団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

お山の大将・サル山のボス

2018年05月30日 | Weblog

  私は人間社会に動物園のサル山のような小さな山が無数にあると思っている。どの山にもボスがいる。それを漠然と感じながら大人になった。組織の中でボスに上り詰められるような人間でないことに早い時期に気が付いた。映画やテレビそして動物園で実際に見たゴリラのシルバーバックに憧れた。ほれぼれする。自分もシルバーバックのように強く群れを守ることができる存在になりたかった。現実はまるで違った。私が経営していた塾でよく「この世の中にいくつもの小さな山がある。その山のてっぺん目指してがんばれ」と自分の気持ちと裏腹のことを言って塾の生徒を激励した。しかし私自身は猿の社会でいうはぐれ猿だった。私が58歳だった平成18年になって『チンパンジーの政治学』(フランス・ドゥ・ヴァール著 産経新聞出版 1800円+税)という本を読んだ。この本を読んで長年の疑問が解けた。断捨離をして何千冊もの書籍を処分した。残した数百冊の中の1冊である。改めて読み直してみた。そして最近世間を騒がしていることと照らし合わせてみた。

 本文の中に「チンパンジーたちも集団生活を送るためにはリーダーを必要とするが、腕力で現在のリーダーを倒しても他のチンパンジーたちはそれをリーダーとみとめないのである。リーダーを目指すチンパンジーは周到な根回しを行わなければならない。他のチンパンジーには各自の思惑があり、自分たちに都合のよいものをリーダーに推す。リーダーになるためには、各グループのボスたち(メスグループのボスたちも)の思惑を理解して利権を約束して協力を得なければならない。まら、直接権力闘争に参加しないチンパンジーたちは日和見主義を決め込んで、どの場面でどう動けば利益が大きいかを判断する」とある。これこそが政治である。著者は、「政治の起源は、人間性の起源より古い」と証明した。

 ハロルド・ラスウエルは政治を「“誰が、なにを、いつ、いかにして得るか”を決定する過程である」と定義した。それを手に入れるには、権力だけがものをいうのである。

①     日大アメフト部の選手の試合での悪質タックルと監督

②     財務省次官とセクハラ問題

③     安倍昭恵さんと森友問題

①      私の推論:内田監督が日大という組織の中で頂点である理事長を、できるだけ早く、アメフト部の監督として日本一の座を勝ち取り周りにその実力を認めさせるために手段を選ばなかった。

②      私の推論:財務省事務次官は女性記者を二人だけになるよう機会を画策して、あわよくばと考えた。『チンパンジーの政治学』第4章『性的特権』参照

③      私の推論:夫は日本国の内閣総理大臣である妻が、夫の権力の傘のもとそのおこぼれを、利用しようと虎視眈々と近づく人々に出会う度、自分の夫は総理大臣だという快感に酔うことができた。

      ただ推測するのではなく、事件に登場する人物をゴリラやチンパンジーやニホンザルなどの類人猿に置き換えると事件の本質が見えてくる。私は納得する。人間があれこれ過程を小細工しても、やっている事は、サルと変わらない。人間は、服を着て、言葉を使い、ルールを持つ。時に、その事が、人間を貶めている気がする。いつまでたっても人間の中にサルがいる。地味で地道な研究、一見何の役に立つのだろうと思われる研究から、私たちは多くの事を学ぶ。人間って不思議な生き物である。

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