先週、またまた東京にパーミストリー講座を受けに行ってまいりました。
この講座ハマるって~
今回で3回目ですが、私のほかにも2名、以前にも出席してらっしゃったリピーターの方がいらっしゃいました。
さて、今回は「恋愛&パートナーシップ」編。
もし、パーミストリーのハンドケアをサロンに導入するとしたら、数々ある手相のラインのなかでも恋愛についてはやっぱ、一番人気になるんだろうな~と思っていました。
実際、手相のいろんな線をほとんど知らなくても、結婚線だけについてはそれがどこのことなのか、見方についても「知ってる、知ってる~!」というお嬢様方は結構多くてらっしゃるんじゃないでしょうか。
はい、その通り。
手のひらではなくて、小指側の、なんていうか、手の厚みの部分を横から見たときに現れている線のことですね。
パーミストリー講座では、これを「パートナーシップライン」と呼びます。
まぁ、日本語で結婚線と言われているそのままの英訳で「マリッジライン」とも呼ばれているようですが。
これをなぜ「パートナーシップライン」と呼ぶのか?
最近は、籍まで入れずに「パートナー」として籍を入れた人たちと同様の生活を送っているカップルも増えたから?
法律的な結婚は出来ないけれど、それ以上に愛し合っている同性愛者たちのためにそういう言い方になった?
ひょっとしたら、そういうこともあるかもしれませんね。
実は、授業ではテキストにいきなりこう記されていました。
『手を読むという側面において、この線は本当にもっとも頼りにならないので、大きな注意とともに扱います。』
これを読んだとき、私は思わず笑ってしまいました。
世の人々が、結婚こそ幸せをつかむために私ってどうなるんだろう?って一番知りたがるところが、実は手相では一番不確かなものだ、なんて。
やはり恋愛ほどつかみづらいものはないのか。
まぁ、手相もどこかわからないヨソからひゅうるる~って降りてくる占いではなくて、自分で作り上げてきた人生がそのまま手相に反映されているんだ、と考えれば、自分こそが愛とは最も不確かなものだ、と実は心底で認めているってことにもなりますねぇ。
不確かなものを探して、それを自分の体に刻まれた確実なものとして確認したくって、でもやっぱりそれも不確かで・・・っていうことに何だか笑えてきてしまったのでした。
さて、パーミストリーでは「パートナーシップ」とは異性のことを指すとは限らないから、という意味で不確かなものとして扱っているのです。
例えば、ローマカトリックの聖職者で結婚はできないし、しないはずの人にもこのパートナーシップラインを見つけることができるし、子どもがいない作家の手の中にプロジェニーライン(これは子孫線のことです。)を見つけることもある、と書かれています。
これはなぜか、と言うと、カトリックの聖職者は自分の仕事と結婚した、ということができますし、作家は自らの著書が自分の生み出した子どもだ、ということができるから、という意味からなんだそうです。
つまり、パートナーシップは結婚に限らず、自分以外のものや他者との結びつき、つながりを表すラインだと考えられている、ということなのです。
こう考えるとその不確かさが納得ですね。
ちなみに私のパートナーシップラインは、人よりもかなり小指の付け根寄りに刻まれていますから、これは実際に結婚そのものを現すとしたら、かなり遅くになって結婚したという事実を表している、といえます。
左手はもともといただいた運命の手、右手は自分の意志によって変えていく手ですが、左手にはわたし、結婚線は2本刻まれているんですね~
もともとは2回結婚することになっていた、と言う運命だったのか・・・
しかし、右手には1本だけです。
もうこのまま離婚しないみたいです。(少なくとも私の意志としては)
なんだかほっ。
座学の最初は、まずは4大元素別手のタイプによる恋愛傾向というものを自分の手を使って見ていきました。
手を見て、どの元素タイプかがわかるなんて!
これでいくと私は「火、風、水、地」のうちの「火」の傾向を持つ手でした。
そしてなんと、この日に参加した受講者のうちおひとりだけ「水」の方がいらっしゃいましたが、あと全員「火」のタイプだったのです!
別に世の中の分布として「火」のタイプが特に多い、というわけではないそうですから、これは異常な「火」率の高さです。
そうしたら先生がこうおっしゃいました。
「オーラソーマやってる人って『火』の人が多いのよ~」って。
「火」は、「直観の手」と言われ、未知に挑むパワフルな輝きの人、だそうです。
「火」の性質をそのまま思い浮かべればたいてい合っているので、4大元素の話なんて馴染みがない、とおっしゃる方でもイメージしやすいと思います。
火は、燃え盛る炎ですよね。
なので、このタイプの人にとっては、生きがいや情熱を持つことがとても重要で、情熱を持って取り組めることに全力をそそぎ、これを大切にするんだそうです。
ですよね~
オーラソーマやってる、ってこと自体が情熱がないと続きませんもの。
ちょっと惹かれて、何なに? 1回ぐらい見てもらいたい~と受ける側でとどまらず、プラクティショナーとしてやっていく、ということはいろんな意味で情熱がないと続きません。
でも、恋愛で見たとき、火のタイプは「ぶつかりあえるパートナーとの活気に満ちたパートナーシップを望む」とありましたが、ここに関していえば、私はそんなタイプではありません。
まぁ、年齢によっても変わるかもね。
確かに20代なら、そんな相手を求めていました。
今は、「ぶつかりあえるくらいのことを私からは言うけれど、それを適度に受け流してくれて同じような強さで真正面からは来ない相手のほうがいい。」です。
はは、なんて身勝手。そんな都合のいい人がいたら、誰でもそうがいいって?
ですよね~
まぁ、ダーリン、割とそうなんですけどね。(と、さらりとノロケる。)
しかし、私は誕生日から割り出した星座でいくと、「地」になるんです。
「地」の性質は「現実の手」で、着実な人生を優雅に歩む人です。
地に足が着いていて、実質的で現実的なタイプ。
この乙女座の性質を小さい頃から「当たってないな~」と思っていました。
今は、この「地」の性質と「火」の性質をちょこちょこつまみ食いしている、っていう感じがします。
どちらも当たっているところがほどほどにあり、当たっていない部分もある、って感じです。
参加者の中には、星座も手から見た元素も同じタイプだったという方もいれば、私のように別だった、とい方もいらっしゃいました。
このこと1つについても以前の私だったら、「なんで一緒のタイプが出てこないのよ? どちらで考えればいいの? そもそも別々のものが出てくるなんて、どちらも信用できないわね。」っていう捉え方をしていたと思います。
先生にも、「せんせい、私、星座では乙女座で地のタイプのはずなんですが、手で見ると今日は火のタイプになりました。これはどう捉えれればいいんでしょう?」ってすぐに質問していたと思いますね。
でも、今の私は「どっちもありでいいんだよな~」とすぐに思います。
正直、違うものから出していくと違うものが出るってことのほうが面白い~とまでそれを面白がれるところまでは行っていませんが、ま、色々あっていいんだよな、ということを受け容れられるまでにはなっています。
ほんと最近、自分の身の回りで起こることや、たまたまよく拝見させてもらっているブログの方の記事にもそんなことが書いてあったりでそのシンクロにびっくりです。
私は確実に「現実の人」と「直観の人」の両方を兼ね備えつつあります。
さて、このそれぞれの4大元素のタイプを見ていくとき、先生はそれぞれのタイプだと言われている星座に対応しているボトルを出して、「ボトルを見ながらでもいいし、単に火なら火、ってことからイメージすることでもいいし、どちらでもいいけれど、恋愛に関してどんなタイプだろう、って思えるかを挙げてみて。」とおっしゃいました。
このとき不思議でしたが、例えば「火」なら「火」をその言葉だけで推察しようとするよりも、ボトルを見ていたほうが、圧倒的にイメージが広げやすいというか、深い洞察ができたのです。
例えば「水」のタイプだと、「水」とだけ聞くと、「感情に流されやすい」とか「相手によって形を変えそう。合わせてあげそう。」とかいうイメージしか浮かびません。
けれど、水に対応する星座として蠍座がありますが、蠍座に対応しているボトルのB78「クラウンレスキュー」(上部バイオレット/下部ディープマゼンタ)を見たとたん、私には「普段はぎりぎりまで相手に合わせてあげているけれど、もうどうにも我慢がならない、となったら蠍の一撃、って感じでキツイ一言を相手に投げつけて別れそう。」というイメージがわきました。
そしてそのとおりに発言したら、「水」の方が「当たってる・・」、先生が「ひとりの友達が思い浮かんだ・・・」とおっしゃいました。
ボトルの力ってすごい、と改めて認識した瞬間でした。
この4大元素の一事だけをしても、とても面白い講座でした。
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