フランク・シナトラの『My Way』 ♪And now end is near And so I face the final curtain……♪(私訳:そうなんだ、そろそろ終わりが近づいてきた。再終幕を前にして……) 日本にも多くの歌謡曲はあるが、このマイウェイのように人生の終わりを唄うものはない。
6月3日に金融庁が市場ワーキング・グループ報告書の中で「2000万円を自助努力で準備…」を提案した。今国会はこの2000万円問題でもめている。
国会議員がまるで自分たちが2000万円を準備できないかのように言うのを聞いて可笑しかった。以前にも地方議会議員年金制度が一旦廃止されたが、議員たちがそれでは自分たちが老後、暮らしていけないとお手盛りで復活させた。国会議員は在職10年掛け金年126万6千円で年最低412万円(在職が1年増えるたびに年額で8万2千4百円加算)在職が56年だった中曽根康弘さんは現在年額742万円支給されている。議員が年金をいくらもらっていても構わない。ただ議員が試算して自分たちの老後の生活資金を割り出したのなら、やはり国民も議員と同じくらい必要なのである。それがわからない議員たちに議員としての資格、品性があると言えるのか。以前生まれ育った市に市会議員を務めた知人がいた。選挙前に挨拶に来た。「今度当選できれば、年金がもらえる。ぜひ私に投票してください」 正直な人だ。世界でも地方議員の報酬、退職金、年金のある国は、日本だけだと聞いている。
タレントの北野武さんが40年結婚していた妻と離婚が成立した。200億円にのぼる資産を元妻に贈るという。北野さんは以前バイク事故で九死に一生を得た。死に直面した経験を持つ。年齢は私と同年代である。My wayの歌詞が浮かぶ。そして三島由紀夫が自決したことも浮かんだ。三島は自分が50歳になるのを拒んだと何かに書いたのを読んだ。自分が老いていくことを受け入れがたかったのだろうか。もし北野さんがMy wayの歌詞のように、自分の終わりを考えて、老いという最終幕を意識しての離婚なら凄い人だと思う。2000万円で国会は大騒ぎしている時、200億円という莫大な資産を元妻に贈る。そこに北野武の覚悟を感じた。これって純愛なの。
私は2000万円どころか老後の準備などゼロに等しい。年金だって早期支給なので雀の涙。でも一番欲しいのは、一分でも多い少しでも健康で頭も正常なままでの残された妻との時間である。北野武さんは、一緒に暮らしている女性がいるという。その女性が本当に好きなのだと思う。そしてその女性が求めているのは、彼の資産ではなく、彼その者なのだとしたら、あっぱれだ。あくまでも報道からの受け売りでしかないが、同じ年代、バツイチ、死に直面した経験からか、北野さんの気持ちが伝わる。
昨日今日と近くの名刹の住職の葬式がある。大変な参列者である。参列する僧侶の数が半端ではない。道路を一方通行にして混乱を防いでいる。参列者を駅から運ぶタクシーは、引きも切らない。直葬を望んでいる私の想像を超えている。凡人、庶民、英語で言うならOne of themの私。誰にでも必ず訪れる終わり。コキイチの私、72歳だという北野さん、知名度も資産も全く違う、月とスッポン。でも私は今回北野さんを見直した。嫉妬も薄らいだ。最終幕を意識した裸の人間を見ている気がする。
映画監督北野武が作った映画は過激で暴力的なものが多い。映画の中にやくざが指を切るシーンがあった。恐ろしかった。今年の5月5日、友人を食事に招いた。ローストビーフを切る時、左手の人差し指の先を切った。血が止まらなかった。後日、冗談で妻に言った。私は悪いことをしてきたので、あの日その償いで指を切ったと。妻が笑った。
ふと思った。人生のFinal curtain(最終幕)を前にきちんと落とし前をつける。反省、謝罪、感謝を直接、できなければ心で伝える。北野武さんの今回のような見事な落とし前は、私には無理。2000万円の準備も不可能。私にたったひとつできることがある。何より妻を大事にすることである。