「テレビに出る映画評論家や学者は、悪人は自分を善人だと思っているとよく言う。コミックや三文小説ではそうかもしれないが、ほんとうのところ、凶悪な犯罪者三分の二以上は愚かすぎてなにも考えてはいない。彼らは、悪をなすことを選んだモラルの代行者などではない。ドラッグやセックスに対する根本的な欲望に刺激され、衝動に従って行動しているだけだ。行動の結果を、それが自分たちに対してであれ、傷つけた相手に対してであれ、正しく認識することができない。獰猛な獣と一緒だ。これは人種とは関係がなく、黒人にも白人にも同じことが言える」 ページ196 15行目から ページ197 5行目 『もう過去はいらない』 ダニエル・フリードマン著 創元社
9月16日夕方、何気なく見ていたテレビニュースに視聴者が投稿した映像が映し出された。熊谷市の住宅街で民家に押し入ったペルー国籍の犯人の男が住宅の2階の窓から上半身を外に出し何やら喚き散らしている。手は包丁らしきものを持っている。住宅の窓の下に血らしき赤茶色の跡が筋状に斑点になって拡がっていた。男は声を出している。突然カトリック教徒がするように十字を切ってしばらくして窓から滑り落ちるように地面に落ちた。
この映像はあの日テレビニュースで繰り返し放送された。ところが次の日はパタッと消えた。おそらく放送倫理規定だとか人権なんとかやらで放映差し止めになったか、放送局の自主的な判断か、視聴者からの苦情が多く中止せざるをえなかったのか。真相はわからない。しかし私の脳裏には明確に犯人の行動が映像で残った。特に私が注目したのは彼が手で十字を切ってから飛び降りたことである。6人もの人を殺して尚、神と通じようとする気が知れないのだ。冒頭に載せた引用が私に迫る。「どうして」と理由、動機を考えようとしても犯人が何にも考えていなければ、何をしたのか認識できなければ、私の人間としての理解はそこで止まる。
大阪寝屋川市の中学1年生2名の殺人事件など殺人事件が毎日、日本中で起きる。残虐で悲惨。被害者が幼いほど、私の怒りは増し、やるせなくなる。今回の熊谷の被害者宅には施錠がされていなかったという記事があった。被害者の誰もが自分の住む地域を安全と思い込んでいたに違いない。
ネパールで暮らしていた時、長男が大学の友人たちと3人でカトマンズへ遊びに来た。彼らが飛行機の中で会った日本の小学校の先生2人の計5人が我が家に泊まった。その晩隣家の木を伝って3階から泥棒が侵入した。カメラ、現金など盗まれていた。妻の頑丈な皮製のドクターバッグがスッパリ刃物で切り裂かれていた。計7人いた日本人があの蛮刀で殺されていたらと思うと震えが止まらなかった。ガードマンがいて番犬がいて施錠した家でもスキだらけなのだ。その後セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、ロシアどこでも防犯に努めた。
ペルー人の犯人は日系人から金で養子縁組して日本での就労ビザを申請できる権利を得て、ペルーの日本大使館で犯人の兄が25人を殺害していても引っかかることなくビザの発給を受けた。日本ではおそらく重い海外不適応症候群になっていたと推測できる。受診治療も外国人ゆえに受けられなかった。犯行後も警察に一度身柄を確保されたにも関わらず逃走した。最初の犯行が発覚しても、警察署から逃走しても、非常線も張られず、住民に警戒するよう呼び掛けも行われなかった。国の内外機関、警察も誰も完璧に市民の我々を守ってはくれない。相当部分、自分の命は自分で守らなければならないのだ。
乳がんを公表して切除手術を受けたタレント北斗晶さんは子どもたちに「学校に何を忘れてきてもいい!ただ一つ絶対に忘れずに持って帰って来るもの。それは…命だよ。何があっても命だけは持って帰っておいで。」と言い続けているそうだ。同感。更に私は付け足したい。「家は砦。ワルから命を守るため知恵を絞って毎日点検して、より堅固な砦にして命を守ろう」