団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

中東難民とバルカンルート

2015年09月15日 | Weblog

 中東の難民がバルカンルートを経てドイツへ押し寄せている。バルカンルートとはトルコ~ギリシャ~マケドニア~セルビア~ハンガリー~オーストリア~ドイツの行程を指す。妻はバルカンルートの経由国旧ユーゴスラビア(現セルビア)の首都ベオグラードで1997年から2000年の10月まで医務官として在任した。私も同行した。途中経済封鎖やNATО軍の空爆があった時期だった。

 経済封鎖を受けていたので物資調達でオーストリアへほぼ月一回順番で買い出しに行った。その道筋は現在中東からの難民が押し寄せているバルカンルートの一部である。個人的にもガソリン調達がままならなかったので閉塞した生活から逃れるために妻と週末ベオグラードからハンガリーへガソリンを買うためにドライブがてら出かけた。旧ユーゴスラビア国内のハンガリーへの幹線道路の交通量は少なかった。しかしハンガリーと旧ユーゴスラビアの国境はいつも混雑していた。社会主義国の影響か出入国を管理する役人たちはのんびり仕事をする。食事時間、休憩時間が来れば、窓口を閉めてしまう。効率的能率的という概念は持っていない。

 旧ユーゴスラビアの道路脇にはガラス瓶に入ったガソリンを売る人がよく立っていた。国境といっても国境線すべてが管理されているわけではない。ルーマニア、ボスニアヘルツゴビナなどから密輸された物資が国境を超えて入り込み出回っていた。

 国境、陸続きの国境は日本にない。島国の日本は国境がないことで利点もあれば欠点もある。今回の中東からの難民がドイツを目指しているのも日本人には理解できない現象である。日本人であれ何人であれ出国する時も入国するにもパスポートやビザの検査を受けなければならない。外国で出入国するにも同じである。難民の多くはパスポートもビザも持たない。ではなぜバルカンルート諸国を通過できるのか。中東の難民はドイツを目指す。通過国はどこも厄介者である難民が少しでも早く通り抜けて行ってほしいと願っている。厄介者と思うからこそ、ハンガリーで取材中の女性記者が難民を足蹴りするような事件が起こる。中東の難民は通過国であるギリシャ、マケドニア、セルビア、ハンガリー、オーストリアに住もうとは思わない。おそらく難民の間で情報が拡がっていてドイツを目指すのだろう。

 旧ユーゴスラビアのベオグラードに住んでいた時のことだった。12月幹線道路を車で走っているとまるで砂漠のキャラバン隊のように列になって走行する車の一団に出会った。セルビア人の運転手に尋ねるとドイツで働くトルコ人がクリスマス休暇でトルコに帰るのだと言う。ほとんどがワゴン車で車の屋根の上にも荷物をたくさん積んで人も乗れるだけ乗っている状態で走行していた。彼らは旧ユーゴスラビアをただトルコに向かって通過するだけである。セルビア人の運転手はトルコ人の一団が食事などで道路脇に停車して煮炊きしたり畑でトイレをする。片づけも掃除もしないので迷惑だと怒っていた。

 今回の何千人何万人という難民が通過するバルカンルート諸国ではきっと同じ問題があると推測する。かつてガルブレイスは『大衆的貧困の本質』で「貧しさから逃れるには貧しい国から先進国に移住することだ」と書いた。セネガルでもネパールでもチュニジアでも貧しさから逃れるために先進国へ行きたいという人々に数多く出会った。大金を使って密入国を試みても失敗して強制送還される者は後を絶たない。正規の手続きをして移住するのは今日ではとても難しい。世の中は公平平等には決してできていない。厳法があっても超法規的処置によって救済されることもある。常に人間は運不運のイタズラのおもちゃにされているように感じる。

  難民のニュースを観るたびに私が使わざるをえなかった12月のトルコ人集団が使ったベオグラード郊外の廃業したドライブインの公衆トイレの足の踏み場もないおぞましい内部が思い出される。バルカンルートの多くの地で現在見られる光景であろう。難民問題は重大過ぎて私にはどうしたらいいのかわからない。人間はどんなに偉そうにしていても食べて排泄しなければならない。その行為が他人の迷惑にならないようにしていることぐらいしか私にはできない。今回の茨城常総市での水害のように、ひとたび災害にあえば、それさえできそうにない。落ち込むばかりである。


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