団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

五七五の宣伝文句

2020年12月17日 | Weblog

  人生の早いうちに自分が売るのは下手で買うのは上手とわかった。買うのが上手といっても、値段の交渉がうまいとか言うのでなく、売り手の口車に簡単にのったり、宣伝文句を鵜呑みに信じてしまうのである。

 民放テレビも民放ラジオも、番組は提供会社によって成り立っている。当然、提供会社は、自社製品を秒単位まで計算した猛烈な売り込みを仕掛けて来る。仕方なくその宣伝攻勢に目と耳をさらしている。ほとんどが取るに足らないつまらない宣伝である。中には私の買い気を刺激したり、琴線に触れてくるものもある。

 妻がロシア領サハリン(旧樺太)へ転勤になった。サハリンで車は、日本と反対の右側通行である。にもかかわらず、日本の右ハンドル車が圧倒的だった。日本から輸入した中古車である。乗用車ばかりではない。トラックも商用車のバンも多い。トラックもバンも日本の会社名店名が書かれたまま走っていた。海外で日本の風景から突然切り取られてきて出現したようでドキッとする。ある日ユジノサハリンスクの通りでトラックに書かれた「あっ」と声を思わずあげた日本語を見つけた。一瞬目を疑った。まさか。何と私の出身地上田市の上田製菓の配達車だった。小学校の給食にパンが必ず付いていた。そのパンは、上田製菓のものだった。この会社の配送トラックに『日に一度、パンをかかさぬ、母の愛』とあった。あの『日に一度、パンをかかさぬ、母の愛』をユジノサハリンスクで読んだ。すでに50年以上前、小学生の時の給食のパンの配送車の『日に一度、パンをかかさぬ、母の愛』を読んだ日に戻った。

 コキゾウは、過去を選別することなく断捨離している。それでも忘れられないことはある。私が小学生の時、米ばかり食べていると体に良くないと言われていた。学校給食にご飯が出されることはなかった。コッペパンがご飯代わりに出された。『日に一度、パンをかかさぬ、母の愛』は、強烈に私の食生活に影響を与えた。“愛”と“パン”は、私の心の中で化学変化を起こし、定着した。誰が考えて作ったか知らない。物覚えが悪い、記憶力の弱い、この私が73歳になっても、まだスラスラ言えるのだから凄い。

 私は、自分でもあきれるくらいミーハーである。とにかく外からの影響を受けやすい。信念という確固たる自我を持てないようだ。この歳になって、自分の性格を変えることはまず不可能。だからこのままでいるしかない。天邪鬼で頑固で短気。これを最大限生かして余生を楽しむつもりでいる。

 それにしてもテレビラジオでの宣伝、DMによる宣伝攻勢が止まらない。DMはゴミ箱に直行。テレビラジオの宣伝は無視シカトを決め込む。これだけ進んだ世界で、いまだに遅れているのは宣伝の世界かもしれない。数うちゃ当たる、は古い。アマゾンなどで商品の検索をすると、いつの間にか画面にその商品の宣伝が次々に出て来る。恐ろしや。通販で物を買うと、その会社からのメールが頻繁に送られてくる。

 宣伝洪水の中で、心に残る、自分に良い影響を与えて来る宣伝文句は少ない。昨夜、熱い風呂に入って、『日に一度、パンをかかさぬ、母の愛』指を折って数えたら、えっ、五七五。ずっと気が付かなかった。これって俳句と同じ語調になってるじゃん。覚えやすいわけだ。

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