団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

掛け持ち病院通いに妻同行

2019年06月10日 | Weblog

 先週土曜日妻付き添いで東京の病院2つを掛け持ち受診した。コキイチともなるとお出かけは、病院が主なる目的地である。まずお茶ノ水の眼科病院で午後の受付をして受付番号票を機械から受領。再び電車に乗って10時半に予約してある糖尿病の定期健診をする病院に向かった。普段は病院で患者を診る側の妻は、患者である私を興味深げに観察していた。妻に患者がどういう風に病院で診察室に入ってきて、診察室が終わって帰途につくまでどういう流れになっているか見る良い機会だと思った。私は調子に乗ってこの時ばかりと、妻に普段の病院、職員、医師へのうっ憤を晴らそうとした。

 糖尿病の定期健診では、前回のMRIによるすい臓検査の結果の詳しい説明を受けた。私の父親がすい臓がんで亡くなったので、遺伝的な観点で1年に一回検査を受けている。今のところ異常は見られないとの診断だった。父の時は、私が受けたMRI検査もできなかった。あの時から比べたら、医学は進歩した。最初父が頼りにしていた小児科専門の開業医に通っていた。最初、風邪と言われていた。なかなか病状が回復せず、市内の国療と呼ばれていた大きな病院で診てもらった。そこですい臓がんと診断され佐久病院へ行くように言われた。佐久病院の担当医師は、私たち家族を呼び、すでに癌が手術できない段階にまでなっていると告げた。それから2週間で父は亡くなった。72歳だった。

 アメリカの女優アンジェリーナ・ジョリーは、自分の母親身内に乳がんが多かったので予防のためにと乳房を切除した。私はそれを知った時、癌は遺伝的な要因がそれほどなのかと恐ろしくなった。以前團伊玖磨が歯医者に行って、どうせ何時かは総入れ歯になるなら、自分がまだ耐えられるうちに良い入れ歯を作ってもらおうと、すべて抜歯して顎の骨まで削って総入れ歯にした話を聞いて感心した。備えあれば患いなし。先手必勝。でも待てよ。私が父と同じくすい臓がんと診断されたからと言って何をしようというのか。

  私は50歳前半で狭心症が発覚して心臓バイパス手術を受けた。手術前、大学ノート一冊に“辞世帖”を書き残した。大手術だった。手術中、麻酔が効いて私は地中海地方で見たオリーブ畑の地面一面に咲き乱れた黄色い花とオリーブの木々の中にいた。結果は失敗だった。脚から移植した血管はすべて機能せず、内胸動脈を切って繋げた血管だけが機能していた。ところがその血管にクランクが見つかった。このままでは血流が悪くなる。再び手術が必要だと言われた。失望に沈んだ。死を覚悟した。だが妻が探してくれた神奈川県の心臓専門病院の医師によってカテーテルで修復に成功した。修復手術の後、神の手を持つと言われていた医師が「10年前だったらこのような手術はできませんでした。お大事に」と言ってくれた。その時以来、私は「これからの人生はオマケ」なのだ、と自覚している。だから、すい臓がんでもそれ以外の癌でも発見されれば、オマケの人生が尽きると受け入れ、残された時間を愉快に過ごしたいと願う。

  糖尿病の定期健診で血液検査の結果も丁寧に説明してもらえた。私は多くの薬を服用している。その薬効のおかげで糖尿病が数値上は良くコントロールされている。感謝なことである。薬の進歩も目覚ましい。先日、私の不注意から包丁で左人差し指の先を切った。5月の10連休で病院へ行くことができなかった。出血の際、血が止まりにくくなる薬の効果を体験した。薬の効果を過小評価してはいけない。ベッドが血で染まった光景が目に焼き付いた。

  糖尿病の定期健診を終え、眼科病院へ移動。電車の中で妻に診断結果を報告した。眼科病院では午後の診察で私が最初の順番だった。午後1時の開診で始まったのが2時10分。診察は数分で終わった。待合室にまだ200人くらいの患者がいた。医者も患者も疲れている、と強く感じた。帰路、妻と医療に関する医者としての立場、患者としての立場の良い話し合いが持てた。

  医療機器、薬、医学の進歩は日進月歩。素晴らしいことである。感謝する。しかし、残念なことに日本の病院の待ち時間は長すぎる。病院にも国家にも患者にも言い分はある。他国でできて、日本で、できないはずはない。方法はあるはずである。

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