団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

継続は力なり

2020年12月21日 | Weblog

18日金曜日東京の病院へ3カ月検診で行ってきた。コロナ禍以前だったら、東京へ行けるという喜びでウキウキした気分で出かけた。最近第3波のコロナ感染拡大で東京の感染者数は増加している。普段自宅にこもっている私は、極端に憶病になっている。コロナも恐いが、糖尿病の悪化も恐い。どんなに気をつけていても、目に見えないウイルスをどこで体内に入れてしまうかわからない。ましてや病院内での感染も多い。できるだけの用心をして出かけた。

 血液検査の後、今私が一番懸念している脚の血管検査を受けた。検査室に呼ばれた。検査担当は、女性の検査技師だった。「体重と身長を計るのでこちらへ」と誘導されて待合室の隅にある体重と身長を計る計器に案内された。「靴は脱いでください。靴下は履いたままでいいです」 計った。私は毎朝体重を測り日記帳に書き込む。寒い日だったので厚着していた。朝計った時より2キロ多かった。身長は前回より2ミリ縮小していた。老化現象だ。計測が終わって、靴を履こうとした。「そのまま検査室へどうぞ」と検査技師に言われた。私は信じられなかった。病院という一番衛生状態に気を遣うべき場所で、靴下で床の上を歩く。そうでなくても今、コロナというウイルスでマスク、ウガイ、手洗いを喚起されている。ここは病院でしょう。

 検査室に入った。「ズボン下は脱いで、ズボンを履いてください。靴下も脱いでください。上はそのままでいいです」 そう言って技師は、私の周りにカーテンを回した。コキゾウは、服と靴下を脱いだり履いたりするのが難儀する。毎朝「オトットッ」と右へ左へ大揺れしながら、時にはよろけ、足がズボン下の途中で引っかかる。ズボンを脱ぐだけならいい。また履くのが面倒。靴下も厚手の長い膝までくるのを履いていたので、脱ぐのに一苦労。裸足で床を歩いてベッドに横になった。ウイルスって手や喉だけから侵入するのではないでしょう。もう少し病院なら衛生環境に気を遣ってくれ、と音にしない声で叫んだ。

 検査は、脚の血管の硬さと血管の詰まり具合を数値化するものだ。両脚のふくらはぎと両手の上腕にマンシェット(空気を送り込んで脚や腕を締め上げる巻物、血圧を測るとき巻くのと同じ)を4個装着。「2回計ります」 私は感情がすぐに顔の表情にあらわれる。靴下のまま待合室を横断させられたこと、ズボン下を脱ぐように言われたこと、裸足で検査室をあるいたこと、それらが私の表情に強く出ていた。機械が作動して、両手両脚を締め上げ始めた。マンシェットの下だけでなく、頭の血管もぶちぎれそうになった。これ以上我慢できない、と思った瞬間、マンシェットから空気が抜け始めた。止めていた息も同時に戻った。まさかこの技師、私の不機嫌への懲らしめをしているのではないだろうな、と疑った。2回目、これさえ我慢すれば終わる。終わった。あれ、外さない!また空気が送りこまれた。2回終わったよね。結局4回。私は、不愉快全開で検査室を出た。

 主治医の診察。「脚の血管の詰まり、改善してきましたね」 問題の右脚前回0.67が0.76に左脚前回0.79が0.94。脚の血管の詰まりがわかってから、2年。まったく変わらなかった数値が動いた。私は散歩に医師に勧められた特別な運動を毎日欠かさず続けてきた。途中5回の検査を受けていた。前回まで「可もなく不可もなく。悪化はしていないが改善もない」とずっと言われていた。今回は違う。コロナの恐怖も、靴下のまま待合室を横切ったことも、ズボン下だけを脱いでまたズボンを履いたことも、裸足で検査室の床の上を歩いたことも、消えた。嬉しかった。医師に「これ以上悪化したら、脚の切断もあり得ますよ。運動療法しかありません。あなたの努力次第です」と言われて2年。コキゾウは、私の体は、滅びゆくばかり、と決めつけていた。時間はかかるが、継続は裏切らない。

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