団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

敬老の日、孫の保育園参観

2015年09月17日 | Weblog

 16日午後3時半から長女の長男4歳の保育園へ出かけた。21日の敬老の日にあわせて祖父母への感謝を表す企画だそうだ。孫お手製の招待状を受け取った。孫に会うのは年数回である。会っても親にぴったり張り付いていて私に近づくことはない。

 保育園へ私だけで行っても果たして大丈夫だろうかとわざわざ出かける意義をいぶかった。5回乗り換えて娘の家に約束の11時半にたどり着いた。この時点で疲れてしまった。長女は今日のために会社を休んでいた。前日が長女の誕生日だったので二人で近所の蕎麦屋で一日遅れのお祝いをした。孫が生まれてから長女と二人だけで話すことがなかった。

 私が長女に望んでいたことと現実は違っている。長女は母として会社員として妻として、毎日が闘いだと笑う。長女の人生は長女のものである。いまさら私が何を言っても始まらない。ただ願うことは一日にたとえ一回でも「幸せ」と思えることがある毎日を送れることだ。あとはただ後ろから見守ることしかできない。

 3時過ぎに長女の家から保育園まで歩いた。保育園は区立と聞いていたが小規模で普通の民家より少し大きい建物だった。長女と玄関で別れた。終わったら車で迎えに来て駅まで送ってくれることになっていた。

 中に入ると多くの参観者が集まっていた。私には先入観があった。東京の保育園はさぞかし洗練されていて最新の教育がなされているのだろうと。ところが意に反して受け入れ態勢はなっていなかった。案内もなければ靴の置き場も用意されておらずジジババは右往左往。60数年前私が2年通った長野県の保育園でさえもっとずっと管理統制され秩序があった。何とか孫が属する組を自分で探し当てて教室に入った。

 教室に入って更に驚いた。昨日の新聞にいまでは小学校の1年生でさえ教師に暴力を振るって怪我を負わせるほど教室が荒れていると書いてあった。約20人の園児がいた。参観日に備えて臨時に保育士を増員したのか合計5人いた。しかし私に言わせれば“学級崩壊”とはこういうものかという状態だった。保育士の言うことを聞いて指示に従う子どもが半分くらい。あとはてんでバラバラ勝手に動き回っている。我が孫も最初は座って保育士の言うことに従っていたがいつの間にか本棚の前に座りこんで本を見だした。

 私は保育園といってもこれはただの託児所だと思うことにした。待機児童の多い中、こうして保育園に面倒見てもらえるだけまだ恵まれている。長女の家庭の事情とはいえ、現実に直面した。それでも保育士に促されて、唄いながら遊戯を一緒に腰を屈めてした。孫は加わっていなかった。いつものように私に距離を置いているようだ。天真爛漫な子どももいて、私が思っているような幼児らしい仕草動作にちょっぴり救われた。保育園にはいろいろな環境の子どもが集まっているに違いない。4歳の子どもの未来は未知数であり無限大であろう。それを社会や家庭が徐々に破壊していくと思うとつらい。

 東京駅で仕事帰りの妻とメール頼りに待ち合わせた。帰りの新幹線のテロップニュースでは国会の安保法案の紛糾の文字列が流されていた。国会議員があの程度である。荒れる教育現場並みに言論より肉弾戦の荒れる国会、動員される高給取りの国会衛視。茶番にしか見えない。この国は確実に劣化している。経済的制約で子どもを産めない。良い教育環境で子どもを育てられない。そんな国に未来があるだろうか。再婚した妻は子どもを持たなかった。妻には日本のいや世界の未来が見えていたのだろうか。

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