巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

電子ピアノの騒音

2007-01-31 11:19:37 | 日記・エッセイ・コラム
夕方、母は風邪のため自分の部屋で寝ていた。部屋の隣にあるLDKから、すりこ木でヤマイモをする音が聞こえる。それもかなり大きな音だ。

「そうか。娘は風邪をひいたわたしのために、トロロをつくってくれているのか。ありがたい」

そう思って、母は夕食を楽しみに待った。

しかし、いつまでたってもヤマイモをする音は止らない。止らないどころかだんだん激しくなっていく。娘はそんなに粘りのあるヤマイモを買ったのか? すると使っているのはいつものイチョウイモではなく、より粘りのある自然薯(ジネンジョ)か? それともツクネイモか?

ヤマイモをする音は1時間近く続いた。しかもノンストップ。さすがに母は心配になり、ふらつく足で立ち上がりLDKにつながるドアをあけると…

…わたしが、最近わが家にやってきたステージピアノを弾いていた。母が「ヤマイモをする音」と思っていたのは、実はステージピアノの打鍵音だった。スピーカーを使わずヘッドフォン出力で弾いていたので、楽器の音はしないが鍵盤をたたく音はする。かなり激しい音だったろう。ハノンを1番から通しで――とはいえ、途中で疲れてくじけたが――弾いていたのだから。かなり速いテンポでの16分音符の打鍵音の連続が、すり鉢がすりこ木にあたり擦れる音に似ているとは、トリビアの泉でやっていた「エノキダケの袋の中のにおいは、イチゴジャムのにおいに近い」にも近い衝撃の事実だ…?

最近まで電子ピアノは、「ヘッドフォンさえすれば、集合住宅でも、そして夜中でも、気兼ねしないでピアノを弾ける」ものだと考えられていた。だから、「ピアノを弾きたいけれど近所から騒音の苦情がくるかもしれないので、電子ピアノを買った」という人も多いと思う。しかし、実は電子ピアノの打鍵音が、集合住宅では苦情の原因となっていると聞いている。

打鍵音に加えて、アコースティック・ピアノでも電子ピアノでも、ペダルの音もかなりの音量だ。通常はハンマーが弦をたたいて出る大きい音(またはその擬似音)に隠れたり、ピアノを聴いている側が、頭のなかで弦の音を選択的に処理しているため(カクテルパーティ効果っていうやつ)、あまりペダル音は気にならないかもしれない。しかし、いったんペダルの音に注意を向けると、はっきりと耳のなかに入ってくる。

録音されたピアノ曲のなかには、かなり激しいペダル音がしっかり録音されているものもある。すばらしいピアノ演奏の録音を、わたしはペダルの音も合わせて愛している。(もちろん、演奏者の鼻歌も愛している。) また、ペダル音自体が味になっていると感じるピアノの機種もあったりする。その方面には詳しくないのでよくはわからないが、ピアノのペダルを踏み込む音自体を、音楽的な効果音として使っている曲もあるだろう。

ハンマーが弦をたたいて出る音(およびその擬似音)は、もちろん高率で騒音になりうる。殺人事件になるほどだ。しかし、それらの音がなく、ひたすらガコガコと不規則に聞こえる打鍵音とペダルの音を長時間聞かされるというのも、結構苦痛なのではないかとは思う。

わが家は次世代省エネ基準の気密を高くした家で、しかも一番近い隣家まで直線距離で20mはあるため、ヘッドフォンを使っている限りにおいては、打鍵音やペダルの音がご近所さんを苦しめることはまずないだろう。しかし、家の気密性が高い分だけ、家の中のどこかでたてた音が、家中に響くしくみになっている。わたしに遠慮していわなかったらしいが、こちらから切り出してみたところ、やはり家族は打鍵音がすごく耳障りだったらしい。

家族やご近所さんの迷惑を考えると、電子ピアノの使い方はまずはヘッドフォン使用を前提として、

  • 壁にくっつけて設置しない (打鍵音等が壁を伝わる)
    集合住宅だけでなく、隣の家がすぐ近くに建ってい場合も注意すること

  • カーペット、防音マット、衝撃吸収材(ソルボセインのようなやつ)をデジピの下に敷く
    どの組み合わせがよいのかは、ブログや掲示板で見る限り、現在電子ピアノ購入者たちが試行錯誤中であるようだ。電子ピアノを製造・販売するメーカー側からも、何らかの提案をしてほしい。

  • 夜遅くや朝早くは弾かない

  • 自分の演奏にあわせて鼻歌は歌わない
    お隣さんから、ガコガコ音とともに不気味な鼻歌が聞こえてくるのは、あまり気分の良いものではない。(グールドさん、グルダさんタイプの方は要注意)


余談だが、たしかにエノキだけの袋の中のにおいは、イチゴジャムのにおいに近いと思う。


給食費未納問題に思う

2007-01-31 01:18:47 | 日記・エッセイ・コラム
報道によれば、実際には払える能力があるにもかかわらず、子供の給食費を払わない親が増えているとのこと。TV番組のコメンテーターによれば「親の会社の総務に電話をして総務経由で支払うようにお願いすれば、たいてい支払う」のだそうだ。また、別のコメンテーターは「昔は給食費を学校へ持っていったので、払わないと子供が恥ずかしい思いをすることになった。親は子供に恥ずかしい思いをさせたくない一心で支払っていた。今は自動引き落としなので子供がそんな思いをすることがないので、簡単に支払わないという選択をするのだろう」と言っていた。

給食費未納の子供の家に対しては、わたしとしては基本線は

  1. まずは背景の確認
    (本当に支払えるのに払っていないのか、それとも支払い能力がないのに、恥ずかしいので支払い能力そのものはあるふりをしているのかを区別)


  2. 支払い能力があるのに支払わない家に対しては「払わないことはルールに反するので、支払わねばならない」という態度で臨むこと
    (「払わないのは恥ずかしいこと」「周りが迷惑する」を、支払わせる説得手段に使わないでほしい。)


で対処してほしいと思う。


2に関連することだが、ある行動をとるかとらないか判断する際に、それをするのは「良いことか/悪いことか」ではなく「恥ずかしい思いをする・しない」や「周りの人にどう思われるか」で決める日本人は多い。だから「恥」や「周囲の反応」を引き合いに出して説得する方法は、日本人にはかなり効果がある。

で、これには落とし穴がある。「恥」の説得に対して、本人が「恥ずかしくない」と開き直ってしまえば、効力を失う。また、「他人の迷惑になる」「子供たちの給食の予算が減る」だって、「うちだけが払っていないわけじゃないし」とか、「まずは自分のことのほうがが大事」と開き直られたら、もうおしまい。それに、ヘタに相手の「恥」の感覚に訴える説得方法で相手の感情を害すると、「わたしに恥をかかせた」と、のちのちまで恨まれるはめになる。

だから、個人的には、こういう問題に対しては「ルール」で説得してほしいと思う。「支払い能力があるのに払わないのは、絶対にいけないこと」で徹底してほしい。どうして「いけないのか」と開き直られたら、このルールの正当性を相手の反論のすきのないほどきちんと説明して相手を説き伏せてほしい。こういうのは大方の日本人は、苦手としている説得方法だとは思うが。

ところで、給食費未納問題といえば、わたしが中学3年のときに、わが家も給食費未納疑惑を起こしたことがあった。担任の教師はしっかりと「恥」と「皆の迷惑」に訴えたがゆえに、実に後味が悪い出来事になった。

わが家は本当にお金がなかった。毎日の食費の捻出にも苦労するありさまだった。家には食べ盛りの小学生の弟もいた。わたしは学生服と体操着とパジャマ以外の服を持っておらず、家族も一張羅の着た切り雀同様だった。(おや、死語2連発かも)

で、そんなときに学校から全生徒に配られた配布物のなかに、「給食費の支払いが困難な家庭の生徒に対し、給食費の支払いを区が肩代わりする制度がある」というお知らせが入っていた。

「おかあさん、これも申し込もうよ」
わたしはそういって、母にお知らせを渡した。とにかく毎月のわが家の暮らしが少しでも楽になるなら、それでいいじゃないかと思ったのだ。

母は躊躇していた。娘に恥ずかしい思いをさせることを恐れていたのだ。当時はすでに給食費は振り込みになっており、給食費を学校に持っていくようなことはなかった。それでも母は申請書を提出することで「給食費も払えない家の子」と学校に知られて、わたしが差別的な扱いや偏見を受けることを恐れていたらしい。一方、わたしのほうは子供すぎたのか、「給食費免除の申請をすること」が「恥ずかしい」とか「差別/偏見」とかに通じることなど考えもせず、仮にそんな目で見られたとしても、それほどたいしたことではないと考えていた。

わたしのすすめに従い、ついに母は「ごめんね。ごめんね」とわたしに何度も謝りながら、申請書を書いた。わたしは母の「ごめんね」の意味がわからなかった。そしてめでたく申請書は受理され、ある月から給食費を支払わなくても良くなった。

ある日、わたしは担任のA先生に「ふくしまさんには給食費を納めていないの月がある」と言われた。免除された初月の直前の月の支払いが、確認がされていないらしかった。母にこの話をすると、「確かに支払っており、振込みを証明することができる」とのことだったので、母のことばをそのまま先生に伝えた。

しかし、A先生は「絶対に支払われていないと事務室が言っているので、未払いは間違いない」と主張し、ついにある日の放課後、母とわたしは学校の会議室に呼ばれた。

会議室で、A先生は母とわたしに口を開く間を与えず、給食費未納がそれいかに恥ずかしいことか、そして給食費を払わない家がいかに周囲に迷惑をかけるかを、一方的にまくしたてた。明らかに先生は母を、「支払っていないのに『支払った』と主張して、支払わずに済まそうとしているモラルの欠如した母親」とみなしていた。

母とわたしはだまっていた。母は明らかに怒っていたが、とにかく先生が話し終えるまでこらえた。わたしのほうといえば、正直言ってその時点では何も感じなかった。

先生がひとしきり語り終わった後、母は黙って先生の前のテーブルに、とっくに支払済みの該当月の振込み控えを突き出した。

「あら、払ってるじゃない」

支払い証拠を突きつけられて、A先生はうろたえたような、拍子抜けしたような声で言った。その後しばし気まずい沈黙が続いたが、ついに先生が「事務が間違っているんでしょう。連絡しておきます」とモゴモゴ言うと、「それより…」とおもむろに話題を変えた。

そのあと話題は、ひたすらわたしの学校における成績不良と問題行動の指摘に終始した。その中でA先生は「給食費の支払いも困難な家庭の子供には、問題がある生徒が多い」という話や、最後には「そんな環境の中で育ったふくしまの基本的な頭のデキ(つまり「知能」のこと)は、もともとあまり良くないのかもしれない」ということさえほのめかす話もした。

母もわたしも黙ってと聞いていたが、二人とも怒っていた。母が怒っていたのは恐れていた「給食費も払えない家の子供」の偏見を、先生がわたしに抱いていることだった。一方わたしが怒っていたのは、別の理由だった。先生がわたしの成績や行動に文句を言ったことに怒ったわけではない。形勢不利になった自分の立場を有利にするために、自分が有利に立てる話題にすりかえたそのやり口に、怒っていたのだ。

中学3年生といえば難しい年頃だ。自分の中の矛盾や欺瞞、自分が他人を傷つけることには鈍感でも、他人のそれには人一倍厳しい。とくにその他人が大人で、しかも教師なんて職にあれば特にそうだ。A先生はわたしの心の中で、軽蔑すべき人リストの筆頭に上がった。

この件には後日談がある。放課後の会議室に呼ばれたほぼ1週間後に、3年生全員が進路指導の資料とするために前に受けていた知能検査の結果が出てきた。わたしの検査結果は「IQと成績(および日ごろの素行)は必ずしも相関関係にあるわけではない」というごく当たり前の事実を、非常にインパクトがある形で証明していた。後で聞いた話だが職員室では「まさか、あのふくしまのが一番高いとは…」とわたしを知るすべての先生がショックを受けたとのことだった。そしてここへ来て「ふくしまは単にやる気がないだけである。あの子をやる気にさせれば成績に飛躍的に伸びるはず」と、この成績不良娘の担任たるA先生の指導力に、周りの先生のお手並み拝見的な視線が集まることになった。

本人と親の前で、知能に問題ありのようなことまで言ってしまったことに、A先生は後悔したらしい。さらに初めて3年生の担任になったA先生にとって、ふくしまをやる気にさせることは自分のミッションだとも思ってしまったらしい。以来、ときには――これはこの話が先生にとってもわたしにとっても精神的に時効だと思うのであえて書くと――わたしに「少しは勉強してほしい」とことあるごとに懇願してきた。また、他の生徒の前で明らかにわたしに媚びた発言をして、わたしの機嫌をとろうとすることすらあった。それらのすべてをわたしは卒業するまで、冷笑をもって軽くいなし続けた。今考えればわたしって子供だった。そして子供って残酷だ。

わたしのほうは卒業するまで、受験のためであろうが毎日の授業のためであろうが、勉強という勉強は一切しなかった。A先生への反抗で勉強しなかったわけではない。あの一件があろうがなかろうが、わたしは勉強しなかったと思う。当時のわたしは自分が面白くないとかんじることは絶対にやらなかった。そして、勉強は自分にとって面白くないことだった。

そんなわたしだが、最終的には私立の高校の普通科に推薦で入学した。実はその高校の普通科に入れる学力はなかったのだが、中学側から強力な推薦状が発行されたのだ。その推薦状とはわたしのような問題児の成績不良者には絶対ださないようなもので、他の先生から聞いたところによると、わたしの推薦状のためにA先生が相当頑張ったらしい。きっと、給食費未納疑惑に端を発する一連のできごとに対する、A先生なりの詫びの形だったんだと思う。

ちなみに、いまのわたしはA先生に対しては怒っていない。でも、母にとっては一生ものの恨みとなっているようだ。最近の給食費未納問題がニュースで話題になったときに、母と例の会議室での思い出話をしたが、母は本気で怒り毛が逆立っていた。30年以上前のことなのだが。