巣窟日誌

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給食費未納問題に思う

2007-01-31 01:18:47 | 日記・エッセイ・コラム
報道によれば、実際には払える能力があるにもかかわらず、子供の給食費を払わない親が増えているとのこと。TV番組のコメンテーターによれば「親の会社の総務に電話をして総務経由で支払うようにお願いすれば、たいてい支払う」のだそうだ。また、別のコメンテーターは「昔は給食費を学校へ持っていったので、払わないと子供が恥ずかしい思いをすることになった。親は子供に恥ずかしい思いをさせたくない一心で支払っていた。今は自動引き落としなので子供がそんな思いをすることがないので、簡単に支払わないという選択をするのだろう」と言っていた。

給食費未納の子供の家に対しては、わたしとしては基本線は

  1. まずは背景の確認
    (本当に支払えるのに払っていないのか、それとも支払い能力がないのに、恥ずかしいので支払い能力そのものはあるふりをしているのかを区別)


  2. 支払い能力があるのに支払わない家に対しては「払わないことはルールに反するので、支払わねばならない」という態度で臨むこと
    (「払わないのは恥ずかしいこと」「周りが迷惑する」を、支払わせる説得手段に使わないでほしい。)


で対処してほしいと思う。


2に関連することだが、ある行動をとるかとらないか判断する際に、それをするのは「良いことか/悪いことか」ではなく「恥ずかしい思いをする・しない」や「周りの人にどう思われるか」で決める日本人は多い。だから「恥」や「周囲の反応」を引き合いに出して説得する方法は、日本人にはかなり効果がある。

で、これには落とし穴がある。「恥」の説得に対して、本人が「恥ずかしくない」と開き直ってしまえば、効力を失う。また、「他人の迷惑になる」「子供たちの給食の予算が減る」だって、「うちだけが払っていないわけじゃないし」とか、「まずは自分のことのほうがが大事」と開き直られたら、もうおしまい。それに、ヘタに相手の「恥」の感覚に訴える説得方法で相手の感情を害すると、「わたしに恥をかかせた」と、のちのちまで恨まれるはめになる。

だから、個人的には、こういう問題に対しては「ルール」で説得してほしいと思う。「支払い能力があるのに払わないのは、絶対にいけないこと」で徹底してほしい。どうして「いけないのか」と開き直られたら、このルールの正当性を相手の反論のすきのないほどきちんと説明して相手を説き伏せてほしい。こういうのは大方の日本人は、苦手としている説得方法だとは思うが。

ところで、給食費未納問題といえば、わたしが中学3年のときに、わが家も給食費未納疑惑を起こしたことがあった。担任の教師はしっかりと「恥」と「皆の迷惑」に訴えたがゆえに、実に後味が悪い出来事になった。

わが家は本当にお金がなかった。毎日の食費の捻出にも苦労するありさまだった。家には食べ盛りの小学生の弟もいた。わたしは学生服と体操着とパジャマ以外の服を持っておらず、家族も一張羅の着た切り雀同様だった。(おや、死語2連発かも)

で、そんなときに学校から全生徒に配られた配布物のなかに、「給食費の支払いが困難な家庭の生徒に対し、給食費の支払いを区が肩代わりする制度がある」というお知らせが入っていた。

「おかあさん、これも申し込もうよ」
わたしはそういって、母にお知らせを渡した。とにかく毎月のわが家の暮らしが少しでも楽になるなら、それでいいじゃないかと思ったのだ。

母は躊躇していた。娘に恥ずかしい思いをさせることを恐れていたのだ。当時はすでに給食費は振り込みになっており、給食費を学校に持っていくようなことはなかった。それでも母は申請書を提出することで「給食費も払えない家の子」と学校に知られて、わたしが差別的な扱いや偏見を受けることを恐れていたらしい。一方、わたしのほうは子供すぎたのか、「給食費免除の申請をすること」が「恥ずかしい」とか「差別/偏見」とかに通じることなど考えもせず、仮にそんな目で見られたとしても、それほどたいしたことではないと考えていた。

わたしのすすめに従い、ついに母は「ごめんね。ごめんね」とわたしに何度も謝りながら、申請書を書いた。わたしは母の「ごめんね」の意味がわからなかった。そしてめでたく申請書は受理され、ある月から給食費を支払わなくても良くなった。

ある日、わたしは担任のA先生に「ふくしまさんには給食費を納めていないの月がある」と言われた。免除された初月の直前の月の支払いが、確認がされていないらしかった。母にこの話をすると、「確かに支払っており、振込みを証明することができる」とのことだったので、母のことばをそのまま先生に伝えた。

しかし、A先生は「絶対に支払われていないと事務室が言っているので、未払いは間違いない」と主張し、ついにある日の放課後、母とわたしは学校の会議室に呼ばれた。

会議室で、A先生は母とわたしに口を開く間を与えず、給食費未納がそれいかに恥ずかしいことか、そして給食費を払わない家がいかに周囲に迷惑をかけるかを、一方的にまくしたてた。明らかに先生は母を、「支払っていないのに『支払った』と主張して、支払わずに済まそうとしているモラルの欠如した母親」とみなしていた。

母とわたしはだまっていた。母は明らかに怒っていたが、とにかく先生が話し終えるまでこらえた。わたしのほうといえば、正直言ってその時点では何も感じなかった。

先生がひとしきり語り終わった後、母は黙って先生の前のテーブルに、とっくに支払済みの該当月の振込み控えを突き出した。

「あら、払ってるじゃない」

支払い証拠を突きつけられて、A先生はうろたえたような、拍子抜けしたような声で言った。その後しばし気まずい沈黙が続いたが、ついに先生が「事務が間違っているんでしょう。連絡しておきます」とモゴモゴ言うと、「それより…」とおもむろに話題を変えた。

そのあと話題は、ひたすらわたしの学校における成績不良と問題行動の指摘に終始した。その中でA先生は「給食費の支払いも困難な家庭の子供には、問題がある生徒が多い」という話や、最後には「そんな環境の中で育ったふくしまの基本的な頭のデキ(つまり「知能」のこと)は、もともとあまり良くないのかもしれない」ということさえほのめかす話もした。

母もわたしも黙ってと聞いていたが、二人とも怒っていた。母が怒っていたのは恐れていた「給食費も払えない家の子供」の偏見を、先生がわたしに抱いていることだった。一方わたしが怒っていたのは、別の理由だった。先生がわたしの成績や行動に文句を言ったことに怒ったわけではない。形勢不利になった自分の立場を有利にするために、自分が有利に立てる話題にすりかえたそのやり口に、怒っていたのだ。

中学3年生といえば難しい年頃だ。自分の中の矛盾や欺瞞、自分が他人を傷つけることには鈍感でも、他人のそれには人一倍厳しい。とくにその他人が大人で、しかも教師なんて職にあれば特にそうだ。A先生はわたしの心の中で、軽蔑すべき人リストの筆頭に上がった。

この件には後日談がある。放課後の会議室に呼ばれたほぼ1週間後に、3年生全員が進路指導の資料とするために前に受けていた知能検査の結果が出てきた。わたしの検査結果は「IQと成績(および日ごろの素行)は必ずしも相関関係にあるわけではない」というごく当たり前の事実を、非常にインパクトがある形で証明していた。後で聞いた話だが職員室では「まさか、あのふくしまのが一番高いとは…」とわたしを知るすべての先生がショックを受けたとのことだった。そしてここへ来て「ふくしまは単にやる気がないだけである。あの子をやる気にさせれば成績に飛躍的に伸びるはず」と、この成績不良娘の担任たるA先生の指導力に、周りの先生のお手並み拝見的な視線が集まることになった。

本人と親の前で、知能に問題ありのようなことまで言ってしまったことに、A先生は後悔したらしい。さらに初めて3年生の担任になったA先生にとって、ふくしまをやる気にさせることは自分のミッションだとも思ってしまったらしい。以来、ときには――これはこの話が先生にとってもわたしにとっても精神的に時効だと思うのであえて書くと――わたしに「少しは勉強してほしい」とことあるごとに懇願してきた。また、他の生徒の前で明らかにわたしに媚びた発言をして、わたしの機嫌をとろうとすることすらあった。それらのすべてをわたしは卒業するまで、冷笑をもって軽くいなし続けた。今考えればわたしって子供だった。そして子供って残酷だ。

わたしのほうは卒業するまで、受験のためであろうが毎日の授業のためであろうが、勉強という勉強は一切しなかった。A先生への反抗で勉強しなかったわけではない。あの一件があろうがなかろうが、わたしは勉強しなかったと思う。当時のわたしは自分が面白くないとかんじることは絶対にやらなかった。そして、勉強は自分にとって面白くないことだった。

そんなわたしだが、最終的には私立の高校の普通科に推薦で入学した。実はその高校の普通科に入れる学力はなかったのだが、中学側から強力な推薦状が発行されたのだ。その推薦状とはわたしのような問題児の成績不良者には絶対ださないようなもので、他の先生から聞いたところによると、わたしの推薦状のためにA先生が相当頑張ったらしい。きっと、給食費未納疑惑に端を発する一連のできごとに対する、A先生なりの詫びの形だったんだと思う。

ちなみに、いまのわたしはA先生に対しては怒っていない。でも、母にとっては一生ものの恨みとなっているようだ。最近の給食費未納問題がニュースで話題になったときに、母と例の会議室での思い出話をしたが、母は本気で怒り毛が逆立っていた。30年以上前のことなのだが。

3 Comments

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給食費未納問題に限らず,教師に過剰な要求とか,... ((か))
2007-02-04 20:05:00
給食費未納問題に限らず,教師に過剰な要求とか,一部だと思いますが,最近の親はアホじゃないか?と思えてきます。
子供の前にお前が教育受けなおせ,とか思ってしまいます。
自分だったらあんなアホな親にはなりたくないですね。
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(か)さん (ふくしまゆみ)
2007-02-07 00:53:54
(か)さん

日本人は昔と違って「相手に主張する」することを
学んだ(?)ようですが、それはそれで良しとして、「相手に主張する」と一緒に学ばねばならない「相手の言い分に耳を傾ける」「お互いの主張の正当性を、論理的に考える」あたりは、学べていないようですね。

自分の要求が「過剰か正当か」も判断できずに、「自分が言うことなのだから正しい」と思い込むことで、妙にでかい態度をとる人が結構います。それは結局、自分の主張に対する正当性の自信のなさの裏返しなんでしょうけれど。
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最低限,親が子供に対して行う躾や教育をやらない... ((か))
2007-02-07 11:23:18
最低限,親が子供に対して行う躾や教育をやらないで,学校に対して要求しすぎているように思いますね。
親は学校に要求する前に,親の責務を果たしているか自問自答すべきですね。
先生に(正当に)怒られるということは,やっぱり子供に問題があり,それは親の責任だと思うんですね。

先生は聖職かもしれませんが,先生だって一人の人間。
あんまり大きな声では言えませんが,
先生はすごい偉いとか思ってないので(^^;),
自分の子供が先生に叱れるくらいなら自分が叱ってやる,と思ってます。
(もちろん自分だってたいしたことないですが,だからこそ親がもっとちゃんとすべしと思うのです)
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