団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

包丁5本サラシに巻いて

2010年12月16日 | Weblog

 師走を迎え、何となくせわしくなってきた。年の瀬が迫ってくると、私は包丁を研がなければと脅迫観念のような気持になる。決して研ぐのが上手いわけだはない。道具を大切に長持ちさせたいのである。包丁を買った店に持ち込んで、専門家に研いでもらうことにした。思いたったが吉日、さっそく5本の包丁を晒でなく、布巾に包んでリュックに入れ東京の築地の有次へ電車に乗って向かった。

 まさかこれほど包丁を持ち歩くことが、私を苦しめるとは思ってもみなかった。妄想が私にとりついた。電車はすいていた。電車が駅に停まるたびに、私は乗り込んでくる客を細心の注意を持って敵を探すように観察した。とにかく気持が不安定になった。最初は、自分が包丁で傷つく妄想だった。刃物が持つ神秘性というか、危険を強く感じた。電車が発車すると、今度は私が突然包丁を持って、電車の中で暴れ出す自分の姿を妄想し始める。自分の中に二人の自分がいて、正常な自分が異常な自分を必死で押さえ込もうとしている。普段料理、特に魚や肉を切って、切れ味がどうのこうのと言っている。調理道具の包丁が、武器や凶器に変わってしまったようだ。妄想を振り切って、窓から外を見ようとする。背中に固いモノを感じる。今度の妄想は、リュックの底が開き、5本も包丁が電車の床に散らばるというものだった。あわててリュックを座席の背もたれに押し付ける。今度は包丁が何かの弾みで背あてをテコに立ってしまい、そこに私がぐさりと体を刺し通す妄想だ。何とかその妄想もしまいこんで、持ってきた本を読み始めた。ふと顔を上げると、車掌が向こうから歩いてきた。「きっと私をだれかが車掌に不審者として密告したんだ」と不安に襲われた。冷や汗をかく。車掌は、そんな私に一礼するように頭を下げ通り過ぎていった。電車が横浜駅に到着する。多くの客が降り、新にまたそれ以上に多くの乗客が乗り込んできた。その中に12月だというのに、サングラスをかけてごっつい図体でクリーム色の縦じまの背広の男がいた。私は「見つかったか」と緊張した。その男は、なぜか私の前に立った。妄想は拡がる。もし彼が私が包丁を持っていると知ってとびかかってきたら、私はどうしたらいいのだろうと5本の包丁の重さを背中に感じていた。電車が新橋駅に着いたとき、立ち上がった私は、ふらついた。私のように包丁を持ち歩いても、誰にもわからない。危険極まりない。恐ろしいことだと思った。

 築地行きのバスに乗った。終点の築地市場で降り、私は駆け足で“有次”に向かった。店に着いた。リュックを下ろし、中から5本の包丁を出した。年の瀬ということもあって、「今日2本だけにしてもらって、後はできたら宅急便で送らせて下さい」と言われた。「そうか、宅急便という手があったんだ」と声に出して言ってしまい、店の人を驚かせた。店は前が包丁を並べていて、奥が包丁を研ぐ工房になっている。3人の職人が半袖シャツ姿で一心に包丁を研いでいた。5本で4700円。今日研いでもらう2本の包丁を選んだ。2時間かかるという。包丁5本と離れた途端、私は妄想から解放された。

 
 身軽になった。その間、築地を歩くことにした。リュックに利尻の昆布締め用昆布、四万十川の青のり、削りたての花カツオ、富山湾の寒ブリ刺身を買い、昼食に大好きな食堂“豊ちゃん”の牡蠣のアタマ定食を食べた。見違えるようにピカピカに研がれた包丁を丁寧に包んでもらって受け取り、買った食品の中に埋め込んだ。帰りは妄想に悩まされることなく、今夜の献立を考えながら電車で居眠りしてしまった。食材と一緒にリュックに詰め込まれた包丁は、しっかり調理道具としておとなしく収まり妄想は止んでいた。(写真:研いでもらった包丁)
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