毎朝5時、目覚まし時計と数秒遅れてラジオの5時の時報で目を覚ます。できれば小鳥たちのさえずりで目を覚ましたいものだ。最近裏山にカラスが増えたせいか、小鳥がいなくなった。大好きなミソサザイなら嬉しい。でも時間を設定できないから頼れない。今朝も小鳥の声はきかれない。
クイーンの曲に『Radio Ga Ga』がある。私はクイーンの音楽の熱狂的ファンではないが、歌詞に興味がある。『Radio Ga Ga』にこんなくだりがある。♪(私訳):知るべきことはみんなラジオが教えてくれた。……ただのバックグランドな音だけにならないでくれ。……ラジオには輝ける時代と力があった。……ラジオよ、流れてくるのは,くだらない音ばかり……誰もがテレビでスターを観てる……耳で音を追いかけなくなった……古き良きラジオ愛好者を置いてきぼりにしないで……(テレビで)観せられる画面に飽き、ラジオの時代が帰ってくる……これからだ……まだまだラジオの出番はある♪
私が日頃持っているラジオに対する不平不満をクイーンのフレディ・マーキュリーは歌った。あの声であの迫力で。でも正直、曲を聴いてもほとんど意味は理解できなかった。ロックの激しいビートと絶叫のような歌声は、ただただ私の全身を通り過ぎるだけ。しかし、歌詞を読むと違う。すんなりと賛同できる。それは占いで自分の干支、星座、血液型で何か良いことが書いてあるのを見つけたような気分である。
ラジオ、私はニッポン放送を聴いている。以前高島秀武の番組が好きで聴いていた。彼がやめてから、彼のようなアナウンサーを見つけられないでいる。昔の映画館で上映されたパラマウントのニュース映画の竹脇晶昨、相撲を実況した杉山邦博、ナレーションや司会の芥川隆行。ひどいものである。『Radio Ga Ga』の歌詞のようにラジオの時代は、終わったかのようである。
ラジオを聴くのをやめればよいのだが、「♪ラジオの時代が帰ってくる♪」といまだに信じて聴いている。ニッポン放送の番組のアナウンサーや出演者の交代は激しい。午後に『土屋礼央のレオなるど』があった。突然終了して月曜日、山口智充・火曜日、中川家・水曜日、原田龍二・木曜日、安藤弘樹と変わった。水曜日の原田龍二さんがなぜ起用されたのか理解に苦しむ。不倫事件を起こしていたからではない。とにかくラジオ向きでない。聴こうという気がなくなる。不倫事件が公表される前日の放送は笑えた。人生相談のような視聴者への彼の意見は、まるで人生を悟ったかのようなものだった。不倫が週刊誌に載った。私は次週どうせ番組から降ろされると思った。バッサバッサと出演者を変えられるニッポン放送だ。でも彼は出てきた。
他にもラジオ向きでない出演者は、増えるばかり。午後4時から『夕暮れWONDER4』が放送される。草野満代さんにも私は慣れることができない。ラジオは声が大切だ。ラジオ向きの声というのがあるはず。どんどん聞き取りにくい声ばかりが増える。テレビではアナウンサーも天気予報士もタレント化が進む。
適材適所とか天職とかの問題ではなさそうだ。カナダでこんな話を聞いた。大工の採用は、一分間に何本釘をきれいに打てるかで決まる。アナウンサーは一分間に何語間違えずに喋れるかで決まる。タイピストは一分間に何語正確に打てるかで決まると。日本のラジオやテレビ局は、どこの大学を出たとか、有名人の子だからとかで決まるらしい。だからTBSテレビの小林由未子さんのようにきちんと原稿を読めない人でもテレビに出続ける。そんな中、最近天気予報士の船木正人さんがテレビ朝日からNHKに引き抜かれた。女性天気予報士ばかりだったTBSテレビ『あさチャン』には河津正人さんが起用された。少しまともな軌道に修正された気がする。適材適所の配置を願う。
ラジオもテレビも存在価値はある。それをわきまえずにいると必ず視聴者は離れる。よしもとのお笑い芸人の闇営業問題も同じ。視聴者は決して聴き逃さない、観逃さない。