、それまでの私の矛先は一気にしゅるしゅると音を立てるようにして引っ込むのがわかりました。
彼が会見をする前に、口角泡を飛ばすようにしてこのブログに
「世間では監督ばかりを責める風潮ですが、私はやっぱり当人が1番悪いと思いますよ」
なんて記事を書かなくてよかった、と思ったくらいでした。



このように私には浅はかなところがあるのです。
こう、と思ったらなかなかその考えから抜け出さない。(「抜け出せない」のではなく、意志の問題として「抜け出さない」)
自分の考えを言う前に「まぁまぁ、まずいろんな人の意見を聞いてみようや」というところがない。
聞いたって私自身の考えは変わるわけがない、と思っているところがある。
そこまで強固に「私は正しい!」と思っているわけでも、違う考えの人を認められないと思っているわけでもないのですが、ただ「私は変わらない」と思っている。
だから自分の考えをまとめるときにあまり人に相談というものをしません。



そのくせ実際に「視覚」に訴えるようなものを見せられると途端に考えが変わっちゃうところもある。
実際、この悪質タックル事件についても、当初、あまりにも1日に何回も何回もニュースでその悪質なタックルの瞬間の映像を流すものですから、「こんな“事実”だけの映像はない」ということから、なんの申し開きがあると言うんだ! こんなこと許されるはずがない!と勝手に心の中で息巻いていたのです。
でも、加害選手の会見を見たらまたそれはそれで、
「ふぅ~む、どう見てもまともな子だよなぁ。やったことは悪いことには違いないが、同情の余地がある」
という気持ちになる。
これでまた仮に被害者選手が2度と普通の生活に戻れないような身体になりました、なんてことにでもなったらまた気持ちは変わるんでしょうね。



だからこそ、事実をまず明らかにする、ということがどれだけ大切なことか、ということを改めて思ったのでした。
前監督や日大が責められているのもまさにそこじゃないですか。
どうして事実を隠ぺいしようかというような動きをしたのか。
すぐに事実を明らかにするための行動を起こさなかったのか。
そこに不信感を抱かれて、「そんなことをする人たちだからこの人たちの方がおかしい」ってことになってきてるわけですよね。
すべき事はシンプルなこと。
とにかく事実を明らかにする。
それを徹底的にやってもらいたい、と思いました。
もう、これほどニュースにして国民全体が知らなくちゃいけないこととは思わないので、それはいいから、日大として、自分たちの事としてやってもらいたい、と思いました。

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