団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

もう年はとれない。もう過去はいらない

2015年09月25日 | Weblog

  23,24日と妻は長野へ一泊で出かけた。妻の母親は転倒して骨折、手術を受けた。手術をしてくれた病院を退院して、リハビリができる病院付属の老健へ移った。歩くことが不自由になったので、もう一人では暮らせない。妻の母親が家に戻ることはない。妻は家の中の整理片づけ掃除をしている。私の今の健康状態で妻を手伝うことはできない。

 折しも敬老の日が過ぎたばかりである。100歳以上の人口が6万人を超したという。健康で元気な年寄りはたくさんいる。個人差が激しい。私の父親は72歳の時、すい臓がんで死んだ。私はあと4年で父の死んだ年齢に達する。元気な老人を羨ましいと思わないと言ったら嘘になる。私は自分の老いのあんばいを日々新たに感じている。私亡き後の妻のこと、子どもたちのこと、孫のこと、この先の日本のことと考えれば不安な事ばかり。そんな私を救ってくれるのは読書だ。そして時々映画。

 妻のいない長い夜、私は読みかけの本をベッドで読んだ。『もう過去はいらない』(ダニエル・フリードマン著 東京創元社発行 1040円+税)である。前作の『もう年はとれない』が面白かったので新作が発売されるやいなや購入した。最初に妻が出勤の電車の中で読んだ。妻は前作も読んでいる。夫婦で同じ本を読んで内容や登場人物の話をするのは楽しいものだ。アメリカの小説や映画は暴力とセックスなしではすまない。この『もう過去はいらない』もご多聞にもれず過激な場面が多い。私も妻もそれ以上に主人公のバルーク・シャッツ(元殺人課刑事88歳)の老いとの闘いざまから学ぶ。

妻は自分の母親が認知症と骨折で病院施設に入所することになり、実家に帰ることが多くなった。バルークも軽い認知症で老健施設に入所している。孫とバルークの会話:「老人ホームでだれかそういう携帯持ってる?」「老人ホームじゃない。高齢者のための介護付きライフスタイルコミュニティだ」 アメリカ人も老人ホームという呼び方を嫌う。ライフスタイルコミュニティと訳されているがバルークが言いたいのは“老人がだれでも自分が生きて来た生き方を貫ける介護付きの社会空間”だと思う。いずれにせよアメリカと日本と文化も環境も異なるが、人が老いることに違いはない。本人にしかわからないことであっても小説では読者は本人になったような気分を味わえる。

 最近テレビでも本でも映画でも年寄りが増えてきたせいか主人公が年寄りのものが多くなってきた。日本では主人公が複数だがアメリカでは一人が多い。これも文化風習の違いであろう。外に出るとお年寄り女性は女性、男性は男性だけのグループで旅行している人々を数多く見る。私はそういうことをしたことがないので一人の話の方が共感を持てる。

 妻の母親は物を捨てられない人である。以前妻は妻の母に家の中を片づけるように進言した。「私が死んだらあんたがやればいい」と言ったそうだ。母親は、もう家に戻って今までのように一人で暮らすことはできない。転院した施設には小さなバッグ一つで事足りた。妻は母親が何十年も捨てられなかったモノが溢れる実家の部屋に布団を敷いて一人で寝た。小さなバッグが頭から離れなかったそうだ。

 人は裸で生まれ、また裸で死んで行く。イソップ

 


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