団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

分裂派閥抗争山口組 維新の党 自民党

2015年09月03日 | Weblog

 どんな人の集まりでも、暴力団であれ宗教であれ政党であれ会社であれ自治会であれ、ひとたび形成されると組織内での権力闘争が起こる。男も女も変わりない。肌の色も文化も宗教も関係ない。その様は動物の群れのボス争いと何も変わらない。

 『チンパンジーの政治学』(フランス・ドゥ・ヴァール著 産経新聞出版 1800円+税)にこんな記述がある。「チンパンジーたちも集団生活をおくるためにはリーダーを必要とするが、腕力で現在のリーダーを倒しても他のチンパンジーたちはそれをリーダーと認めないのである。リーダーを目指すチンパンジーは周到な根回しをおこなわなければならない。他のチンパンジーには各自の思惑があり、自分に都合のよいものをリーダーに推す。リーダーになるためには、各グループのボスたちの(メスグループのボスたちも)の思惑を理解して利権を約束して協力を得なければならない。また、直接権力闘争に参加しないチンパンジーたちは日和見主義を決め込んで、どの場面でどう動けば利益が大きいか判断する」

 『チンパンジーの政治学』は長年チンパンジーの群れを観察した研究論文でもある。写真が数多く掲載されている。チンパンジーの写真があの人に見えたり、かの人に見えたり。

 この本を読みながら私はいろいろな団体組織グループの分裂、合流をその場面場面に当てはめた。実に面白い。「山口組が分裂か」と大きな見出しの横に「維新の党分裂か」そのまた下に「自民総裁選第3派閥の岸田派安倍支持表明」 目を海外に向ければ、イスラム教のスンニ派とシーア派、有色人種と白人、アメリカと中国、あっちに付いたり、こっちに付いたり流動的である。

 このようにくっ付いたり離れたりの現象は、見ている側には決して快いものではない。しかしこれが寸分の隙もなくがんじがらめに統率される独裁となれば、これは恐怖となる。その点から考えれば、ある意味健全な現象であるとも言える。

 私は派閥の長になったことはないが、下っ端に名を連ねたことは多々ある。また習い事でいくつかの教室に通った。習い事の世界でも醜い権力闘争、派閥闘争、年功序列因習を見た。このことから学んだことは、人はどの群れに属するかでその先への道筋がつく、ということだ。孤軍奮闘してどの群れにも属さずに大成する人もいるだろうが、大方は属する群れによって毀誉褒貶は決まる。人生は巡り合わせだという。どちらの群れに属するかという決断は、ある意味“賭け”だ。

 私は再婚した妻に言われた。「あなたは他人の人生の2生も3生もして苦労した。だからこれからのあなたの余生を私にください」 やれ逆玉の輿結婚だ、男のクセにと外野はうるさかった。私自身は妻に会う前のメチャクチャな生活の結果、糖尿病とその合併症の狭心症を患った。2001年の心臓バイパス手術で一命をとりとめた。オマケの人生を頂いた。だから逆玉でも女々しかろうが、まだ生きていることの喜びが何事にも勝る。

 今は妻と二人だけの生活である。どの政治結社、宗教団体にも属していない。自分たちと気の合う数少ない友人との交流だけが楽しみである。まるでチンパンジーの群れでいえば、はぐれ者である。類は友を呼ぶ。嬉しい。こんな私にも妻がいて友がいる。砂金採りが川で皿に入れた砂を取り除きながらだんだんに砂金に近づくように私が時間をかけて妻を探し当てた。友も同じこと。私の余生の日々、妻を大切に生きてゆく。もう迷わない。私の人生のいかなる選択も妻を最優先とする。


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